今日は12月8日。大東亜戦争が勃発した日だ。
終戦の日には、毎年、戦争について語られる。その際に強調されるのが戦争の悲惨さだ。確かに、戦争は悲惨であり、多くの人々が悲しんだ。歴史的な事実であり、そこに嘘はない。
だが、戦争には開戦に至る経緯というものがあり、掲げた理屈というものがある。何も理由もなしに戦争を始めるということはありえない。何故、日本人の多くが戦争を支持したのか。その部分を見つめなければ、本当の意味での反省などありえない。
以下、拙著『人種差別から読み解く大東亜戦争』からの抜粋だ。 何故、日本国民の多くが戦争を支持したのかを人種差別という観点から、読み解こうとしたものだ。
平成七(一九九五)年八月十五日、当時の村山富市総理が、戦争に関する談話を発表しました。いわゆる「村山談話」です。この談話の発表以来、基本的に全ての内閣がこの談話で示された歴史認識を踏襲しています。 私は、この村山談話には大きな問題点があったと考えています。
「お前は日本軍の侵略を認めない歴史修正主義者か」といきり立つ前に、冷静に村山談話を振り返ってみましょう。
村山談話には次のような一節があります。
「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」
「その通りだ。日本はアジアを侵略し、多大の損害と苦痛を与えた」と一気に納得せずに、もう少し、お付き合いください。
これは何気ない文章のように思われるかもしれませんが、よくよく考えてみると不思議な文章です。わが国が国策を誤り、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略に手を染め、アジア諸国の人々に対して、多大の損害と苦痛を与えたというのです。
「我が国」が「植民地支配と侵略」によって、「アジア諸国の人々」に対して「多大の損害と苦痛を与えた」というだけならば、認識の相違はありますが、理解は出来る文章です。
単純に、我が国が他国に迷惑をかけ、申し訳なかったという話です。
しかし、この文章は、そうした我が国と他国との関係だけを記述したものではありません。「我が国」と「国民」との関係についても言及しているのです。私が理解できないのは「我が国」は「国民を存亡の危機に陥れ」の一節です。一体、「我が国」の誰が国民を存亡の危機に陥れたというのでしょう。
「何をバカなことをいうのだ。そんなのは、当時の政府のリーダーであり、軍部の指導者に決まっているではないか」
という、反論の声があがるかもしれません。
確かに当時の政府の責任者、軍部の責任者に責任があったのは確かでしょう。それは否定の出来ない事実です。政治家として、軍人として、祖国を敗戦に至らしめた責任は重いといわざるをえません。
しかし、国民は一方的に「存亡の危機」に陥れられただけの被害者だということは出来るのでしょうか。そして、戦争を熱烈に推進し、戦争反対の声をあげようものならば、「売国奴」よばわりしていたマスメディアの責任も存在しなかったことになるのでしょうか。
私はこの部分に大いなる違和感を覚えるのです。
戦前、戦時下の日本における消費や観光に着目した面白い研究をしているケネス・ルオフという学者は、冷静に次のように指摘しています。
「(戦後)日本を戦争の暗い谷間へと引きずりこんだとして、漠然とした少数の『軍国主義者』を非難することが通例となった。しかし、国民の支持がなければ、全面戦争の遂行などできるわけがないのだから、これは奇妙な言い草だった」( 『紀元二千六百年 消費と観光のナショナリズム』朝日叢書、xi頁)
ルオフは、戦前の日本で愛国主義的な雰囲気が盛り上がっていたことを指摘していますが、それはただ政府が盛り上げていただけなく、国民の側もそれを喜んでいたことを指摘しているのです。
騙した指導者と騙された国民。
こういう加害者と被害者の単純な二項対立は成立しないはずなのです。
明らかに、当時の日本国民は戦争を支持し、マスメディアも開戦を熱烈に支持していました。この歴史的な事実が忘れ去られようとしています。まるで、国民は戦争指導者によって騙されただけの存在であったかのようにあつかわれていますが、戦争を熱烈に支持ていたのは国民自身なのです。
村山談話は、単純に我が国の「侵略」を反省するだけの談話ではなく、我が国の国民が熱烈に戦争を支持ていたという歴史の真実から目を背けている談話なのです。
他国に対する謝罪以前に、我々の先祖たちは、何故、あの無謀ともいえる戦争を熱烈に支持していたのだろうか、という部分を明らかにすべきでしょう。自分たちに都合の悪い部分には目を塞ぎながら、謝罪と反省を繰り返したところで、それは本当の意味での謝罪にも反省にもならないはずです。
大東亜戦争開戦時、多くの国民が開戦を支持しました。
この歴史的な事実に目を向けたうえでこそ、本当の意味での反省があるのではないでしょうか。
一握りの狂信集団に騙され、国民は戦争に巻き込まれ、アジア諸国には迷惑をかけた。こうした歴史認識は、あまりに偏っているといわざるをえません。
何故、日本国民の多くが、あの戦争を支持したのでしょうか。
現代でも多くの若い人々を魅了する『人間失格』、『斜陽』の著者として有名な太宰治の小説「十二月八日」の中に、その手掛かりがあります。(なお、この「十二月八日」は、インターネット上の青空文庫で全文を無料で読むことが可能となっています。)
十二月八日とは、昭和十六年十二月八日を意味しています。いうまでもなく、日本海軍が真珠湾攻撃を敢行した日米開戦の日のことです。
