きのうの記事について現役の裁判官からコメントをいただいたので補足します。もちろん私は法律の専門家ではないので、以下の議論は「普通の国民の疑問」だと思ってください(長文で細かい話なので、関心のない方は無視してください)。
toeic_990pointsさんは、次のようにコメントしています:
本判決のポイントは、「まねきTV」が著作権法の「自動公衆送信の主体」とされた点です。著作権は、著作権者以外が同主体になることを禁じていますが、最高裁は、同主体の意義を、「当該装置が受信者からの求めに応じ情報を自動的に送信することができる状態を作り出す行為を行う者」と解釈し、その上で、まねきTVが、不特定多数からベースステーションを預かり、自分のテレビアンテナに接続していたことなどを理由に、同主体に当たると判断したものです。
おっしゃる通りです。「カラオケ法理」がハウジングにも適用される点がポイントですね。この場合、まねきTVに置かれているロケフリが「自動公衆送信装置」かどうかが争点です。それが自動公衆送信装置でなければ、まねきTVは公衆送信の「主体」ではありえないからです。これについてtoeic_990pointsさんは次のようにコメントしています:
この判断を前提にすれば、「市販の機材の所有者が自分に送信する」行為の場合、TV局が「自動公衆送信の主体」に当たると判断されると思われ、かかる行為は本判例の射程外です。
違います。この「射程」が今回の訴訟の最大の争点です。知財高裁の判決では、まねきTVのサービスは
- ベースステーションは,名実ともに利用者が所有するものであり,その余は汎用品であり,本件サービスに特有のものではなく,特別なソフトウェアも使用していない
- 1台のベースステーションから送信される放送データを受信できるのはそれに対応する1台の専用モニター又はパソコンにすぎず,1台のベースステーションから複数の専用モニター又はパソコンに放送データが送信されることは予定されていない
という点を主たる理由として、「市販の機材の所有者が自分に送信する」サービスだと認定されました(p.37)。これに対して最高裁判決は、
著作権法が送信可能化を規制の対象となる行為として規定した趣旨,目的は,公衆送信のうち,公衆からの求めに応じ自動的に行う送信(後に自動公衆送信として定義規定が置かれたもの)が既に規制の対象とされていた状況の下で,現に自動公衆送信が行われるに至る前の準備段階の行為を規制することにある。
という初めての解釈を示し、
当該装置に入力される情報を受信者からの求めに応じ自動的に送信する機能を有する装置は,これがあらかじめ設定された単一の機器宛てに送信する機能しか有しない場合であっても,当該装置を用いて行われる送信が自動公衆送信であるといえるときは,自動公衆送信装置に当たるというべきである。
という理由で、まねきTVのサービスは「市販の機材の所有者が自分に送信する」ものではないと判断したわけです(pp.4-5)。つまり不特定多数の利用者が自分あてに送信するサービスは、結果的に「公衆」に送信するので自動公衆送信になる、というのが今回の判決の新しい解釈です。
これは法律論としては、わからなくもありません。極端な話、まねきTVに100万台のロケフリが置かれてそれぞれの所有者が受信した場合、まねきTV全体としては100万人の「公衆」に送信していることになるからです。
しかしこのように解釈すると、不特定多数の加入できる通信はすべて公衆送信ということになるでしょう。たとえばGmailは自分のメールだけを処理するシステムですが、誰でも加入できるので、最高裁の定義によれば公衆送信です。したがってGmailにテレビ局の画像を添付して送った場合は、それが自分あてであっても違法になり、グーグルの日本法人は訴えられる可能性があります。
わかりやすくいえば、今回の判決はEメールもウェブサイトも同じだと判断しているのです。そういう解釈も、法律論としては成り立つのかもしれないが、これによって「判例の射程」は爆発的に広がり、およそインターネットで行なわれるすべての通信に対して、権利者が訴訟を起こすことができるようになります。もちろん
