2020年の東京五輪・パラリンピックは、日本が「世界の最先進国」としての体制を整えるチャンスであり、試練でもある。欧米やアジア諸国に比べて「安全で効率的な国」と認められるか、不安でいっぱいだ。
国際社会の制裁が効かなければ、そのころには北朝鮮の核戦力が完成する一方、日本の防衛力では十分に対処できないことが予想される。核ミサイルで脅されたら、何も言えなくなりかねない。
テロへの備えでは、飛行機に乗るのに本人確認がいらないなど論外だ。中国では、新幹線の切符や、北京の紫禁城(故宮)の入場券を購入するにも公式な身分証明書番号が必要だ。乗車・入場する際は、証明書との照合があり荷物検査もある。これは欧州各国でも同じ方向だ。
欧州各国では24時間、身分証明証の携帯義務付けが普通である。さまざまな支払い時にも提示が求められる。つまり、どこの誰か証明できないままでは、生きていけないのである。
日本のように現金での支払いが主流であることも、不便で危険で不公正だ。中国では屋台でもスマートフォンでの決済が普通で、中国人観光客が日本に来て「久しぶりに現金を使った」という始末である。
欧州では昔から、現金での高額支払いは警戒され、法的にも制限されている。日本の現金決済社会は、反社会的勢力への奉仕と脱税の奨励である。
中国では、ネット通販大手アリババなどの電子決済サービスが、低い手数料で零細事業者にも提供されている。屋台に代表される零細商店主は、帳簿を付ける手間がなくなり、金融機関は、得られたビジネス情報に基づき安心して簡易な金融を小さなリスクで与えるも出来るようになりつつある。
消費者の評判も『食べログ』的に数値化されて提供されるので、良い店は知名度がなく広告をすしなくともも客が集まる。
顔認証システムで、赤信号を無視したのが誰かもすぐ分かる。ストーカーの排除もこうした方法でやれば良い。そうすれば、安全のために身を隠す必要もなくなってくる。
日本は「個人情報の保護」を徹底し、どこの誰かが分からないようにするために制度を改変するという、間違った方向にここ何十年か進んでしまった。これは全く間違った方向だ。
21世紀は、「個人のプライバシー」より「安全と効率」が重視される時代である。個人の自由や人権は、情報を知られないことより、知られても不利にならない、内外の国家権力や企業の支配力の不適切な行使が行われないことに努力が傾注されるべきだ。
その流れに乗れない国も企業も個人も、ネアンデルタール人のように滅びる運命だ。
電子的手続きへの移行を早めるため、インセンティブを与える一方、忌避する人や団体に手間と費用がかかる懲罰的措置をとってはどうか。
フランスなど私が駐在していた1990年頃から、インターネットの前段階だったミニテルでしか大学の入学手続きができなかった。しかも早い者勝ちだった。
中国の庶民がIT社会に適合できて、日本人は適用できないということがあるはずがない。
※この原稿は夕刊フジ掲載記事に掲載したものをもとに大幅に加筆したものです。