この時期、研究費の精算のために領収書を整理する。レシートからなにから何でも取ってあるのだが、さて提出となると、オークションやマーケットプレイスで買ったものに領収書が無いものが少なくない。いや、なくしたわけではない。よく見ると領収書ではなく納品書だったり、あたかも領収書であるかのように金額が書かれていながら、領収書、領収しました、などの文言がなかったり。通販でも、領収書を出してもらうのに、多額の発行手数料なるものを追加請求しているところが最近は目立つ。さて、その発行手数料分の領収書を出してもらうのにも、また発行手数料を取る気なのだろうか。
じつは、これには先例がある。イタリアだ。現在、イタリアの付加価値税は20%。その結果、みんなが踏み倒す方向に向かった。20%もの税金を払うくらいなら、10%引きにするから、おたがいネーロ(闇)にしないか、と持ちかける者が増え続けた。領収書を切らず、現金だけをやりとりして、取引は無かったことにし、納税の義務そのものを消滅させる。これに対して、政府は、購入者は店に対して領収書を請求し、その領収書を店の外まで持って出なければならない、と義務づけ、これに違反する購入者の方に、最高十五万円もの罰金を科して取り締まることにしたが、取り締まりが追いつかない。
このラヴォーロ・ネーロ(闇仕事)は、いまや雇用にまで及んでいる。つまり、なにごとも無料のボランティア、ということで仕事をする。実際は現金が払われるが、それはあくまでチップ。表向きは雇っていないことになっているから、雇用側は所得税などを源泉徴収して納税したりしない。雇用が継続されることもないし、事故があっても雇用側は知ったこっちゃない。イタリアの失業率は、現在9%近い高さだが、それでも、みんながなんとか生活できているのは、裏にこんなカラクリが潜んでいるからだ。こんな調子では、名目上の数字はどんどん悪化し、国家財政が破綻するのも当然。そして、このような裏経済は、表経済を蝕んでいき、社会保障も、雇用制度も、根底から崩れていく。
日本でも、『マルサの女』にも出てくるように、裏帳簿を作ったり、レジに打たなかったり、レジが2つあったり、と、取引そのものを無かったことにする脱税は昔から横行してきた。近年の消費税も、購入者からはすでに購入時点で徴収していながら、店の方が年度の納税時期を過ぎても延滞するのなら、実質的には政府が消費税分を無条件で店に貸し付けているに等しい。まして、領収書を切らず、納品はしたもののいまだ集金できてないかのように装い、売掛金の二年時効で貸し倒れ損失として処理するなら、購入者から消費税分を預かりながら、店側が消費税分をまるまるネコババできる。そして、この不正のうまみは、むしろ消費税率が高いほど大きくなるのだ。
べつに、細々としたことを言い立てる気はない。だが、近郊農家の野菜の野積み販売など、領収書の出ない現金取引は、あちこちにある。それが、いまや個人のネット商売として、爆発的に広がりつつある。ひとつひとつは小さな金額でも、総計したら、どれだけのものか。いや、経済とは、そういう細かな取引の積み上げそのものじゃないのか。
なんにしても、まともに領収書を出さない野郎どものせいで、正直者が自腹を切らされたり、ネコババするための消費税分を余計に払わされたりするのは、まったく不愉快な話。そのうえ、政府が増税で税収増加ができると勘違いしているなら、日本もイタリアやスペインなみのネーロ経済へ落ちて、さらに社会不安に陥るだけじゃないのか。
by Univ.-Prof.Dr. Teruaki Georges Sumioka 純丘曜彰博士
(大阪芸術大学哲学教授、元テレビ朝日報道局『朝まで生テレビ!』ブレイン)