韓国人はなぜ平気で「たかる」のか

池田 信夫
朝鮮紀行~英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

北朝鮮の水爆実験(?)のおかげで、韓国も慰安婦どころではないだろう。50年前に日韓基本条約で解決した請求権問題をいつまでも蒸し返す彼らの性癖は、アゴラチャンネルで大反響を呼んだ金慶珠氏のような在日にも受け継がれ、「戦勝国として20億ドル請求した」などと真顔でいっていた。

こういう神経は日本人には理解できないが、正月に本書を読んでその原因がわかった。これは日清戦争の後にイギリス人の作家が朝鮮を訪れて書いた旅行記だが、同じ時期に訪れた日本との大きな違いに驚いている。遺伝的には同じで、国民の体力も資源も日本より恵まれているのに、朝鮮が恐ろしく貧しい原因を、彼女はこう書いている。

朝鮮の重大な宿痾は、何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている、つまり人の親切につけこんでいるその体質にある。そうすることをなんら恥とはとらえず、それを非難する世論もない。ささやかながらもある程度の収入のある男は、多数いる自分の親戚と妻の親族、自分の友人、自分の親戚を扶養しなければならない(pp.556-7、強調は引用者)。

これは朝鮮に固有の問題ではなく、中国文化圏では親族にたかるのは当たり前だ。宗族と呼ばれる数万人の親族集団の中で一人が科挙に合格すると、彼は自分を勉強させてくれた親戚を宮廷に入れて養う権限と義務を負う。彼にたかる親族は、それを当然と考えている。

それでも中国の科挙はきびしい客観テストで選抜されたが、朝鮮の両班は縁故採用になったため果てしなく拡大し、イザベラ・バードが旅行した時期には、人口の半分は公務員だったという。ここでは国が「大きな親」として果てしなくたかられる。

日本ではこれに対して、古代国家も親族集団もあまり発達しないで、中世以降は「家」のような小規模な機能集団(社団)に再編成された。その規模はたかだか数百人だから、親にたかることはむずかしい。特に農家は江戸時代以降、数世代の小家族になったため、「自分の食い扶持は自分で稼ぐ」ことが家の規範になり、「勤勉革命」が起こった。

だから日本は東アジアでは例外的に個人の自立が早く、近代社会になじみやすかった。もちろんそれは孤立した個人ではなく、会社や学校のような社団に依存しているのだが、韓国のように「国にたかるのは当たり前」という規範はない。

これはバードも指摘するように、どっちがいいか悪いかではない。2000年以上にわたって中国という「大きな親」にたかってきた朝鮮民族がそう考えるのは自然であって、日本人は幸か不幸か、たかることができなかっただけの話だ。明日からのアゴラ経済塾でも、こうした文化の違いを踏まえて、政治問題を経済学のロジックで冷静に考えたい。