自衛隊は憲法の条文に明記しないほうがいい

陸自サイトより:編集部

自衛隊が合憲的な存在であることを確認するための法的テクニックあれこれ

自衛隊は違憲だ、などと仰る方が現時点でどの程度おられるのか分からないが、憲法を研究されたり、憲法を講じられる研究者のなかで自衛隊違憲論を唱えられたり、自衛隊の合憲性に疑念を表明される方が一定程度おられることは私も承知している。

そういう疑念を払拭するために憲法に自衛隊を明記すればいいのではないか、というのは実に素直な反応なんだが、どういう形で自衛隊を憲法に書けばいいのか、というのは優れて法的テクニックの問題であり、法テクノクラートの皆さんに知恵を絞ってもらうのがよさそうである。

世が世なら私もそういう法テクノクラートの一員として何らかの案を提案するところだったろうが、一元衆議院議員がどんな案を示しても、現職の国会議員の皆さんがこれを採用されない限り何の役にも立たない。やはり、現職の国会議員の皆さんが具体的な案を示して互いに議論を尽くし、大方の国会議員が納得するような成案を得られれば、それに従うのがいい。

様々な政治的思惑で様々な駆け引きが行われているようだが、あまり難しく考えられない方がよさそうである。最後は、エイヤッと決めることになる。

完璧を期そうとするといつまでも決められないだろうが、そもそも法律や制度に完璧はない。
バグは付き物だと思って、ほどほどのところで手を打つのがいい。

憲法の条文を読んだだけで憲法が定める規範がすべて分かるわけでは必ずしもない、というのが私の基本的な立場なので、私自身はあまり憲法の条文の細部には拘泥しない。

大事なのは、国民の合意がどこにあるか、大方の国民がどう理解しているか、ということだろう。

自民党の議論が大分煮詰まってきているようだから、野党の皆さんも議論を加速されたらいい。

憲法の解釈については、何にしても国会での議論を重視すべきで、野党の皆さんが碌な憲法議論しか展開できなければ、出来上がった改正憲法の中身もずいぶん薄っぺらいものになってしまうことは必至である。

現在の日本国憲法の審議には、当時の日本の最高峰の憲法学者の方々も参加されていたと聞く。
今回の憲法改正案の審議に当たられる方々には、何はともあれ、与野党を問わず各党の精鋭を当てていただきたいものである。

さて、かつての貴族院議員の憲法学者に匹敵するほどの見識を有しておられる方が、現在の国会議員の中にどれだけおられるだろうか。

まあ、自衛隊という文言自体は憲法の条文に明記しない方がいいでしょうね

戦力を放棄しているはずの日本に何故自衛隊があるのか、という命題に答える唯一の方法は、自衛隊は憲法9条に言う「戦力」には当たらない、という論法なのだと思う。

現時点で大方の国民は、自衛隊は自明の存在だと認識されているだろうが、現在の憲法が制定された当時は自衛隊は影も形もなかったのだから、自衛隊という実力組織を憲法にしなければならない、という必要性はそれほど高くない。

立法府である国会を構成する衆議院や参議院、違憲立法審査権を行使する最高裁判所、行政府である内閣などの組織は日本の統治システムの根幹に関わることなどで憲法に明記する必要があるだろうと思うが、警察や消防、自衛隊などは国民生活の安全確保や治安の維持などの面で国民にとって不可欠の存在だと認めるが、しかし不可欠な存在だからと言って憲法の条項に明記しなければならないものだ、などとは言えない。

そもそも自衛隊の前身は、警察予備隊だというのが私の理解である。

講和条約の発効により警察予備隊が廃止されて保安庁に保安隊が設立され、この保安隊が一般的には現在の自衛隊の前身だと理解されているのだから、自衛隊という行政組織の一部機関でしかないものを憲法に規定することが果たして適当なのか、ということも考えておいた方がいい。

自衛隊を恒久的に憲法上の機関として位置付けておきたい、自衛隊はそれほどに重要な役割を担っている機関だ、と仰る方もおられるかも知れないが、まあ、自衛隊という名称が未来永劫不変で最高の名称だ、という保証はないのだから、もう少し抽象的な名称がいいのじゃないかしら、というのが私の意見である。

あまり憲法の条文はゴタゴタ書かない方がいいんじゃないかしら、と思っている。

自民党は今日の会合で条文化について相当突っ込んだところまで議論をされるようだが、何かの参考になればと思って、愚見を申し上げておく。

参考になればよし、ならなくてもよし、というところだ。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2018年2月28日の憲法関連の記事をまとめて転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。