衆院選の結果を受けて、政治の未来や可能性について考える

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総論

1か月前には、正直ここまでの大敗になるとは予想していなかったが、与党(自民党・公明党)が大きく議席を減らして衆院選が終わった。橋下徹氏は「神の見えざる手」が影響したと結果を絶賛していたようであるが、まさに、自民党にはお灸をすえたいが、政権交代までは望んでいるわけではない、というギリギリのラインに結果が落ち着いた感がある。

とはいえ、衆院での議席が過半数を割り込んだ中で、与党の政権運営は極めて不安定な状態となるのは確実だ。野党第一党となった立憲民主党にとても政権担当能力があるとは思えない中、政権交代による安定も望めず、手放しで今回の結果を肯定していいかと言えば戸惑いがある。

経済も社会も国際環境も厳しさを増す中、政治が不安定でこれからの日本は大丈夫なのか、石破政権はきちんと継続していくのか、仮に石破政権が遠からず倒れてしまう場合にその先はどうなるのか、と不安は尽きない。

各種世論調査を見ると、①石破政権の支持率は早くも不支持率を下回る状態で低落し、②自公政権の継続を望む割合も低落しているが(自公政権の継続を望まない割合が調査によっては半数を超えている)、同時に、③石破総理の辞任を望む声は大きくなく(石破総理の辞任は不要という割合が多い)、何とも宙ぶらりんな結論だ。

私なりに整理すると、国民の側も、お灸をすえたり、中長期的な有力野党の存在などを望んだり、という意味で自民党離れが進みつつも、今すぐには政権は代わって欲しくないような、ある種の当惑を示している。

今回、キャスティングボートを握ることになった維新や国民民主党も、今のところ独自路線で、自民党や立憲民主党と組む気配はなく、石破政権は綱渡りの政権運営をせざるを得ず、立憲民主党の側にもすぐにも政権を伺う迫力はないことは確かだ。

本稿では、改めて私なりに、①今回の選挙結果の意味を多少深堀して分析しつつ、②今回の結果の遠因と理解している安倍長期政権の存在をベースに、日本の未来について、特に民主主義と権力集中ということを横糸にして考えて行きたい。

選挙結果を少し深堀する

今回の選挙結果を少し解像度を上げてみてみると、大きく6つの要素に分類できる。

① 自民党の大敗(自民党的集票システムの劣化)
② 立憲民主党の議席大幅増(批判野党が相変わらず政権批判の受け皿)
③ 公明党・共産党の凋落(既存の組織政党の弱体化)
④ 国民民主党の躍進(若年層への訴えの効果/ネットの活用)
⑤ 日本維新の会の停滞・後退(国民的「飽き」の顕在化と地域政党の可能性)
⑥ れいわ新鮮組・日本保守党・参政党の伸び(党首の顔の見えるベンチャー政党の成長)

それぞれについて、多少詳しく述べると、まず、①の自民党の大敗だが、これは、いわゆる裏金問題への国民の怒りの爆発が影響したことは間違いない。ただ、個人的には裏金問題だけのせいではなく、自民党のお家芸とも言うべき業界関連の組織や団体頼みの選挙の限界が来つつあるという構造的敗北の印象も受けている。

また、直前にあった自民党総裁選では高市早苗氏の予想外の健闘が話題になったが、明らかに自民党員は高齢化した保守層に偏っていて、若い層にうまくアプローチ出来ていない。総裁選での小泉進次郎氏の敗北や小林鷹之氏の党員票の伸び悩みの背後にそうした事情がある。

地域の各種団体などが票を取りまとめて自民党を応援するという仕組みが崩れつつある中、また高齢男子保守層が遠からず壊滅的にいなくなっていく中、一度別所で詳述したことがあるが、相当な改革を進めないとジリ貧であろう。

自民党は、今回の敗北を機に、党を挙げて近代政党化をはかり、力のある若手個人を中心に選挙戦を戦い抜けるシステムを整えなければ、徐々に地力を失って、弱体化していく運命となる。

次に②立憲民主党の大幅議席増だが、表面的には、自民党の裏金問題の批判票の受け皿となって約50議席増加という大躍進を遂げたということになるが、その実、組織や団体に乗っかるという自民党的旧来戦術とは違う、個人としての訴えや戦いを主に展開するという、理性に基づいて個として活動する地道な努力を重ねた候補者が多かったことが大きいと思う。

今回は、野党で選挙区調整などをして共闘する暇がなく、当初は結果が危ぶまれていたが、立憲民主党については、想いの外、地力がついていたということが言える。

多くの候補者が旧来的な「組合頼み」といった自民党とは別の形の組織頼みに終わることなく、理性の選挙をしていたことが大きい。立憲民主党は、一時は、野党第一党の座を維新に奪われるのではないかという危惧すらあったが、後述するように維新とは明暗を分けた。

