現代人の一日を見ると、喫煙、コーヒー(カフェイン)、炭水化物(糖質)、スマホゲーム、仕事、さらには、SNS、パチンコ、買い物、セックスなど、依存症のリスクだらけです。原田隆之さんの「あなたもきっと依存症 「快と不安」の病」によると、そこには現代人特有のリスクがあることに驚きを覚えます。
依存症はわが国で最も多い病気
実は、日本で最も多い病気の一つが依存症だそうです。たとえば、喫煙人口は減ったといっても、まだ1800万人を超えています。依存症の人をのべ人数とすると、約5000万人にもなるそうです。
日本は世界的に見ても薬物使用人口が非常に少ないです。けれども、毎年一万数千人ほどが覚醒剤取締法違反で検挙されています。再犯率は30%ほどでとても高くなっています。
人はなぜ依存症になるのか
人はなぜ、このように依存症になってしまうのでしょうか。それは、人間というものは、進化の過程で、依存症になりやすい遺伝的基盤を持っている人が生き残ってきたからだそうです。
われわれの脳の中には、「快」に対して敏感に反応する回路、「快感回路」があります。この回路のおかげで、さまざまなことから「快」と喜びを得て、快活で豊かな人生を送り、種としても繁栄することができたのです。ただし、原始時代とちがい「快」をもたらす刺激にあふれている現代は、依存症のリスクがひじょうに高まっています。過剰に「快」を求め、「害」をもたらすようになってしまったのです。
社会の変化は人間の進化のスピードをはるかに超えています。今や「快」を生み出す刺激にあふれる社会となってしまいました。大量のアルコール飲料、合成薬物、ギャンブルマシン、性的刺激、糖やインターネットなど、苦労しなくてもすぐに手にいれることができます。刺激は世界中にあふれているのです。
そのために、生存のために機能していた快感回路は、今や溢れるドパミンの奔流の中でコントロールを失いてしまいます。次々と飽くことなく「快」の奴隷のようにわれわれを突き動かすようになってしまいました。
依存症と責任
著者によると、依存症は治るそうです。ただ、依存症を克服するためには患者本人の十分な努力が必要となります。そして、油断するとすぐに再発します。したがって、この先もずっと気を抜かないように努力する必要があります。そのためには「セルフ・マネジメント」が必要です。もちろん医療的支援は必須ですが、最終的には自己管理であり、あくまでも主体は本人となります。
本書には、「快」があふれた現代社会で、依存症にならないための対処法や治療法も書かれています。
なんでもかんでも依存症にするな
一方、このように依存症の概念が拡大を続けるなかで、「なんでもかんでも依存症にするな」という意見が出てくる。また、健康のために酒をやめろ、タバコをやめろ、挙句のはてにはもゲームもやめろというのは窮屈で仕方ないという意見もあります。
「愚行権」はもちろんあります。しかし、一方でわれわれは自らの意志で、自由に喫煙や飲酒、食事をしていると無邪気に思い込んでいます。自由意志で飲み食いできているうちはいいのです。しかし、依存症とは「がまんしたければがまんすればいい」などという気楽なものではないのだそうです。もはやそこに「自由」はなく、依存の対象に振り回される「不自由」しかなくなります。
依存症は人間的である
依存症を見ていると、われわれは精神力や気合、根性で乗り切れることは非常に少ないと感じます。「スマホ脳」にもありましたが、「報酬系」に取り込まれてしまうと、その依存を断ち切るのはひじょうに難しいものとなります。
「なんでも依存症のせいにするな」という意見はもちろん理解できますし、責任の所在はどうなるのだという問題もあります。しかし、意識自体は生物の歴史ではわりと最近できた機能ですし、人間のように中長期的な感覚を保ったり、幻想を維持できる生物はほかにいません。
依存症を考えていると、自由意志や信念という概念は少し怪しくなってきます。依存症を理解することは、その問題点や対策だけでなく、人間というものを理解することにつながるのだと思います。
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