今回規制されたのは、第三者が、番組を無断で海外にネット配信する行為です。第三者のネット配信が不可能になった訳ではなく、TV局の許諾があれば当然可能になります。
しかし公衆送信についてはBGMにも個々に許諾が必要であり、現実には不可能です。このような問題があることから、今回の放送法改正では、ネット配信も有線放送と同様に包括ライセンスでOKということになったのですが、最高裁はそういう流れとは逆の判決を出してしまいました。
「まねきTV」のようなサービスの存在は、テレビ局がかかる新事業に進出する上で、大きな障害となります。テレビ局は多大な機会利益を逸する可能性があり、だからこそ、今回の提訴に踏み切ったのではないでしょうか。
テレビ局については私のほうが知っているので断言しますが、そのような海外向けサービスを彼らが行なう予定はないし、やっても利益は上がりません。NHKの国際放送でさえ、政府の補助金なしではできない。だから在外邦人のためにまねきTVのようなサービスが成り立っているのです。
今回の争点は、海外向けネット配信などというすきまサービスではなく、テレビ局が禁止している地デジの全国配信なのです。たとえばNTTのBフレッツでは、キー局の番組を全国に流すことができますが、それをわざわざ県境で止めています。著作権法で「当該放送区域内」の再送信しか認めていないからです。まねきTVが認められると、明らかに1対1の通信であるBフレッツで全国に(あるいは全世界に)配信することも合法になります。テレビ局は、それを恐れているのです。
そしてIT企業の法務部が私と同じように解釈すると、ホスティングやハウジングを新規事業として行なうことは社内的に禁止されるでしょう。既存の事業についても、海外に移転しないと危ない。このような過剰コンプライアンスが日本経済をいかに汚染しているか、最高裁は知らないのでしょうか。
最高裁がtoeic_990pointsさんのような(ある意味で純粋な)法律論で今回のような判決を下したのだとすると、問題は深刻です。こういう判決が法律的には正しくても経済的には大きな損害をもたらすことを認識していないと思われるからです。裁判官はテクノロジーの専門家ではないのだから、彼らの知識が時代についていけないのは仕方がない。そのために知財高裁ができたのだから、せめてその判断を尊重するのが最高裁の節度でしょう。
コメント
大変納得出来る記事です。
経済の観点からは、法律家の「正義」なるものはまさに我が国の宿痾で、これが人々を貧しくし、失業させる諸悪の根源の一つです。
が、法律家というのはいつの時代も「勤勉な愚者」であり、人々から憎まれる対象であって、当代の法律家が特別だとは思いません。
また、我が国の場合、今まで立法府が抽象的な法文を作り、これを裁判官が現実に合わせて解釈するという形態を続けてきました。しかし、最高裁の裁判官はみな70近い老人であり、土地や手形などの伝統的な法律の解釈に関して大変優秀ですが、通信の技術的な話などは感覚として理解できるわけもなく、表面的な法律論で終わってしまうのは、むしろ当然の成り行きです。
池田さんはよく事前規制から事後規制へということを言いますが、司法こそは我が国における老人支配の典型であり、現状では賛成できません。政治の世界と同様に、司法の世界にも「若さ」や「専門家の尊重」が必要でしょう。
補足有難うございます。前回のコメント2段落目、「TV局が」自動公衆送信の主体とあるのは、「所有者が」の誤植です。失礼しました。
最高裁の論理は、①まねきTVは、機器の設置だけでなく、分配機等を使って情報入力まで行っており、「自動公衆送信の主体」に当たる、②同サービスは誰でも利用できるため、「送信主体であるまねきTVから見て」、「不特定多数への送信」となり「自動公衆発信」に当たる、という2段構えです。機器の所有者が自分宛に送信する場合は、①送信者は所有者ですし、②不特定人への発信にもなりません。グーグル等クラウド系業者も、自ら情報発信行為をしない限り、①の発信者に当たりません。ですから、「最高裁は、機材の所有者が、自分に送信する行為まで全面禁止した」、「不特定多数の利用者が自分あてに送信するサービスは、結果的に公衆に送信するので自動公衆送信になってしまう」という池田先生の理解は、明らかに本判決の射程を広く捉え過ぎています。