そして、③の公明党・共産党の凋落であるが、これらの政党は、自民党と同様に支える組織・団体の組織力低下や高齢化などが進み、明らかに構造的に足腰が弱っている。とはいえこれまで強固に作り上げたネットワーク力は凄いものがあり、今すぐに消滅するというレベルではないが、このままだと着実にボディブローのように組織の弱体化が進み、獲得票数を減らして行くであろう。

また、議席4倍増という④の国民民主党の躍進であるが、これは個人的にはネット戦術の効果が大きいと考えている。筆者のかつての職場(内閣官房)や留学先(ケネディスクール)の上司筋だったり先輩だったりするので、党首の玉木雄一郎氏とはかねてより交流があるが、かなり初期からインターネットの活用に邁進していた印象だ。

国民民主党は、極端な保守でも極端な左派でもない中での埋没懸念から、割とずっと危機感が強く、ネットの積極活用や若者層への訴求に活路を見出していたのが印象深い。具体的には、若年層に丁寧に働きかけるべく、リール動画やYouTubeやX(twitter)を積極活用してきている。

これは一朝一夕にできる話ではなく、主に玉木氏個人による10年近い積み重ねの効果だ。少し前の前原氏の離脱と維新入りが記憶に新しいが、多くの有力議員が国民民主党の将来に見切りをつけて、首長選などに向かう中(岸本氏の和歌山県知事選など)、歯を食いしばって、「顧客」の新規開拓に向けて努力を重ねた玉木氏の手法を、自民党議員などはもっと見習うべきであろう。

ただ、国民民主党もこれで安泰というわけにはいかない。後述する維新が歩んだ道だが、躍進とともに、粗製乱造した候補者のほころび(スキャンダル)が目立つようになり、やがて、国民の期待が失望に変わるという形になってしまうとどうしようもない。

そうした報道も出始めていたり、少し前に公認した候補を取り消したり、悪い予兆は出ている。大阪で絶対的な強さを誇る維新とは異なり、国民民主党はより比例が頼りなので(絶対的地盤はないので)、そうなると脆弱性も大きい。

さらに注目すべきは、今回は、⑤のとおり、維新が伸びなかったこと(むしろ議席を減らしたこと)が大きな特徴の一つだ。大阪から関西圏全体に勢いを広げ、東京でも橋頭堡を築くなどしていた少し前の成長期から考えると、今回は意外な結果である。

1〜2年前は、立憲民主党こそが凋落の象徴であり、むしろ野党第一党の座を維新が取るのではないかということがまことしやかに言われており、馬場代表以下、維新の幹部もそのことを公言していたが、国民民主党の躍進により、むしろ野党2番手の座が危うくなっている。

玉木氏のような、ネット活用による地道な訴えがなく、「身を切る改革」や「保守としての立ち位置」をフワーっと拡散するだけにとどまったため、端的に言って、国民的に「飽き」が来たというのが率直な実感だ。兵庫県知事の問題、万博を巡る各種トラブルなどをはじめ、スキャンダル系に見舞われたことも「飽き」を増大させた。

ただ、同時に、大阪では小選挙区の全てで勝利するなど、地域政党としては圧倒的な強さを見せたことも見逃せない。様々な人間関係のしがらみで、今すぐ組むことは難しいようだが、本来は、例えば東京の地域政党とも言うべき都民ファーストの会など、各地の地域政党と組んだり、そうした動きに関与したりしつつ、各地の地域政党の連合体としての「日本維新の会」を目指すべきだ。自前での拡大に拘らないスケールの大きな戦略転換と実施が望まれる。

最後に、れいわ新鮮組・日本保守党・参政党の躍進についてであるが、これは、全て比例代表制の効果であり、まさに制度的な狙い(少数政党の維持・存在感の発露)が体現されたとも言える。

そうした効果が発揮された背景にあるのが、間違いなく「エッジの立った代表」の存在であり、具体邸には、山本太郎氏、百田尚樹氏(河村たかし氏)、神谷宗幣氏といった代表たちの「顔」を全面に出して選挙戦を戦ったことが大きい。

国民民主党の躍進にも言えることだが(玉木氏が前面に)、ベンチャー政党は、代表の顔が鍵になることが改めて分かった。

民主主義と権力集中

以上、今回の衆院選について多少細かく個別の躍進や衰退の事情について考察してきたが、総じて、自民党のいわゆる裏金問題が大きく作用していたことは間違いない。ただ、個人的には、これを裏金問題という形で矮小化してしまうと、事を見誤ると思う。裏金問題の本質とは、即ち、旧安倍派の数を背景とした傲慢さ・驕りに対する反発であると考える。

過度の権力集中を嫌い、権力分散型の民主主義を好む方々から見ると、安倍長期政権というものは、乱暴に言えばファシズム的な方向への危機をはらむものであり、とても許しがたいものであった。財政規律を考えず、危険な安保法制を実現するという政策的なスタンスはもちろんだが、それ以上(それ以前)に、権力集中的あり方に嫌悪を覚えていた人が多いように思う。終身独裁官などになったカエサルが殺された頃、すなわち共和政ローマの末期に似ていると見るのは乱暴だろうか。

