2020年も例年通りの大学生活が送れる。年明け直後、僕と同年代の大学生はそう思っていたのに違いない。いつも通りキャンパスに授業を受けに行き、バイトやサークルに励み、将来何をやりたいかについてをぼんやりと考える。
しかし、そのような一年とはならなかったことは周知の事実であり、2020年は自分が当たり前だと思っていたものがことごとく否定された一年になった。
崩れ始める当たり前
日本で最初のコロナ感染者が出たというニュースが発表されたとき、僕はアメリカ・バージニア州に居た。待ちに待ったアメリカ留学がスタートしたばかりでウキウキしていた当時の僕は、そのニュースを深刻に取らず、その他ほとんどのニュースのように、自分に直接的に影響がないものであると安直に考えていた。
だが、その考えは意外に早く否定された。留学が始まって2か月も立たない内にアメリカでも最初の感染者が確認され、瞬く間にアメリカ全土にコロナの波は広がっていった。それと同時にアメリカ各地の大学が一斉にキャンパスを閉鎖し、オンライン授業に移行し始めた。僕の留学先も同様に決断を行い、学期の残り半分はサウスカロライナ州の叔母の家でオンライン授業を受けることになった。
待ちに待った留学から一転、スーパーでの買い物以外は叔母の家を出ることができない生活を数か月間送ることになった。当時、自分が置かれている環境の変化が早すぎて、何が何だか分からない状況にあった。
帰国して気づいた現実
悪化する一方の状況を鑑み、5月に日本に緊急帰国することになったが、日本にさえ帰れば、当たり前だと思っていた世界に戻れると思っていた自分も居た。しかし、それはただの願望に過ぎなかった。
アメリカから日本への帰国便は全席マスク着用が義務付けられ、日本到着後はPCR検査を空港で受け、結果が出るまで政府が指定したホテルで2日間監禁状態。さらに2週間東京での隔離生活。ようやく地元の四国に帰郷したものの、コロナ感染者がいわれのない差別を受け、危害を加えられるという報道すらあった。在籍する秋田県の大学のキャンパスに戻ることも叶わず、実家で一日中パソコンと睨めっこしながらオンライン授業を受ける毎日。
自分が帰ってきた日本は自分が当たり前だと思っていた社会ではなかった。コロナという見えない敵に対して人々がパニックに陥り、感染拡大防止という名目で個人の自由が制限されるという、それまでに自分が当然視していた社会と180度違うものであった。
先の見えない不安
今、大学3年生の自分は、来年からぼちぼちと大学卒業後の進路について考えなければならない。しかし、自分の進路がコロナのせいでぼんやりとしか見えてこない。
西村康稔経済再生相は先月30日、「(感染拡大が続けば)より強い措置をとらざるをえなくなる。経済に大きな影響が出て、若いみなさんの今後の就職活動も影響を受ける」と記者会見で話した。
西村大臣に言われるまでもなく、企業によっては採用計画を縮小させるところもあれば今年度中は採用活動を中止するというところもあるだろうことは僕たちも学生も分かっている。
今年の10月の大学生の就職率の下げ幅が前年度比でリーマンショック以来の下げ幅であるというニュースも流れた。
日本の経済が落ち込んでいき、社会に閉塞感が漂っていく中で、大学生の進路の幅は徐々に狭くなっていっている気がしている。僕はそれに対して先の見えない不安を覚え、それを抱えて生活している。
そして、似たような不安を抱えている大学生は日本中に居るであろう。コロナによって、当たり前に享受することのできていた学生生活を奪われ、さらには、卒業後の進路まで制限を受ける。すでに遠い昔のように感じる当たり前のキャンパスライフが戻ってくることを、切に願っている。
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鎌田 慈央(かまた じお)国際教養大学 3年
徳島県出身。秋田県にある公立大学で、日米関係、安全保障を専門に学ぶ大学生。2020年5月までアメリカ、ヴァージニア州の大学に交換留学していたが、新型コロナウィルスの感染拡大により帰国。大学の学生寮が閉鎖され、現在は同級生たちとハウスシェアをしながらオンライン授業を受ける毎日。