知財高裁の判断を尊重すべきかという点は、知財高裁の専門知識で行った事実認定(特許侵害等)であれば尊重方向に傾きますが、本件は、事実認定は知財高裁と同じで、後は法律問題と事実の評価の問題であり、最高裁の守備範囲です。判例と経済損失の点は、裁判所は政策形成機関ではなく、経済効果を調査・把握する情報収集能力を有しておらず、かかる裁判所が、経済効果を正面から問題するようになれば、より大きな混乱をもたらすでしょう。もちろん、経済的必要性を立法趣旨のフィルターを通して解釈に取り入れることや、結論が明らかに不当な場合に、一般条項等を利用して妥当な結論を志向することはあり得ますが、究極的には、経済政策等の高度に専門的な判断は立法府に委ね、裁判所の判断を修正する必要があれば、速やかに立法府でしかるべき措置が採られるというのが、あるべき「国のかたち」ではないでしょうか。
表現に理解しづらい点があるので補足。
裁判官の方が言ってる「判例の射程」とは、「ある判例が適用される事件・行為・事柄の範囲」という意味です。その範囲に立ち入ったらこの判例を使って射撃しますよと言うことです。
最高裁判決は、3つの部分から成り立ってます。
1.まねきTVは「誰でも(=公衆)」加入できるので、(自動)公衆送信である。
2.自動公衆送信を行う装置は、(送信先が単一か複数か不特定多数かという要素には関係なく)自動公衆送信装置。
3.その自動公衆送信装置(ロケフリ)を、アンテナを接続し管理を行ってるのがまねきTV(「当該装置が・・・できる状態を作り出す行為を行う者」)なので、まねきTVが「自動公衆送信の主体」
なので著作権法違反。
(ロケフリの所有者はまねきTVの加入者ひとりひとりだが、「所有権者」ではなく「状態を作り出す行為を行う者」、が主体)
Q、さて、この判決で最高裁が守ったものは放送局の著作権か?
A、残念ながらノー(まねきTVが著作権収入に与える影響は取るに足らない額)。池田氏が最後に触れているように、まねきTVを禁止することによって、系列局同士の東京の日本テレビと大阪の読売テレビが視聴率を競いあう必要がなくなることが放送局の目的。
最高裁判決の意義は、放送免許制度(=放送の地域寡占体制)という時代遅れのカルテルを、もはや電波が放送のボトルネックではない時代に、期せずして追認した、という点にある。
「カラオケ法理」は、それを適用して何か答えが出るという法則ではなく、行為主体を規範的に捉えるための解釈方針です。本日付の第一小法廷「ロクラクⅡ」事件の金築裁判官の意見において非常に分かりやすく説明されています。池田さんなら熟読せずとも一読すればお分かりになるでしょう。
一方、「まねきTV」の判決文については熟読が必要かと思います。
まず、送信可能化権の制度趣旨は、別に「新しい解釈」というほどのものではありません。
それはよいとして、まねきTV事件のほうも、ロクラクⅡ事件と同様に行為主体を規範的に解釈したものといえそうですが、ポイントは、裁判所が何を判断要素にしているかです。
カラオケ法理という言葉を生んだクラブキャッツアイ事件と同様、客が何に対してお金を払っているかが大きな要素です(万人が納得する結論だったかどうかは別論です。念のため。)。まねきTVもロクラクⅡも、客は機器の設置・運用そのものに着目して対価を支払っているというよりも、やはり著作物を享有できることに価値を見出していると思います。
こういう場合は最高裁の解釈方向が妥当です。
カラオケ法理に対する一種の誤解(諸説あることは確かなようですが)によるものかもしれませんが、法律論を抜きにして日本語として本判決を何度も読んでみた限りにおいても、一般のハウジングやEメールサービスは射程外です。
同じく、市販の機材の所有者が自分に送信する行為も射程外です。
>2
おっしゃる通り、最高裁判決はまねきTVが機器の設置や配線などを行なったことを「主体」の条件としていますが、これは知財高裁判決でも事実として認めています。しかし高裁では、ロケフリが「自動公衆送信装置」ではないと認定したので、まねきTVのサービスも問題ないわけです。
