民主党は、官房長官などの記者会見を記者クラブ以外にも開放する方針を打ち出しています。これは当然のことですが、この機会にメディアの側も記者クラブを見直してはどうでしょうか。欧米にもpress clubはありますが、文字どおり記者会見などのときだけ使われるクラブで、各社の記者が24時間はりついて家賃も電気代も役所もちで、一緒に麻雀するような奇習は、世界のどこにもありません(韓国も廃止した)。それは官民癒着の象徴であるばかりでなく、経営の苦しくなってきたメディアにとっても重荷になっているのです。
私がNHKに勤務していた15年以上前から、社内でも「あんなにたくさんクラブに要員を貼り付けるのは無駄だ」という批判がありました。特に効率が悪いのは社会部で、当時は警視庁だけで30人近い記者がクラブにいました。警視庁だけではなく、6つの方面本部にそれぞれ数人の記者がいて、警視庁キャップは部長なみの権力をもっていました。私のようなディレクターは傍流の「遊軍」で、遊軍キャップの池上彰さんとはよく一緒に仕事をしましたが、彼も「サツ回りが多すぎる」とぼやいていました。
サツ回りの仕事の9割は交通事故とか火事とか傷害事件で、ほとんどニュースになりません。このごろは警察発表がそのまま電子メールで通信社に流れて配信されるので、クラブの意味もない。記者の中でも「発表ものは共同通信の原稿でいいじゃないか」という意見が前からあるのですが、「サツネタは報道の基本だ。それをおろそかにすると取材力がなくなる」とかいう精神論に阻まれ、各社横並びで非生産的な深夜労働が続けられています。こういう徒弟修行がキャリア形成に組み込まれているのも、官僚機構とよく似ています。
しかし後輩の話をきくと、こういう不毛なサツ回りも、最近はかなり減ったようです。今度の政権交代で、「ぶら下がり」に象徴される政治部と政権の癒着も変わるでしょう。新聞社もテレビ局も赤字になり、朝日新聞の今年夏のボーナスは40%カットされたそうです。年収1000万円以上の高給サラリーマンが朝から晩までハイヤーを乗り回すクラブ取材をやめれば、経費は大幅に節約できます。
日本以外のすべての国では、事件や事故などの第一報は通信社が警察発表をそのまま配信し、新聞社や放送局はその配信記事を見て必要なものだけ独自に取材します。毎日50ページ以上発行しているNYタイムズの記者は500人ぐらいしかいないのに、その半分ぐらいの分量しかない朝日新聞の記者が2000人もいるのは、「特落ち」を恐れる横並びで記者クラブや地方支局に大量の要員を配置しているからです。
90年代以降、日本の企業は地方支社から要員を引き上げ、請負や派遣あるいは海外移転によって効率化をはかりました。それをメディアが「小泉改革が格差を生んだ」などと批判していたのは、自分たちがそういう「痛み」を共有していなかったからです。これから社内失業者を切り、新卒採用をストップし、アルバイトを減らす経営努力をすれば、それが小泉改革とは何の関係もない長期不況によるものだということがわかるでしょう。
日本の成長戦略にとって重要なのは、規制に守られて生産性の低いサービス業の効率化です。なかでも政治力によって規制や電波利権を守り、日本語の壁にも守られてきたメディアは、土建業にも劣る日本でもっとも後進的な産業です。それに手をつけようとすると、「表現の自由」やら「著作権」やらお題目を並べて彼らは既得権を守ってきましたが、それが自分たちの首を絞めているのだということに、そろそろ気づいたでしょうか。
コメント
私は、経済的な格差が生まれた原因は、小泉氏の構造改革ばかりが原因ではなく、IT技術の進化に伴う仕事の仕方の変化やモノの価格の変化に起因していると思います。一辺倒に小泉構造改革を未だに批判している論者をみると「?」と思ってしまいます。
池田先生、記事と直接関係のないコメントで失礼します。
民主党のマニュフェストに「連帯保証人制度の見直し」が掲げられていました。この第三者に責任を負わせる制度は、これまで国民生活に暗い影を落としてきましたが、ようやく見直しの対象になることは画期的なことだと思っています。
しかし、世論形成に影響の大きいマスコミはこの事項には一考だにしないことから、この問題には何か強力な政治的利権が関与していると想像しています。
連帯保証人契約には通常実印が求められますが、民訴法228条4項に基礎をおく印鑑社会の問題も見直す時期ではないでしょうか。(今の時代では、印影や印鑑の複製は容易にできます)
また、転職時には引越しが伴うことも多いですが、賃貸住宅契約時に連帯保証人の実印を要求される慣習は労働力の流動化の妨げにもなっています。
このような問題に対する池田先生のお考えをブログ等の記事で読ませて頂きたく希望しています。
ウォーターゲート事件は映画化されたが、その中でスクープしたワシントンポスト紙の記者が自分で車を運転し取材するシ-ンがあった。黒塗りの運転手つきの車で移動する日本の新聞記者との違いに驚いたものだ。
日本の新聞記者はキャリア形成の為、違った部署をたらい回しにされる。Jack of all tradesにはなれるがmaster of non
に終わり、新聞の質が低い所以である。これも官僚と似ている。また経営者にはそういうキャリア形成を積んだ新聞記者から選ばれるというのも不思議なことだ。
最も不思議なのは入社試験。一月もすれば忘れるような事件の詳細を暗記していなければ解けない筆記試験が多い。
官邸記者クラブが開放されたら、NHK会長、日本新聞協会会長、日本民間放送連盟会長のマスコミ3者は記者会見をひらき、記者クラブが長年にわたって国民の知る権利をさまたげてきたことについて総括するべきだとおもいます。
佐々木俊尚さんや西村幸祐さんのように、どうあがいてもオールドメディアの利権は失われ、記者クラブも解体していく、とネット言論人は言われます。しかし同じ方向性を持った方の勉強会、講演会は別として普通の人間関係では、かなり上層の集まりでも、まだまだテレビ世論に沿った意見が大多数のように思えます。今回の選挙結果もそうですし、自分もメディアの欺瞞を感じてから、ウン十年たちますが、本当に変わるのだろうか、と疑問を持ってしまいます。しかしテレビマンも、ここまで社会、教育、治安に悪影響を与えていて(たぶん、個々人はわかっている。)そうまでして、今の高給を守りたいのでしょうか。山本直治さんの近著を見るとキー局の生涯賃金は額面で7億とのことです。労組というのは、そこまで醜くなれるものでしょうか。ただ、安倍、麻生叩きの一方通行報道を見ていると自浄作用はないですね。ここまでして民主党政権にしたかったわけですから記者クラブ制度も含めて、良識派の期待どおりには行かないような気がいたします。