(この記事は、先日の衆院選直後に、この結果に「不満」な人にも希望が持てる道筋を示そうという意図で書かれたものです。が、あまりに長くてアゴラ編集部の投稿ガイドラインに反してしまい注意を受けたので、分割して再度投稿させていただいております。毎回単体でも読めるように工夫していきます。特に今回は、初掲載時に最も高評価を頂いた部分にさしかかっておりますので、ぜひお読みいただければと思います。)
前回の記事では、
・日本におけるあらゆる改革は、「アメリカレベルに大雑把すぎる改革」によって日本の根本的な強みが崩壊しないようにするために、すべて「抵抗勢力」さんによって抑えこまざるを得なくなる
からこそ、
・「日本の一番の長所」を「グローバル中間層」に対して一貫して売り込める文脈を世界に提示することで、はじめて「改革」も実現するのだという話
をしました。
今回は、より詳しく「日本が世界にあたらしい文明として提示すべきハイエンド型商品」について深く考えてみます。
最近、ハイレゾオーディオとか、4Kテレビとか、「画質とか音質じゃねんだよぉ、これだから日本メーカーはわかってねえよなあ」と罵倒され続けてきた商品に光があたりつつありますよね。デジカメだってスマホに取り込まれていきつつ、プロユースに近いような一眼レフは未だに日本メーカーの存在感が抜群です。
スマホが普及してから、新興国経済の発展もあいまって、世界中でものすごい数の人間が携帯で音楽を聞き、動画を見、写真を撮って、ネットで共有して・・・ってやってるわけで、それは「ウォークマン(というか携帯音楽プレイヤー)・テレビ・カメラ」のローエンドモデルには大打撃ですけど、超高密度ハイエンドモデルに関しては「見込顧客が世界中にバンバン大量生産されてってるウハウハな世界」とも言えるわけですよ。
「その領域」を取りに行く一貫した戦略を持たなくちゃいけない。そこだけは絶対にサムスンに取られてはいけない。いいか、絶対にだ!
私の父親はカメラマニアで、もう物置状態になってる私の実家の部屋にはある日本のカメラメーカーのレンズやらカメラやらが「なんでこんなに・・・」ってぐらい”陳列”されていたりして、そういう環境で育った自分としては、「全部汎用品的スマホに収斂しちゃう」のはある種の「人間感性の底辺への競争」だなと思ってるぐらいなんですよね。
また、そういう「技術的ハイエンド」とはちょっと違いますが、「デザイン潮流」的なものでいっても、「アップル的なミニマリズム」を超える流れを生み出せるのは日本の「密度感」の成果物であるはずなんですよ。
例えば私は少し前に妻が使うソニーのノートPCを買ったんですが、そのデザインのカッコよさにシビレたんですよね。このタイプのピンクで、ウェブサイトで見ても全然どうってことない平凡なピンクですけど、実物の天板とか見ると「ムチャクチャかっこいい」です。
もうなんというか、製造前のサンプルが上がってきた時に、「いやいやこの色じゃないですよ」「え?ピンクですけど?」「ピンクだったら何でも同じピンクと思っててもらったら困りますよ全っ然違う色になってるじゃないですか!」的なやりとりでシバキまくってやっと出る色と質感みたいな感じで。
新型のエクスペリアもよぉく見ると、背面のガラスの質感とか「カッコイイですよねえ・・・」って携帯ショップの店員さんと一緒にため息ついてきたぐらいで(でもその家電量販店での売られ方たるや全然そんな見え方がされてないんですけど)。
こういうのは、テレビ出版音楽広告その他東京のオールドマスメディアが寄ってたかって突き回して維持してきた密度感の中で鍛えられた「おいしい生活」的な爛熟した消費文化の積み重ねの中で、やっと成立する世界なんですよね。
。
これに比べたらアップル製品のアルミの塊をゴロッと削り出しただけのデザインなんてミニマリズムと言えば聞こえはいいが、「シリコンバレーギークが理屈で扱える精一杯のオサレ感」というか、もっと言えば「チャキーン!カシーン!ジャキーン!超・変・身、合 体ッ!ドッカーン!!うおおおおおおかっけえええええ!」的な小学生男子のセンスと言っていいでしょう。
ただね!私個人は、所詮自分なんて小学生男子のセンスがお似合いだし、それ以上ハイセンスだと困るよな・・・と思ってここ数年はMacBook AirとiPhoneユーザーなんですよ。昔はVAIO使ってたんですけど、平井社長体制になって明らかにプロダクトが良くなったんで、むしろカッコよすぎて苦手みたいになってしまって乗り換えたってぐらいで。そういう意味でのアップル的デザインのニーズは当然今後も残るはずなんですよね。
でも、「このアップルのセンス」が「唯一無二のハイセンス」として通用してる世界は、「上」があまりにも画一化されて抑圧されてる世界だし、ソニーが一部製品で体現しているようなデザインの志向性を潜在的に強く求めている層は確実に世界にいるはずです。(でもウェブサイトで見る上記のVAIOの天板がものすごい平凡に見えるように、はっきり言って全然売り込めてない)
アメリカンな理屈だけで追い込める最大公約数的なミニマリズムデザインとも違うし、なんか奇抜なことして目立てばいいんでしょう?的な新興国メーカーのデザインとも違う。表参道とか代官山の裏通りのセレクトショップ的な文化の分厚い積み重ねとか、僕は行ったことないんですけど新宿伊勢丹みたいな価値観を軸として二十年以上旋回し続けてきたバブル世代のお姉さんたちの消費意欲と吟味の積み重ねによってやっと実現するデザインなんですよね。