だから決定的なのは、ロケフリが自動公衆送信装置にあたるかどうかで、これについての最高裁の解釈はあまりにも広範囲のデバイスを含んでしまいます。グーグルは配線を行なっていませんが、ホスティング業者は配線どころかアプリケーションのインストールなど、あらゆるサービスを行なっており、もしサーバが「自動公衆送信装置」だとすれば、まず助かりません。
「裁判所が、経済効果を正面から問題するようになれば、より大きな混乱をもたらすでしょう」というのは、たしかにむずかしい問題ですね。那覇地検のように検察が「日中関係」に配慮したりすると、ややこしいことになる面もあります。
しかしアメリカでは、たとえばPosnerの出したAimsterについての判決は、権利侵害の損害とP2P技術の禁止による損害を比較衡量して前者を重視するという論理構成になっています。
http://www.venus.dti.ne.jp/~inoue-m/cr_030630Aimster.htm
もちろんコモンローの国なので、裁判官の考え方が違うのでしょうが、最高裁はもう少し「法と経済学」的なプラクティカルな判断をしてもいいのではないでしょうか(那覇地検のように露骨にいわないで)。
「経済政策等の高度に専門的な判断は立法府に委ねる」というのが筋であることはおっしゃる通りですが、その立法府があのざまだから、せめて司法にはもう少し世間の常識にそった判断を期待したいものです。
自分の感想
私の
1.は、テクノロジの専門家が聞いたら驚いて笑っちゃうような解釈だし(まあ法律的にはOKなんでしょう)
2.は、常識的に判断するならかなり濃いグレーな内容
ライブドア事件というのがあったように、
>法の抜け穴を通ろうとする”行為”は解釈できっちり塞ぎますので通りたかったらまず信用ある大会社の下っ端から40年かけてあがってこいよ、したら通してやるよ。
ってことなのでしょう。(事実、後に発覚したケタが違う粉飾事件は摘発されなかった・・・)
>高裁では、ロケフリが「自動公衆送信装置」ではないと認定(だから決定的なのは、ロケフリが自動公衆送信装置にあたるかどうか)
まじですか??(やはり2が問題??) 総体としての裁判所は信用のないベンチャーには厳しく、有名大会社には甘甘だということか・・・。。
テレビ局自体収益が頭打ちで市場が縮小傾向であることを考えると、今回の勝訴は既得権益に薄い仕切りが1枚増えただけにしかすぎないと思います。
テレビ局は経費削減の影響からか、最近は似たり寄ったりの体たらくな番組しか制作できません。質の悪い番組の著作権を守ることができても、内容がひどすぎるから視聴者からそっぽを向かれるだけで権利を生かせない。
自由競争したくないテレビ局側がいくら「権利」という仕切りをたくさん立てて守ろうとしても、世界と競争しなければならない流れを考えればやがて突き破られると思います。
放送局による自分の首締めオナニーで確定でしょう。逆に実際にどう取り締まるんでしょう?日本の放送を個人で海外に転送するのも簡単ですが、そもそも、朝鮮半島でも日本のBSも地上波も受信できるわけです。
アングラ産業にわざわざインセンティブあたえてませんかねぇ。
小寺氏も言及していますが、アンテナ線を接続せずに受信可能な場合、どう判断されるかを
考えると良いのでは?例えば
・スカイツリーに隣接して面した木造家屋等で、内蔵アンテナだけで済む
・一般のPCを利用し、外観からはTV受信可否を判断出来ない
・一般のサーバとして預かり、保守し、料金等にも差をつけない
・受信関係の設定は、全て所有者がリモートで行う
・公式にはTV受信を謳わない
これが違法と判断されるようなら、同じ環境にある全てのレンタルサーバが違法でしょう。
デジタル放送になってキャプチャのハードルが上がっているので、実際にそういうサービスが
出てくるかどうかは微妙ですが・・・
>池田先生
>だから決定的なのは、ロケフリが自動公衆送信装置にあたるかどうかで、
ここは違います。今回の事例のポイントは、業者が「自動公衆送信の主体」に当たるか、すなわち、業者が「装置のテレビ回線への接続を行っていたかどうか」です。まねきTVはそれを行っていました。だからこそ、「テレビ回線に接続されているベースステーションは自動公衆送信装置である」と判断されたのです。
