学習院なら大丈夫なのではない
悠仁親王殿下の中学校の机の上に刃物が置かれていた。別に学習院だったら防げたというものでもあるまい。
むしろ、秋篠宮家で学習院を嫌われたのは、愛子様の学業や日ごろの様子についての情報の流出が酷すぎて不信感をもたれたのも一因と言われている。それに加えて、愛子様が休みがちであるとか、皇族らしく育っておられるかと言えば、むしろそういう誘導はしないというような現実もあった。
さらに、佳子さまが最初に入学された教育学部での第二外国語が中国語か韓国語しかできないようになっているとか、中国や韓国への研修旅行があるなど微妙な問題もあるなど、学習院の左傾化も甚だしいのである。福島瑞穂さんが長く学習院女子大学の客員教授だったというからも、世間の人の学習院のイメージと実態がだいぶ違うことの証しかもしれない。
それに対して、御茶ノ水大学附属小学校は、かなり丁寧な教育もしていたし、悠仁様の日ごろの様子が漏れ伝わることもあまりなかった。小学校がある意味で職員や父兄を厳しく指導して厳戒態勢をとっていたのである。
それが、中学校に進学されたところに隙があったのではないかと思う。そういう意味では、これからは、少々、不満が出ても厳しい鉄のカーテンならぬ菊のカーテンが下ろされるのかもしれない。
それでもダメなら、それこそ、ご学友も厳選した学習院の特別クラスでも別途、設けるしかあるまい。
皇族、とくに皇嗣候補者の教育はなかなか難しいもので、大正天皇は小学校を中退されることになったし、今上陛下もエリザベス女王戴冠式出席のための訪欧のために卒業できないまま学業を修了されたのである。
そういう意味では、昭和天皇がご健在であったこともあり、浩宮殿下(皇太子殿下)は比較的に気楽な学生生活だったが、それでも、女子学生と自由にお付き合いできるような環境で無く、それがのちのお妃選びの難航につながった。
悠仁様派と愛子様派の対立はテロにもつながる
しかし、今回の事件にはもうひとつの背景がある。それは、皇族に対するテロの危険性は、皇位継承候補者が少なすぎるから非常に肥大化しているのである。
テロによって皇室制度の興廃に直接にかかわる状況がありうるようになっているのであるわけで、そのことは私もたびたび指摘してきた。 英王室の継承候補は5000人くらいいるからテロなど起こしてもびくともしないからテロも起きない。
それでは候補者が何故、すくなくなっている原因は何かと言えば、平成の御代にあって佞臣どもが今上陛下の子孫に皇位継承を限定しようとして伝統的なルールを変更させようとして混乱をもたらしたことにすべての責任がある。
江戸時代も四つの宮家を常に置いていたし、明治になると、江戸時代のように不要な男子を出家させると言ったことも無くなったので、皇族の数は10家ほどになった。しかも、明治天皇の四人の皇女を伏見宮家系の男子と結婚させて、皇統断絶に用意周到に備えたのである。
ところが、平成の御代にあっては、陛下自身がそんなことを考えられたはずも無かろうが、佞臣たちがさまざまな理由を付けて将来にわたって皇位継承を愛子様・眞子様・佳子様という三人の孫に限定させようとして皇室典範改正を企んだ。
皇位継承を安定させるためといったが、たった三人の、しかもそれぞれ近いDNAをもった三人の女性の子孫が何百年もそれ以上も続くことの確実性などないのである。
幸いそのときの君主の子孫が継承できるように正統性の源泉である長い伝統を変更するなどということは、悠仁様の誕生でとりあえず阻止された。
しかし、そのときどきの君主の子孫に皇位継承を限定しようといったんすれば、その次の御代には、また、同じことを考える不逞の輩が出るのは必然だ。平成の陛下の子孫にという議論が正義なら令和になったら令和の陛下の子孫にといいだす輩が出る。
だから、私は、皇太子殿下の即位を控えて新陛下の子孫に皇位継承をという勘違い佞臣が必ず登場するというのも予告していた。つまり、悠仁殿下でなく、愛子様を天皇にということだ。
日本が日本である源泉は伝統的な論理によって引き継がれてきた皇室のもとへの結集でであって一人一人の天皇や皇族への諂いでははいはずだ。そうでないなら、道鏡を天皇にと運動したのが忠臣で和気清麻呂は逆臣になってしまう。
また、付け加えるに、テロについて言えば、小室圭氏を婚約者なのか違うのか中途半端なまま放置することも極めて危険だ。それも、いったん婚約解消にすべきだと考える理由の一つだ。
(私は多くの保守派と違って女系の継承を全面的に否定はしていない。ただし、従来のルールでの継承を可能にする努力もせずにというのはおかしいとしている。私は男系、女系、合わせ技のすべての可能性を探り100人程度は候補者を確保すべきだとしているし、具体的な方法も提案している。参考:『誤解だらけの皇位継承の真実』)