大改革と漸進の間で:華々しく挑戦して散るか、地道な改善のみで生き残るか

神戸三宮のレムホテル26Fの窓からの美しい夕暮れを眺めつつ、このエッセイを書いている。海に映える赤とオレンジの中間色の光線が、港の空気を漂わせる街並みに柔らかく放射していて何とも美しい。

1年前の今頃、思えばちょうど神戸に向かう新幹線の中でのことだった。医師をしている弟からのメールで、数日で退院すると思っていた母親の容態が予想外に悪いことを知り、暗澹たる気持ちになったことを思い出す。

「時間の経過」は、これまで人生の様々な痛みを幾度となく癒してくれたが、母の死は、1年経った今でも想い出にはならない。何とも言えない絶望感が切迫した臨場感と共にフラッシュバックし、ふと、我に返ってひんやりとした現実空間に身を置くと処理できない量の寂しさが募る。

思い返すと、母親というものは(おそらくは、私の母に限らず世の中の母は一般的に)、子どもに相矛盾する二つの期待をする。①世のため人のために、思い切った挑戦をして華々しく活躍して欲しいという期待と、②自分を大事にして、危険は冒さずに長く生きながらえて欲しい、という期待である。

世の中を何とかしようと考える若者たるもの、世界を見て来なさい、と、携帯もない時代に中国への1か月のサバイバルの旅に送り出したかと思えば(いわゆるバックパック旅行をしたが、文字通り死にそうな目に何度かあった)、堅いボールで野球をするのは危ないからやめろとか、不良の子供たちと付き合うのはやめろと言う。

うちの母ほど極端ではないにせよ、読者諸賢も親からは同じように矛盾する期待を負わされていたのではないかと思う。ただ、私の母親は、世間一般より少し塩味・スパイスが強かったかもしれない。言うまでもなく、塩味やスパイスとは、チャレンジさせようという気分のことである。

retrorocket/iStock

少し鎮静化しつつあるが、イェール大学助教授の成田悠輔氏の言説が、いわゆる炎上状態にある。高齢者は「集団自決」を、という部分が切り取られて問題視されているわけだが、社会的な引き際、というものを射程に入れての主張であり(メタファーとしての「自決」)、会社・政治など、つまりは社会全体の新陳代謝(世代交代)が大切だ、ということを言っているだけであって、事さらに目くじらを立てるようなものでもなく、なぜこれほどまでに騒がれるのかは理解に苦しむ。

が、おそらくは、耳目を引くことを意識して、成田氏が普段から割と逆説的で、結果として過激とも取られる表現を敢えてしていたことが、こうした結果を引き起こしているのは間違いない。ここまで騒ぎになることを希望していたかは不明だが、炎上は、ある意味で氏の狙い通りなのかもしれない。

2~3か月前になるが、総勢5人の飲み会で成田氏と宴席を共にしたことがある。それまでも会議などで挨拶したことはあったが、数時間以上ご一緒したのは初めてであった。時折発する鋭い発言はさすがであったが、意外でもあり、かつ印象的だったのは、メディアでの成田氏とは同一人物とは思えないほどに物静かで、聞き役に徹していたことである。内心どう思っておられたかはともかく、少なくとも表面的には、私を含む目上の人を敬う気持ちの見える“常識人”であった。

参加者の一人は、東大時代の成田氏のクラスメイトで、また、青山社中リーダーシップ公共政策学校の受講生でもあったので、事後、率直に感想や過去について聞いてみたところ、大学時代から同じような感じだったらしい。学生時代は、飲み会に参加していながら、一人本を読んだりして時折会話に入る、ということもあったそうだ。

何が言いたいかと言えば、もしかすると成田氏の中にも、例えば飲み会のような場では、妙なリスクは取らずに、聞き役に回ったり、変に反論したりはせずに無事にやり過ごすという安全運転に徹する意識と、それとは裏腹に、世間に対して逆説的で過激な言説を提示し、華々しく社会を変えていきたいというチャレンジする意識と、矛盾する二つの思いがあるのかもしれない、ということだ。もしかすると、我が家同様に母親からの伝播かもしれない。

成田氏のインタビューなどによれは、生い立ち的には、父親の振る舞いに関してはかなり苦労したそうで、おそらく母親の労苦を見ながら、母の期待・想いを、受け流すにしても受け止めるにしても、相当大きく意識して育ったものと拝察する。成田氏ほど極端ではないにせよ、私も似たような家庭で育ったとの実感があり、勝手に共感を覚えている。

つまりは、私の実感としても、多感な時期に、基本的に逃げ場のない家庭という舞台で、父親に関して苦労を重ねると、それを一緒に経験した母親の思いも連なって、①これ以上のリスクを負わないようにという生活面での安全運転への意識と、同時に、②社会の矛盾や不条理さを過分に意識せざるを得ないために、何かを大きく変えていきたい、という気持ちが勝手にそれぞれに増幅する気がする、ということだ。