最高裁は、自動公衆送信装置の定義について、その装置自体の機能に着目するのではなく、「自動公衆送信を行っているかどうか」という「使われ方」に着目するという定義を打ち出しました。これは、ある装置が、使われ方によって、自動公衆送信装置にもなるし、ならない場合もあるという不安定な定義であり、そのことには賛否両論あると思います。しかし、最高裁がそのように定義したのは、機器の機能自体は著作権を侵害しうるものでも、使われ方さえ真っ当であれば、決して著作権違反に問われてはならないという制限を課したものだと理解できます。
>ホスティング業者は配線どころかアプリケーションのインストールなど、あらゆるサービスを行なっており、もしサーバが「自動公衆送信装置」だとすれば、まず助かりません。
最高裁の定義に従えば、サーバはそれによって自動公衆送信を行っていれば、自動公衆送信装置ですし、そうでなければ、該当しません。要するに業者がどういうサービスを提供しているかが問題なのです。サーバの設置自体は決して罪に問われません。私はホスティング業者のサービス内容に知悉していませんが、他者の著作物を自動で配信ないしダウンロードできるようなサービスを提供していない限り、罪に問われることはありません。サーバの利用者同士が、勝手にそのような情報のやり取りをしていても、その利用者が罪に問われるだけで、サーバ提供業者が罪に問われることはないのです。
字数制限の関係で連投失礼します。
>最高裁はもう少し「法と経済学」的なプラクティカルな判断をしてもいいのではないでしょうか。
池田先生のおっしゃるように、日本は制定法の国ですから、裁判官の論理構成はどうしても制定法から演繹的に導くというものになり、裸の利益衡量が判決文の前面に出てくるというは余り見かけません。しかし、裁判官も、制定法から一定の定義や規範を導く際に、その規範が過度に広汎な規制とならないか、新しい真っ当なビジネス等の障害とならないか、常に配慮しており、その際には利益衡量的な視点も取り入れられているように感じます。この点において、コモンローの国の裁判官と大差はない気がします。
>その立法府があのざまだから、せめて司法にはもう少し世間の常識にそった判断を期待したいものです。
裁判官は、常に自分の判断が世間の常識からかい離したものでないか、常に自問自答し、批判にも謙虚に耳を傾ける必要があると思います。しかし、「世間の常識」と呼ばれるものは、常に一枚岩ではありませんし、時に自分の主義主張と異なる意見を糾弾するために使われる概念です。バランスの取りどころは難しいところですが、少なくとも、今回の最高裁は、サーバの設置、クラウド系サービス、ロケフリのような新技術の開発といった真っ当なビジネスに対しては規制を及ぼすべきではないという「世間の常識」にも、十分配慮しているように感じられます。
以上、長文失礼しました。
私は大学で法と経済学を学びましたが、正直個々の事案を処理するという実践に耐えうるものではありませんでした(勉強不足だと言われればそうかもしれませんが)。東京大学法科大学院では法と経済学が履修科目となっていますが、現場の声を聞く限り成功しているとは言いがたいようです。
こうした状況で、裁判官の方に「法と経済学的」なプラクティカルな判断を求めるのはなかなか厳しいと思います。アメリカで(のみ)法と経済学が流行しているのは、やはりコモンローという特殊性があるのでしょう。
それでも紛争解決にもっと経済学的要素を考慮していきたいというのであれば、むしろ調停や仲裁といったADRを積極的に利用する方向性を模索したほうがいいかもしれません。例えば調停であれば、「中山信弘先生と池田信夫先生と小倉秀夫先生の3名に本件での調停をお願いする」ということも出来なくはありません。また、アメリカのビジネス調停だと原則として審理は一日で終了するようです。
もちろん大企業が裁判手続という手法を手放すことは現状では考えにくいですし、ADRについては課題が山積しています。
でも、この3名による調停って興味ありません?
