政策提言委員・危機管理コンサルタント 丸谷 元人
2022年2月24日に突如開始されたロシア軍によるウクライナ侵攻から1年が経過した。しかし本稿執筆時点(2023年2月28日)時点でもなお、その決着はついていない。
この紛争は世界史的にも重要なものとなりつつあり、ロシアと国境を接している日本は、今回の紛争を通じて、ロシア軍の実態や彼らの行動原理を冷静かつ正確に見据えることが求められている。しかし現実に私たちが目にしているのはその真逆、つまり大量に流される一方的な報道と感情的な善悪二元論が支配する世論だ。
開戦当初、ロシア軍は破竹の勢いでウクライナ東部から南東部における地域を占拠したが、欧米と日本の大手マスコミは、ウクライナ軍は連戦連勝、ロシア軍は10万以上の戦死者を出して各地で瓦解しており、兵の多くは敵前逃亡や国外亡命、挙句の果てには補給が絶たれて食料がないので野犬を食って凌いでいる、といった類のウクライナ優勢報道を大量に流してきた。
さらにはロシア軍の弾薬不足も深刻で、ウクライナ政府は2022年3月以降、毎月のように「ロシアのミサイルはついに在庫がなくなった」などと言い続けていた。また、対露経済制裁によってルーブルは暴落するからロシアは早晩崩壊する、プーチンはついに狂人に堕した、深刻な認知症になっている、幾つもの末期癌を抱えているので余命幾許もない、といったことが「識者」の間でまことしやかに言われている。
しかし実際はどうか。
ウクライナ進攻から1年経った今、戦術的・戦略的な撤退や部隊の配置転換はあったものの、ロシア軍が劇的な大敗を喫したという事実は確認できていないし、開戦当初ロシア軍が占拠したウクライナの領土の大半は現在もロシアによる占領下にある。また、ロシア軍の精密誘導ミサイルは昨年はずっとウクライナの上空を飛び続けていたし、欧米諸国や日本から経済制裁を受けたにもかかわらず、通貨ルーブルはなんと開戦前より強くなってしまい、ロシア経済は崩壊するどころか好調だ。
そんな偏った情報ばかりを流す欧米および日本の大手マスコミが頼る情報源の1つが、米シンクタンク「戦争研究所」だ。彼らは同研究所の「分析結果」を一切の検証や批判なくお茶の間に大量に流し込んでくるが、この研究所は22年3月の段階で、「ロシア軍は長期休戦を受け入れ、態勢と作戦を立て直す必要があるが、今のところ徴兵、士官候補生、シリア人傭兵など小規模な投入を繰り返すだけで『この努力は失敗する』」と「断言」していた。
しかしロシアが侵攻して数週間後に両国の代表らが討議した休戦を拒否したのはウクライナ側である(事実、ロシアの休戦交渉を行ったウクライナ側責任者の1人は、交渉直後にキエフ市内で射殺体で発見されている)。その背後には対露休戦は絶対に認めないとするバイデン政権の強い意向があったのは明らかだ。さらに戦争研究所は22年9月には、ウクライナ部隊がロシア軍に「大規模な作戦上の敗北」を与えたと発表したが、ロシアはその直後に南部4州を併合している。
この戦争研究所は同年11月にも「ロシアは高精度兵器システムのほとんどを使い果たした」と言ったが、その数日後から今日に至るまでロシアの巡航ミサイルはウクライナの上空を飛びまくっている。
それでも主要マスコミがなぜか信じて疑わないこの組織は、もともとはキンバリー・ケーガンという女性が設立したシンクタンクである。その配偶者の兄はロバート・ケーガン氏というネオコンの代表的論客であり、2001年米同時多発テロの数ヶ月後の段階で「サダム(・フセイン)と9.11テロを直接結びつける必要はない」として、アルカイダとは対立していた。核兵器どころか大量破壊兵器すら持っていなかったイラクへの侵攻を正当化した人物だ。2019年には、トランプの対外政策を批判する論文をブリンケン国務長官と共同執筆したこともある。
ロバート・ケーガン氏の妻は、民主党政権下でウクライナ問題に長年関与し、2014年のマイダン革命では選挙で選ばれたヴィクトル・ヤヌコヴィッチ政権の転覆を狙ってさまざまな工作を行ったとも指摘される米国務省のビクトリア・ヌーランド次官である。
このようにバイデン政権と極めて近しいネオコン一家が私的に経営するシンクタンクに情報の多くを依存することが、果たしてこの紛争を冷静に見極めることに資するのかどうか、という点については再検討が必要だろう。
性犯罪報道についても同様だ。2022年10月、国連性暴力担当代表のプラミラ・パッテン女史は「ロシア軍は軍事戦略の一環としてバイアグラを兵士らに提供」し、大量の性犯罪を行っていると述べたが、そもそもバイアグラはED治療薬であって、前線に送られる健康な若い兵士らの大半には必要ないはずだ。因みにこのパッテン女史はのちに「自分は普段はNYのオフィスにいるので、現場を見ていない。聞いただけだ」と言っている。
2011年4月、当時のアメリカのスーザン・ライス国連大使は「(カダフィ率いる)リビア軍が反政府勢力との戦争でレイプを武器としており、一部の者はインポテンツ防止薬を支給されている」と国連の非公開会議で語ったこともあった。しかしこの直後、アメリカ軍と情報機関の高官らは、バイアグラがカダフィ軍によって組織的レイプを幇助するために使われているという証拠は「ない」と明言している。