そういう「技術的ハイエンド」にしろ「デザイン的ハイエンド」にしろ、「日本人1億人の日常を活きる丁寧さと密度感の総体」に支えられているユニークネスなわけですけど、それをちゃんと明確に対象化して取り扱って、そこにグローバリズムがあらゆるダイバシティをなぎ倒して標準化していってしまう世界が生み出す
窒息感に風穴を開ける「あたらしい文明」としての日本ブランドの提示
ができれば、10年前に「韓国やシンガポール的な戦略」を取らずに(取れずに)グズグズとどっちつかずにやってきた日本だからこそ踏み込んでいけるブルーオーシャン的フロンティアが開けているわけですよ。
そこに一貫した戦略が持てれば、世界中に大量出現している「あたらしい中間層」の、「フェイスブックで友人から一歩差をつけたいニーズ」につけこんで、「やっぱり色々体験して本物志向になっちゃうと、最後は日本製品にたどり着いちゃうよね(その価値がわかる俺ってかっこいい・・・)」需要をあらゆる国から薄く広く大量に取ってくることができる。
今の時代、うまくやれば「グローバル中間層の中の、さらに上から順番に数%の日本に物凄く興味ある層と、上から順番に数%の”アップル的デザインを超えて行きたい層”」にだけ選別的に広告を見せて展開していったりできるんですからね。『ここ1年以内に35回以上”SAMURAI”とか”NINJA”とか”ZEN”とか検索したことのある年収10万ドル以上の男女(国籍問わず)』にだけ物凄いリッチな動画コンテンツを広告として見せられたりする時代なんですから。
今の時代の「バイラルマーケティング(ネットでウィルスのように広がる評判を利用したマーケティングのこと)」って、物凄いドロドロにケチャップ味的な”共感の押し売り”みたいになってしまって、ここで言う「日本が本来売るべきもの」が果てしなく抑圧されていく方向になりがちなんですが、本当は逆に発想をかえて「新時代のピンポイントなマーケティングを大会社スケールで乱れ打ちにする戦略」で、「特別なセンスを持つあなただけに」という形で「ザクとは違うのだよ、ザクとは(機動戦士ガンダムのランバ・ラルのセリフ)」的なメッセージの発信を徹底的に追求していかなくちゃいけない状況なんですよね。
そういう「”グローバリズム的最大公約数に押し込められてしまった人類の窒息感”を超える希望となる最先端のハイセンスの世界なんだ」という打ち出しで、「あたらしい文明」を提示できれば、「最もハイセンスな存在」にだけアプローチして、そこからその人達に付いてくるフォロワーを引っ張ってきて大きなムーブメントに育てていくこともできるわけです。
そうやってこそ、「グローバリズム的な大雑把さを徹底拒否して、理解されずとも丁寧に生きようとしてきた日本の過去10年」の「あらゆる”みんなの思い”」をちゃんと世界中に「あたらしい価値」として提示できるようになる。その価値を世界中から換金して持ってくることで、「日常をシッカリ生きている1億人」がちゃんと食っていける余地も生まれる。
この10年でローエンド商品をサムスンや中華メーカーにボコボコにされてる分、かえってブランド的混乱を気にせずに積極的に展開していける状況が整っていると言ってもいい(まあ戦略的整合性が取れるなら、新品が型落ちiPhoneと同等ってぐらいの価格帯には入ってってもいいかもしれないが)。また、性能が高くなりすぎちゃってスマホなんて正直どれでも一緒だよね・・・・ぐらいにまでコモディティ化が進んだ時代だからこそ、「一朝一夕では身につかない最先端デザイン」みたいな差別化が逆に物凄く効いてくる時代が来るはずだとも言える。
そのためには、「1億人のあり方のユニークネス」の延長としての「強み」を、一般論ではない「個別解」として徹底して掘り下げた戦略が必要になってくるんですよ。「代表」と「それを支える無数の人たち」がちゃんと根本的な意味でのシナジー関係になるような、何かの後追いじゃない 一貫した「個別解」の戦略を打ち立てなくては。
そうすれば、「横串の通った戦略性」が全くない魚河岸に転がったマグロの群れ(スティーブ・ジョブズが日系メーカーのパソコンについて言った言葉)みたいな製品を「とにかく売れ」と押し付けられる現地子会社の最前線兵士たちの、
の絵的な状況にも光明が訪れ、やっと日本の「戦争の失敗への反省」に現実レベルでの「社会運営のノウハウ」としての解答を与えることができるようになるでしょう。
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では、次回はさらにそこへの「売り込み」に対する具体的な考察に踏み込んで行きます。
そこではぜひ、最近徐々にメジャーになってきたネットにおけるダイレクトマーケティングのプロと、旧体制的な日本のメジャーメーカーの「異質との結合」的なチームワークが発揮されて欲しい領域があります。
次回の予告編的に三枚絵のチャートをここに貼っておきます。(クリックで拡大します)
今後も不定期に更新していく予定ですが、連載形式だと半月ぐらいかかるので、一気読みされたい方は、私のブログ↓でどうぞ。
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倉本圭造
経済思想家・経営コンサルタント
・公式ウェブサイト→http://www.how-to-beat-the-usa.com/
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