toeic_990pointsさん
最高裁のまねきTV判決に則って、次のような例をどう思われますか?
Yahoo Japan などのサイトでは、ウェブページの翻訳サービスをしています。
このサービスでは、例えば http://www.nhk.or.jp(NHKのホームページ)を入力して
「日⇒英」を選択し翻訳ボタンをクリックすると、
NHKのホームページを英語訳して表示してくれます。
つまり、使用者の指示により、Yahoo Japan が設置した翻訳用のサーバーがNHKのホームページを取り込み
英語翻訳した内容を、使用者に送ることで実現しています。
これは、本エントリの2番目のコメントでの定義によれば、
①Yahoo Japanは、機器の設置だけでなくインターネットへの接続などを使ってNHKからの情報入力まで行っており、
「自動公衆送信の主体」に当たる、
②同サービスは誰でも利用できるため、「送信主体であるYahoo Japan から見て」、
「不特定多数への送信」となり「自動公衆発信」に当たる、
(この際、ホームページ情報の使用については問わないとする)
つまり、最高裁の判決に従えば、著作権法違反ですので、この翻訳サービスは止めさせるべき。
素人判断は以上のようになりますが、どう考えますか?
いったい
>知財高裁の事実認定も「自動公衆送信の主体はまねきTV」でこの点は最高裁と同一。
だったのでしょうか、違うのでしょうか。それとも知財高裁は下記の判断を示しているので「主体」に関しては言及しなかったのでしょうか。
http://news.braina.com/2011/0118/judge_20110118_001____.html
「ベースステーションは(中略)自動公衆送信装置にはあたらない」として、控訴を棄却。
14のmariwkmax です。
知財高裁と最高裁の両方の判決文を読みました。
知財高裁は「ベースステーションは自動公衆送信装置ではない」から「自動公衆送信装置でない物にアンテナを繋ごうがネットに接続しようが、送信可能化行為に該当しない」というロジックで、主体が誰かという判断に至っていません。
同様に、「今回の事例のポイントは、業者が「自動公衆送信の主体」に当たるか、です。(中略)だからこそ、「テレビ回線に接続されているベースステーションは自動公衆送信装置である」と判断された」というのも、ロジックの前提と結論が入れ替わってます。
>業者が「装置のテレビ回線への接続を行っていたかどうか」です。まねきTVはそれを行っていました。だからこそ、「テレビ回線に接続されているベースステーションは自動公衆送信装置である」と判断された
は誤だと思います。
>業者が「装置のテレビ回線への接続を行っていたかどうか」です。まねきTVはそれを行っていました。だからこそ、「まねきTVは自動公衆送信の主体である」と判断された
であれば正だと思います。
やっぱり「装置」の定義の問題なんじゃないの?と考えます。
一番インパクトが大きいのは最高裁が「使われ方」以前の段階である送信可能化権を正面から認めたことですから、
toeic_990pointsさんの
> 使われ方さえ真っ当であれば、決して著作権違反に問われてはならない
という命題には論理的違和感を感じます。多くの方の関心は送信可能化権が広すぎることにあると思います。(判決から上記の判断ラインが導出できるかも疑問に感じます)
> 真っ当なビジネス
シード段階からクリーンなネットビジネスなんて存在しません。二次著作権の侵害なしにはグーグルは成立しなかったし、今度IPOするグルーポンだって十分にうさんくさいものです。
「真っ当」という言葉は、凡人を越えた判断能力を備えているという自信を持つ人間のみが使用可能だと思いますが、そういうのは司法界の特徴なのでしょうか?やはり最高裁は知財高裁に対してもっとデリカシーを持つべきでなかったかと思います。
