鎌倉に来ました。
市中にある数多の寺社や大仏、湘南海岸の煌めく海などみどころの多い鎌倉ですが、今回はちょっと地味。ですが地域の方にとっては重要な「あるもの」について注目しながら鎌倉の町を散歩したいと思います。
下車したのは江ノ島電鉄の極楽寺駅。今年ここで降りたのは紫陽花の季節以来2回目です。今日はここから稲村ケ崎、七里ガ浜方面に歩いていきます。
極楽寺駅から稲村ケ崎駅方面に歩いていくと、柵もなく道路と江ノ電が並走して走る区間があります。鉄道と道路が完全に分かれていますがその境目が黄色く塗られておりここは軌道敷、路面電車の扱いです。
ふと、上の写真をよく見ると線路の上に板のようなものが敷かれて民家につながっています。これが線路から民家に入れるように個人で敷いた踏切、通称「勝手踏切」です。
こちらはかなり大きな勝手踏切。向こうに車まであるので普段は車もここを通っているのでしょう。
このほかにも極楽寺駅から七里ガ浜駅の間には多くの勝手踏切が存在します。首都圏ではあまり見ることができない特徴的な光景です。
「踏切」というのは通常このような警報機と遮断機があるものを言います(第1種踏切)。なかには警報機しかないもの(第3種踏切)や警報機も遮断機もないもの(第4種踏切)もありますが、いずれも鉄道事業者が敷設したものです。
これに対し「勝手踏切」は住民が慣例的に通行している非正規の踏切です。こんなのそんなにないだろうと思われるかもしれませんが、全国に17,000か所ほどあると言われており、江ノ電にも89の勝手踏切があります。
正規に敷設されている第4号踏切でさえ危険であるとして国土交通省は新設を認めておらず、ましてや勝手踏切など踏切として認めていません。それでも全国でこれだけの勝手踏切があるのはそれぞれの地域の事情があります。
江ノ島電鉄については開業当初は路面電車でした。路面電車の場合特に踏切はなく、電車が来ないときには住民は自由に線路をよぎって向こう側に渡ることができます。その後江ノ島電鉄は普通鉄道に転換されていったのですが、その段階ですでに鉄道沿線には民家が建っており、線路をよぎってでないと家にはいれなかったり、道路はあるものの海岸通りに出るには大きく遠回りしないといけない家がでてきました。
路面電車時代と同じように線路をよぎって渡れるように住民が敷設した踏切が江ノ電の「勝手踏切」なのです。
江ノ電の走る鎌倉は海と山が迫る町で、江ノ電の向こうは山があって勝手踏切をふさがれるとどこにも出られなくなる家が多くあります。そのため勝手踏切が残されているのです。また、この地域は土砂崩れや津波のリスクも低くない地域です。災害発生の際に速やかに逃げることができるように勝手踏切を残さざるを得ないという事情もあります。
このようにさまざまな事情があるため残されている勝手踏切ですがやはり危険は危険。2021年には勝手踏切を渡っていた小学3年生の女の子が電車にはねられるという痛ましい事故も起きています。少しでも事故を回避しようと設置されたのがこの青いランプ。電車が近づくと点滅し危険を知らせてくれます。ただ一見さんにはこれが何のライトなのかわかる人は少ないでしょう。
人身事故があったため江ノ電としても対策を練らねばならず、稲村ケ崎駅付近では住民しか通行できないように鍵付きの柵を設置した個所もあります(反対側より撮影)。ただ大部分は従前のまま残されている状態です。
線路の向こうに長く続く階段が見えます。ここを男性が駆け降りてくるところを見たのでわたしもここを少し登ってみました。あまり登りすぎると他人の敷地に入ってしまいそうな気がしたのでほどほどのところで降りることにします。
ここにも自転車がありますね。階段まで持ち上げるのもなかなか大変だと思います。見通しも悪くこの出口には青いライトもないので電車が来ているかどうかは音で判断するしかありません。
階段を上り下りしなければならなかったり、電車の往来を確認する必要があったり、さまざまな危険があるにもかかわらずそれでも勝手踏切を通って通りに出なければならない、地域の切実な事情があることが窺い知れます。
正規に認められているわけではないもの地域の事情から残されている勝手踏切。正当化することはできませんが実際歩いてみてこれがなければ生活することができない家も少なからずあることがわかりました。せめて二度とかなしい事故が起こることなく鉄道と地域住民がほどよい距離で共存していってもらいたいと思いました。
編集部より:この記事はトラベルライターのミヤコカエデ氏のnote 2024年11月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はミヤコカエデ氏のnoteをご覧ください。