小説はこのような形ではじまります。
「きょうの日記は特別に、ていねいに書いて置きましょう。昭和十六年の十二月八日には日本のまずしい家庭の主婦は、どんな一日を送ったか、ちょっと書いて置きましょう。」
日米開戦が始まったその日、一般的な主婦がいかに感じていたのか。
それがこの小説の主題です。
果たして、戦争を悲しみ、呪っていたのでしょうか。
困窮する生活を訴え、一日も早い終戦を願っていたのでしょうか。
全く違います。
日米開戦に歓喜する主婦の悦びに満ち溢れた一日が描かれているのです。
朝、ご飯の準備をしようと子供に乳をやっていると、どこからラジオの声が聞こえてきます。
「「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明西太平洋において米英軍と戦闘状態に入れり。」
日米開戦を告げる重大な一報でした。
この一報を受けた主婦の感想は次のようなものです。
「しめ切った雨戸のすきまから、まっくらな私の部屋に、光のさし込むように強くあざやかに聞えた。二度、朗々と繰り返した。それを、じっと聞いているうちに、私の人間は変ってしまった。強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹を受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。」
戦争を憎む気持ちなど微塵も感じさせない叙述です。我々、戦後の日本人の大方の予想とは異なり、日米開戦の一報に、この主婦は感激しているのです。勿論、この後の辛く、苦しい戦争生活を知らないからこそ、このような感覚を抱いたのでしょう。しかし、ここで確認しておきたいのは、開戦当初、多くの日本国民が、この主婦のように日米開戦を支持していたという事実です。
この主婦は次のようにも述べています。
「いやだなあ、という気持ちは、少しも起こらない。こんな辛い時勢に生まれて、などと悔やむ気がない。かえって、こういう世に生まれて生甲斐をさえ感ぜられる。こういう世の中に生まれて、よかった、と思う。ああ、誰かと、うんと戦争の話をしたい。やりましたわね、いよいよはじまったのねえ、なんて」
暗い戦争の時代という現在の我々のイメージとは全く異なる感覚です。戦争がはじまった時代に生まれて「生甲斐」を感じるというのは、現代の感覚からすれば、不謹慎そのものでしょうが、当時の人々がそう感じていたという事実を無視することは出来ません。
では、どうしてこの主婦は、ここまで熱烈に日米開戦を支持しているのでしょうか。
戦争そのものを好む好戦的な気分が漲っていたのでしょうか。
この手がかりも主婦の叙述の中にあるので、引用してみましょう。
「台所で後かたづけをしながら、いろいろ考えた。目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起こさせるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい。支那を相手の時とは、まるで気持ちが違うのだ。本当に、此の親しい美しい日本の土を、けだものみたいに無神経なアメリカの兵隊どもが、のそのそ歩きまわるなど、考えただけでも、たまらない。」
引用した中にある「支那(シナ)」とは、中国のことです。そうです。この主婦は、今回のアメリカ相手の戦争は、中国を相手にした戦争とは「まるで気持ちが違う」というのです。
何故、中国相手の戦争とアメリカ相手の戦争とでは、「まるで気持ちが違うのでしょうか」。
その手がかりも引用した一節の中にあります。
「目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起こさせるものか」
黄色人種である中国人相手の戦争と、白人であるアメリカ相手の戦争とでは、気分が違うというのです。現在、我々は「人種」という問題をあまり意識することはありません。しかし、戦前の日本では、この「人種」が非常に大きな意味をもっていました。
本書は「人種」、とりわけ「人種差別」の問題から、あの大東亜戦争を説明してみようという試みです。
勿論、いうまでもありませんが、「人種差別」の問題だけが、戦争勃発の要因ではありません。歴史とは様々な原因が複雑に絡み合って生じた出来事であり、たった一つの理由だけで、大東亜戦争を説明できるはずがありません。
しかし、現在、日本国民の多くが大東亜戦争を支持したという事実が忘れ去られ、まるで日本国民は一部の戦争指導者に騙された被害者であったかのような議論が横行しています。
間違いなく日本国民は日米開戦を熱烈に支持しました。そして、この背景には、明治維新の開国以来、日本がアメリカを始めとする白人による人種差別を受け続けているという被害者意識、そして、憤りの念が存在していました。
この人種問題に着目し、何故、日本国民があの無謀ともいえる戦争を支持したのか、その一つの理由を理解しようというのが本書の試みです。人種問題という非常に大きな問題を扱う為、時間的にも、空間的にもかなり大きな話になりますが、本書が何らかの形であの戦争を理解するための一視座を提供するものであれば幸いです。
編集部より:この記事は岩田温氏のブログ「岩田温の備忘録」2015年12月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は岩田温の備忘録をご覧ください。