>mariwkmaxさん
説明不足で失礼しました。もちろん本件の最初のポイントは「自動公衆送信装置」の定義です。ここで知財高裁の判断を採用すればそこで終わりですから。知財高裁は、装置の機能自体に着目しましたが、最高裁は、「受信者からの求めに応じ自動的に送信する機能を有する装置は・・当該装置を用いて行われる送信が自動公衆送信であるといえるときは,自動公衆送信装置に当たる」として、使われ方に着目した定義を採用しました。
私が、まねきTVが自動公衆送信の主体と判断されたことがポイント、と述べたのは、池田先生の御批判が、「この判例ではクラウド等も規制対象になってしまう、だからダメだ」というものだったので、そのご批判に対しては、この判例でも、クラウド等は規制対象になりませんよ、と述べたかったためです。つまり、最高裁は、自動公衆送信装置の定義は広く解釈しましたが、「どのような行為を行えば自動公衆送信の主体となるか」という点で規制対象に絞りがかかります。その点を強調したかったため、上記表現となりました。
>>業者が「装置のテレビ回線への接続を行っていたかどうか」です。まねきTVはそれを行っていました。だからこそ、「まねきTVは自動公衆送信の主体である」と判断された
>であれば正だと思います。
説明が2段階抜けてしまいました。まねきTVがテレビ回線への接続を行っていた→同TVが自動送信の主体→不特定多数へのサービスであり自動公衆送信→よって、最高裁の定義に照らし、自動公衆送信が行われた機器であるベースステーションは自動公衆送信装置に該当、ということを述べたかったのだとご理解下さい。ベースステーションの所有者自身がテレビへの接続を行っていれば、送信の主体は所有者となり、ベースステーションは自動公衆送信を行う機器とならず、自動公衆送信装置にも該当しないことになります。
>tadhogeさん。
「真っ当な」という用語を使ったことで、司法関係者が絶対的な「真っ当さ」を判断できると考えているかのような誤解を与えてしまったのであれば、私の本意ではありません。私の知る限り、司法関係者はそこまで傲慢ではありません。クラウド等のサービスへの規制が及ばないはずであるということを強調する意味で使ったものとご理解頂ければと思います。
また、御指摘頂いて気付いたのですが、私の書き方だとまねきTVのビジネスモデルが真っ当でないと言っているように読めてしまいます。もちろん今回の判例で著作権法違反が認定されたので、最高裁判例に従う限り現行法には違反するのですが、ビジネスモデルとしては多くの人のニーズに合致していますし、諸外国でも規制の対象にならないところもあるとのことですから、これは立法政策の問題であるように思われます。誤解を与える表現を使ってしまったことをお許し下さい。
>can39sblogさん
個別具体的なサービスの適法性についてのコメントは差し控えるのが適切かと存じます。ご了承ください。
toeic_990pointsさん
ご意見を伺うことが難しいことは、理解しています。
ですが、ITサービスに関わるエンジニアとして、法律論は良く解りませんが、今回の判決の影響、つまり裁判官が考えておられた”射程”を知りたいと思っています。
以下は私が考える射程の範囲についての独り言として聞いていただきたいです。
もし Yahoo Japan の翻訳サービスがクロなら、ドコモの iMode も危ない。
iMode では携帯電話からインターネットにアクセスできますが、インターネット網とiMode網との間にゲートウェイサーバーが存在しています。
このサーバーは、携帯電話からの指示を受けてインターネットにアクセスし目的のページを読込み携帯電話に送り出すことをしています。つまり送信主体で自動公衆送信をしています。
開始から10年以上、5千万人が利用するサービスに影響があれば、大変なことになります
