ノーベル賞の中でこの賞ほどわかりにくいものはない。わかりにくさは受賞者に共通項が見当たらないことに由来する。
ノーベルが想定した授賞対象は、世界平和に貢献した人であったはずだが、実際に受賞した人の顔ぶれを見ると必ずしもそうはなっていない。
佐藤栄作とアルベルト・シュバイツァーがなぜ同じ平和賞か説明できる人はいない。
そもそも平和に貢献したかどうかは、短期的には分からない。短期的に見ればミュンヘン会談のヒットラーとチェンバレンが受賞してもおかしくなかった。ミュンヘン会談は、9月末だったから同年の受賞対象にはならなかったが、仮にもう少し早い時期であったら、その可能性はあった。翌年9月に第二次欧州大戦が勃発したのだから、そうなればブラックユーモアになったであろう。
誰が又はどの政府が世界平和に貢献したかどうかを決めるのは、難しい。断固たる武力行使がその後の大きな戦争を防ぐこともあり得る。例えば英仏が、ラインラント進駐時に武力で制裁を加えていれば、ヒットラーの膨張主義はその時止んだかもしれない。
一国の為政者は国益のために、ある時は戦争に訴えある時は平和を選ぶ。偶々平和を選んだからといって平和賞を与えるのは公正だろうか。
第二次大戦中、ヒットラーの執拗な慫慂にも関わらず遂に中立を貫いたスペインのフランコに平和賞を与えたらおかしいだろう。
まとめるとノーベル平和賞がわかりにくいのは、共通する授賞理由を見出すのが難しいからである。
試みに著名な受賞者を授賞理由によって分類してみた。
1 世界平和に貢献した人(受賞年、受賞者)
1929年 F・Bケロッグ(アメリカ国務長官) パリ不戦条約
1945年 Cハル(アメリカ国務長官) 国連創立
1973年 Hキッシンジャー(アメリカ国務長官) ベトナム和平
2 人道的貢献
1952年 Aシュバイツァー
1979年 マザーテレサ
1999年 国境なき医師団
3 自由、人権、人種平等のために戦った人
1964年 M・Lキング牧師
1989年 ダライ・ラマ
2010年 劉暁波
4 意味不明(勿論もっともらしい授賞理由はついている)
1974年 佐藤栄作
2007年 気候変動に関する政府間パネル
2009年 バラク・オバマ
これだけ多様な活動をした人達を「平和」でくくるのには無理がある。特に「世界平和に貢献」は評価が難しい。短期的な平和がその後の戦争を醸成することもあり得るからだ。
ベトナム戦争を始めたアメリカが戦争を終わらせたからといって平和賞をもらうのであれば、聖断で降伏を決めた昭和天皇が受賞してもおかしくない。「戦争を終らせる」のは降伏とは違うと突っ込まれそうだ。
「自由、人権、人種平等」は結構だが、世界の各国にはそれぞれ歴史がある。短兵急にこうした価値観を押し付けるのは内政干渉になりかねない。
というわけで「平和賞」の名称を「人道賞」に変え政治的事件は対象にしないことにしたらどうだろうか。
政治的事件を対象とすることの難しさは、集団としての決断か、個人としての決断か外から特定するのが難しい点にもある。キッシンジャーと同時に授賞されたベトナムのレ・ドクトが辞退したのは、個人としてもらう筋ではないという判断だろう。
尚「日本国憲法第九条にノーベル平和賞を」なる運動があるそうだが、「国際紛争の解決に武力を行使しない」のは9条オリジナルではなく、パリ不戦条約由来である。彼らは「九条によって日本は70年の平和を享受できた」と主張するかもしれないが、日本の平和は日米安保条約によって維持されたとする立場もあり得る。
蛇足
平和と和平はどう違うか。どちらも戦争のない状態を意味するが、和平はその他に戦争の終結という意味でも使われる。
青木亮
英語中国語翻訳者