昨日発売の『中央公論』において、北岡伸一JICA理事長との対談記事を掲載していただいた。世間では「モリ・カケ祭り」が続く中、「国際協調主義を阻むものは何か」というタイトルの対談を掲載していただけたのは、中央公論社の方々のご配慮のおかげでもあり、北岡先生のおかげでもある。感謝したい。
ちなみに「憲法」特集号であったので、「大沼保昭名誉教授(国際法)・中西寛教授(国際政治)・木村草太教授(憲法)」の鼎談も掲載されており、興味深く読んだ。印象深かったのは、木村草太教授が、憲法論議をめぐる「左派」と「右派」の対立を描写しつつ、大沼教授の「憲法論議は決して右と左の極端な対立に対極化すべきものではない」という発言に対して、次のように答えたところだ。
「私もメディアで不毛な議論に巻き込まれることがあったので、大沼先生のおっしゃることはよくわかります。メディアは、極端な意見を言う人をもてはやす態度を改めるべきでしょう。私が信頼性の高い研究者についてアドバイスを求められた時には、「『憲法判例百選』の解説を書いている人なら信頼性が高いです」と答えました。」(『中央公論』2018年5月号33頁)
『憲法判例百選』は、司法試験などの受験生のための参考書として知られている。ちなみに現在の編者は、長谷部恭男(元東京大学法学部教授)、石川健次(東京大学法学部教授)、宍戸常寿(東京大学法学部教授)であり、各判例の解説者は、これらの編者が選定していると思われる。
興味深いのは、「『憲法判例百選』の解説者」とは、2015年安保法制の喧騒のさなか、『報道ステーション』が、「憲法学者へのアンケートで9割が違憲判断」といった企画を進めた際に、「憲法学者」を選ぶ基準としたものであったことだ。
世論と乖離して9割の圧倒的比率で「違憲」主張する人々の集団が、「信頼性が高い人」集団なのか、「メディアにもてはやされている極端な意見を言う人」の集団なのかは、非常に興味深い問いだ。
それにしても、そもそも受験参考書で判例解説を書いていると最も信頼できる学者とみなされるというのは、かなり特異な憲法学界の性格を示していると言わざるを得ない。
普通の学術領域では、学者を専門領域を持った専門家として扱うので、その学者の専門領域に応じて、信頼感を持つ。ところが憲法学ではそうではないらしい。
『憲法判例百選』で取り上げられている判例を見てみよう。自衛権や憲法9条にかかわるのは、せいぜい日米安保条約の違憲性が争われた判例として知られる砂川事件くらいだろう。あとは「校則によるバイク制限」だとか、「取材・報道と肖像権」だとか、「わいせつ文書の頒布禁止と表現の自由」などに関する判例が延々と並ぶ。なぜこのようなトピックに関する判例の解説を書いたことがあると、集団的自衛権の違憲性について最も信頼度が高い意見を述べる人だという認定になるのか、私にはさっぱりわからない。
実際、憲法学者で自衛権や9条に関する研究をして業績を持っている者は、ごく少数だろう。ほとんどの憲法学者は、表現の自由とか、プライバシーの権利だとかに関わる問題を研究している。しかしそれでも、『憲法判例百選』の解説者であると、信頼感が高く、たとえどんなに自衛権に関して研究を進め、業績を持つ人と比べても、やはり信頼感が高いのだという。なぜそう言えるのか。理由は、『憲法判例百選』の解説者だから、である。
こういう価値観を持つ学会は、憲法学界を除くと、わりあい珍しいのではないか。
どうやら木村草太教授的な世界観では、日本人は二種類に分かれるようだ。「『憲法判例百選』の解説者」と、そうではない人々である。前者は、わいせつ文書の取り扱いや校則規制の話から自衛権の発動に至るまで、最高権威の意見を発することができる人々として尊重されなければならない。それ以外の人々は、何を言ってもダメな人々である。
非常に印象深い世界観だと言わざるを得ない。
編集部より:このブログは篠田英朗・東京外国語大学教授の公式ブログ『「平和構築」を専門にする国際政治学者』2018年4月11日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は、こちらをご覧ください。