>池田先生
何度も投稿失礼します。自分の投稿を読み直して、問題点の理解が不十分でしたので、補足します。
池田先生ご指摘のとおり、本判決は対象を「テレビ配信」に限定しておらず、インターネット情報等が一度サーバーを経由して配信される以上、サーバー業者等も、文面上は「送信主体」になり得ます。私は本事例のような他人の著作物の直接的な転送を念頭に置きすぎたため、建前上は適法なインターネット情報への接続は問題がないという予断が入ってしまい、理解が甘くなってしまいました。自分の理解不足を恥じるとともに、誤解に基づく無礼な批判があった点を率直にお詫び申し上げます。サーバー、クラウド等がこの判例の射程に入るのかどうかは、プロバイダ責任制限法の点を除けば、不特定者への著作物の転送(それ自体違法な行為)のみを目的とした本件のようなサービスと、インターネット情報への接続サービス(建前上は適法な情報への接続)が同視できるのかという問題になってくるでしょう。
「法と経済学」的な視点が、どれだけ日本の法制度で取り入れられ得るのかという点、私も今後じっくりと考えてみたいと思いますが、究極的には、司法が経済的合理性を過度に斟酌することはできないということはご理解下さい。「法律的に正しくても、経済的に大きな損失を出すからおかしい」という論法は、司法への批判と立法府への批判を混同しているとの反論を常に呼び起こしてしまいますので、その点を踏まえて、今後も司法に対して忌憚なきご意見を頂ければと思います。
以上、長々と失礼致しました。
池田さんとtoeic_990pointsさんのやりとり大変建設的で興味深く拝見しております。
今回、最高裁は、「送信の主体は誰か」「自動公衆送信にあたるか」という定義を、拡大解釈したわけですが、この拡大解釈は法律論的に言って問題ないと言うことでしょうか。
判決文には拡大解釈する理由として、「・・・著作権法が送信可能化を規制の対象となる行為として規定した趣旨,目的は・・」とあります。
著作権報は、違法アップロードや海賊版DVDのようなサービスは前提だと思いますが、まねきTVのような機器を預かるサービスについては前提となっていないと思います。
本来、立法し直すべき問題だと思うのですが、裁判所がここまで解釈を広げてしまうと言うことに関しては法律論的に問題なのでしょうか。
補足します。
そもそも、ロケフリの場所貸しという新サービスが法律の趣旨(この場合送信可能化にあたるか)に反しているかを問う裁判のはずなのに、
・送信可能化の趣旨に反している → “送信の主体”はこういう定義だ
という論法を適用し、”送信の主体”という定義を変え、”自動公衆送信”の定義も変え、”送信可能化”に当たるという結論にしてしまいました。
説明の順序が逆さまな気がします。
こういったことは法律論的に通用するのかお伺いしたいです。
教えてください。
1)ここで、NHKの受信料とはという議論が有りませんが、NHKの立場は、チューナー(ロケフリ)の所有者が受信料を払い著作権の料金がもらえて問題は無くなるという立場ではないでしょうか?
2)情報(番組)を送信するためには受信行為が必要ですが、この場合まねきTVは、受信者となるのでしょうか?著作権で扱う受信とは、番組内容という心に響くもので、電波とかネットとか物理的な要素は単なる接続点で関係ないと思いますが。
3)「放送可能化」の情報を入力とありますが、ここでの「情報の入力」とは機器にIDとパスワードを入れる行為なのか、上記の「受信」した番組を再送信する行為なのでしょうか?
もし、前者であれば、ユーザーがこの情報を入力して、まねきTVに預けた場合も違法となるのでしょうか?
4)これから損害賠償額の計算に入ると思いますが、民法の場合、見ていただく人が多いと、(スポンサーと民法に)利益が出るのではないでしょうか?そうするとお金が戻ってきますが?