今回、プラミラ・パッテン女史にその話を「言い伝えた」のは、ウクライナ政府の人権オンブズマン責任者としてロシア軍による集団レイプといった凄まじい性暴力ニュースを連日西側メデイアに向けて発表し、日本の新聞でも名前が紹介されたリュドミラ・デニソヴァ女史であるが、のちにそれらが全てウソであったことが世間にバレてしまい、2022年の半ばに解任されている。つまりこれは戦時プロパガンダの典型で、日本のケースに当てはめるなら『レイプ・オブ・南京』や「従軍慰安婦の強制連行」のような話だったということだ。
とは言え戦場で性犯罪や残虐行為が起きるのは世の常であるし、ウクライナでも多くの悲惨な事件が起きていることに疑いの余地はない。第二次大戦後、ソ連兵が満州などで日本人婦女子や、ドイツ・ベルリンのドイツ人女性らに対して、筆舌に尽くし難い性暴力を働いたのは有名な話だ。
しかし忘れてならないのは、そんなソ連軍将兵の中には多くのウクライナ人もいたということである。事実、ソ連のブレジネフ政権で国防大臣となったロディオン・マリノフスキー元帥は、終戦時に満州に侵攻して日本軍守備隊の生存者をシベリアに連行し、日本の一般婦女子に対して前述同様の苦しみを与えた司令官の1人であった。ロディオン・マリノフスキー元帥の出身地はウクライナのオデッサであった。
そんなウクライナは、世界で9番目、ヨーロッパ圏では最も腐敗しているとされてきた国であるが、それがいまや西側と同じ自由と民主主義という価値観を有する法治国家陣営の1つのように数えられているのは一体どうしたことだろうか。現在シベリアの刑務所に収監中の反プーチン運動家として有名なナワリヌイ氏でさえ、ウクライナの腐敗はロシアのそれとは比べ物にならないと言っている。
ウクライナと和平交渉を行ったロシア担当者が市中で暗殺され、内務大臣を乗せたヘリコプターが首都上空でいきなり撃墜され(これもゼレンスキー政権内部の抗争の結果だとする指摘がある)、政権に反対する野党やマスコミは全て強制的に閉鎖させられる国だ。
2014年以来、自国民であるウクライナ東部のロシア系住民に対して、ネオナチ民兵のみならず、シリアで散々残虐行為を働いていたISの構成員まで投入し、一般婦女子への凄まじい性暴力や誘拐・拷問、虐殺を行い、万単位の人々を殺害してきてもいる。
日本は米欧と足並みを揃え、ウクライナへの物資や資金の援助してきた。しかしゼレンスキー大統領は昨年、米連邦議会で、ロシアの侵攻を真珠湾攻撃に譬えて演説し、プーチン批判をするウクライナ政府公式ツイッターには、ヒトラーやムッソリーニの写真を昭和天皇の御真影と一緒に投稿した。さらには同ツイッターに投稿した各国の支援に対する感謝の動画で、日本への言及はなかった。
情報分析においては一方的で偏った情報源に頼り切ったり、「愛と憎しみ」を持ち込むことはご法度だ、と言われる。しかし戦後日本人はこれらの点で実にナイーブになってしまった。日本人は感傷的で騙されやすい。この先もずっと騙されたまま、知らず知らずのうちに誰かの利益のために貢がせられることになるだろうか。嘆かわしいことである。
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丸谷 元人(Marutani Hajime)
1974(昭和49)年、奈良県生れ。オーストラリア国立大学卒業、同大学院修士課程中退(東アジア安全保障)。オーストラリア戦争記念館の通訳翻訳者を皮切りに、パプアニューギニアでの戦跡調査や、輸送工業事業及び飲料生産工場の設立経営、さらにそれに伴う各種リスク対策(治安情報分析、要人警護等)を行った後、西アフリカの石油関連施設におけるテロ対策や対人警護/施設警備、地元マフィア・労働組合等との交渉や治安情報の収集分析等を実施。また、米海兵隊や米民間軍事会社での各種訓練のほか、ロンドンで身代金目的の誘拐対処訓練等を受ける。さらに防衛省におけるテロ等の最新動向に関する講演や、一般企業に対するリスク管理・危機管理に関するコンサルティングに加え、複数のグローバルIT企業における地域統括セキュリティ・マネージャー(極東・オセアニア地区担当)やリスク/危機管理部門長等を歴任。現在、日本戦略研究フォーラムの政策提言委員として、『週刊プレジデント』や月刊誌『VOICE』『正論』などへの執筆をも行う。
著書に『The Path of Infinite Sorrow: The Japanese on the Kokoda Track』(豪Allen & Unwin社)、『ココダ 遥かなる戦いの道』『日本の南洋戦略』『日本軍は本当に「残虐」だったのか』『学校が教えてくれない戦争の真実』(ハート出版)、『なぜ「イスラム国」は日本人を殺したのか』(PHP研究所)等がある。
編集部より:この記事は一般社団法人 日本戦略研究フォーラム 2023年3月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は 日本戦略研究フォーラム公式サイトをご覧ください。