自民党内では、安倍長期政権的あり方に対しては、主に宏池会(旧岸田派)が疑念を持っていたし、自民党を越えて全体としてみると、左派系の野党議員たちはもちろん、それこそ多くのメディアや識者が反発心を抱いていた。

しかし、私が懸念するのは、安倍長期政権・安倍派支配に対する反発、すなわち権力を集中して改革をしようとするスタンスに対する嫌悪感で政治が動いてしまって良いのだろうか、という点だ。

より丁寧に言えば、日本は、経済(国際競争力や一人当たりGDP)も社会(少子高齢化等)もずっと停滞してしまっている中で、果たしてそんな悠長なことを言っていられるのであろうか、権力集中による大胆な改革が必要なのではなかろうか、という点だ。

それは、人間としては、独善的に物事を動かそうとする人よりも、他人の話をしっかり聞いてくれる人の方が良いに決まっている。みんなで和気藹々と楽しくやる方が、苛烈な決断を伴ってグループを運営するより楽しい。

何十万万円から何千万円まで幅のある「未記載」問題(いわゆる裏金問題)だが、国民的に怒りを煽り、それまでの「支配者たち」を、ニーチェのルサンチマンよろしく大衆が正義を振りかざして引きずり下ろして留飲をさげる。そんな選挙・政治で果たして日本はもつのだろうか。

もちろん、裏金は良くない。ただ、世界を見渡せば、桁がいくつも違う蓄財をしつつ、果断な決断をする指導者たちが、日々難しい決断や大きな決断をしつつ国や社会を動かしている。日本の未記載問題など、彼らの蓄財の比ではない。そして繰り返しになるが、わが国は、本来、権力集中をして大きく改革をしていかなければならない時期がとっくに来ている。

日本は、混迷の世界政治の中で、仲介をつかさどる国家としての存在感を増すべきだし、各地に産業を起こして各地域が稼げる体制にしていかなければならないし、本来は税や財源も大きく地域に移転する必要がある。

選挙中、ネットフリックスが日本やアジアを中心に売り上げを大きく伸ばしたニュースがあったが、世界のプラットフォーマーたちが大きく躍進して、最近はデジタル赤字が無視できない規模になってきているが、大量の国富が流出してしまう中で、日本発の新しい産業も、次代を見据えたベンチャー企業たちの中などから育てて行かねばならない。

どこかの組織、誰かの個人が権力を持つたびに、そして何か大胆な改革を進めようとするたびに、そうした主体や動きへの反発から猛烈な反対運動を起こし、それがまだ政策論であればいいわけだが、今回の裏金問題のようなスキャンダル暴きの様相を呈しての引きずり下ろし運動になると(その方が一般的な国民には分かりやすいので、往々にしてそういう形になる)、これはもう手に負えない。日本では、永遠に本格的改革が進まないことになる。

放っておいても成長する右肩上がりの時代はそれでもいいかもしれない。ただ、残念ながら今はそうではない。片手で巨大な勢力を「独善的だ」「パワハラだ」「民主的でない」と叩き、もう一つの手で、大衆の関心を得るべくバラマキを徹底する。

悪く言えば、今回躍進した政党の多くは、現代的にパンとサーカスを大衆に与えているだけだ。「皆さんの所得が増やしましょうよ」「手取りを増やしましょうよ」と甘くささやき(パン)、ネットをフル活用して面白可笑しく語り掛ける(サーカス)。これだけでは、政治的躍進はしても、日本の復活は心もとない。

そんな中、国会議員でも何でもない、一介の浪人としての私の日常は続く。

今週は日曜の衆院選の投開票日からハードスケジュールで、27日当日は、福岡入りして政治家を目指す20代の青山社中リーダー塾生と30年来の友人でもある地元有力者をつなぎ、28日は昨年からアドバイザーをしている北九州市に行って、霞が関時代からお世話になっている厚労省出身の武内市長と日中も夜もご一緒させて頂き、29日には延岡市に入り、大学サークルの先輩で霞が関の先輩でもある読谷山市長とディナーなどした後、30日には、市長ご臨席の下、市役所職員向けに研修やワークショップをして最終便で宮崎空港から羽田に戻り、今、羽田からアドバイザー先のむかわ町(北海道)に向かう道中でこのエッセイを書いている。

日曜〜土曜まで、6泊毎日違うところに泊まっている。渦中にいないから見えるものもあると書くと強がりに聞こえるだろうか。

明日は札幌で、国会議員の友人や札幌にいる経産省の後輩とご一緒する予定だが、少し大所高所からも、今の日本の政治の在り方について議論して考えをまとめてみたいと思う今日この頃である。

青山社中リーダー塾からも新たに国会議員が誕生し、これで2名となった。リーダーシップ公共政策学校からの衆議院議員は再選を決めた。青山社中出身の議員たちには、熱く色々なアクションを起こしてもらうと同時に、どこか冷めた目で透徹した眼差しで日本の政治を眺めてもらいたい。