成田氏が経営する会社は“半熟仮想”と言うそうだが、「反実仮想」をモジったものであることは明らかである。このままでは日本は立ち行かず、悲惨な状況にある若者も減らず、社会を大きく変えるべき、と考えている苦労人は少なくない中、そうした方々の気持ちを代弁する形での成田氏の変革への思いと発言は、氏独特の逆説的言説・表現として社会に突き刺さる。

たとえ考え方や計画は“半熟”であっても、広がる格差や日本社会の衰退を前に、華々しく何かを変えたい、動きたい、仮想した理想を実現したいという思いは、実は多くの人の胸に宿っている。

最近、ネットを賑わせているという意味では、上記の成田氏の炎上とは別に、“Japan was the future, but it’s stuck in the past”という論考が話題だ。来日して10年以上日本を見続けてきた英国BBC放送特派員が、日本を去るにあたって書いたエッセイなのだが、乱暴に一言でまとめると、標題に集約されているように、「かつての日本は、“未来”として輝いていたが、今は、過去のしがらみに囚われていてもはや終わりだ」ということである。

マンホールの蓋の費用の高さから、運転免許更新時の謎の講習の存在、崩壊する地域コミュニティを前にしても、今の自分たちの快適さを至上価値としてよそ者を受け入れようとしない日本の各地の現状に至るまで、様々な既得権益に捕らわれて変われない日本を描いているのだが、著者のように特に外国人目線で客観的に日本を見れば、「日本はどうして、合理的に動けないのか。なぜ、大きく改革ができないのか?」と不思議に思うのは当然であろう。

思えば、日本は大きく変わること、変えることを嫌う社会である。まさに“保守”的社会だ。正確にいえば、理性を明示的に疑い、歴史や経験を重んじるとの選択をしての保守社会ではなく、単なる惰性としての保守、つまり、改革を選べない反射的効果としての保守社会である。その結果、現在の日本社会で、華々しく現状に挑戦して、何かを大きく変えようとすると、大体、物理的・政治的に、非業の死を遂げるか、その危険を察知して姿勢を変えざるを得なくなるか、のどちらかのパターンに陥ることになる。

この30年の政治を振り返っても、乱暴に言えば、日本新党・細川政権は途中で崩壊し(細川氏は晴耕雨読の芸術家に)、自民党をぶっ壊すはずだった小泉改革は郵政民営化だけにとどまり、「脱官僚」の民主党政権は結局何もできずに自民党化して下野して「野党」化し、橋下徹氏が率いた「維新の会」は大阪都構想で一敗地にまみれて橋下氏は外野からのコメンテーターとなり(その後、後継者たちが頑張ってはいるが)、都民ファーストと希望の党で政治をひっくり返そうとした小池百合子氏は、今は大人しく漸進的改革にいそしんでいる。

安倍政権は、少なくとも前半は、割と大きく色々とチャレンジしたわけだが(TPP、安保法制、トランプ・米国へのすり寄り)、途中からは、悲願のはずの憲法改正なども諦めた感じとなり、安全運転下での長期政権となった。安倍氏自身は、まさかの銃撃で非業の死を遂げたわけだが、山上容疑者の単独犯かどうかは、正直よく分からない。私自身が何か証拠になる情報を有しているわけではないが、過激な改革者としての姿勢から、外国勢力や国内の勢力から狙われた可能性もゼロではないと思う。

岸田政権の支持率が、調査によっては、ここに来てジワリと盛り返しているようだ。岸田氏は言うまでもなく、第二次政権前半の安倍氏をはじめ、上に挙げたような「華々しく大きく改革を進めようとする」タイプの政治家とは元々大きく違う宰相であることは自明だ。

岸田政権は、地道な「改善」を一生懸命やっているので(比ゆ的に言えば、“宿題”を着々とこなしているので)、目の前の課題にまずは取り組むとのサラリーマン気質が好きな日本人の現在の国民性には、とてもマッチしているとも言える。アリストテレスを俟つまでもなく、民主主義下においては、基本的には、国民の気分・レベルを反映した政権が誕生するのは明らかだ。

岸田政権の支持率がここに来て盛り返しつつあるのも、日本社会を知る身としては、理解は出来る。ただ、問題は、日本社会が、このままの「漸進」だけで果たしてもつのか、ということだ。

華々しく大改革をしようとして、物理的・政治的に散ってしまうよりは、とにかく生きながらえる方が良いという考え方は合理的ではある。が、漸進(前進)はしても、最後の結果が伴わないようでは意味がない。目立つ形かどうかはともかく、大改革を「上手に」成し遂げることはできないものか。

日本の歴史上、明治維新などの稀な例外を除き、過激な大改革を成功させた例は少ないものの、成田氏の炎上、離日するBBC特派員の論考、岸田政権のパフォーマンスなどを見ながら、己の非力に嘆息しつつ、無いものねだりをしてしまう今日この頃である。