トランプ関税、自動車産業と日本経済の深刻なダメージに

トランプ関税。日本の自動車産業と日本経済が非常に残念ながら、かなりのダメージを受けつつある。

メディアを含めて――日本人の多くは、自国が「世界の中でどのような立場にあるのか」、そして善悪論は別として「米国が日本をどう見ているのか」を、十分に認識していないのではないかと強く感じている。

私は30年ほど前、名著『ジャパン・アズ・ナンバーワン』の著者エズラ・ボーゲル博士と、自宅にて数時間にわたって対談した。また、1980年代後半の日米経済摩擦をめぐっては、おそらく他の誰よりも現場を歩き、自らの足で米国各地を(生)取材してきた。ビッグ3の本社、自動車労組、商務省、農務省、国務省、通商代表部、フォード、トヨタ、GMとその合弁会社など――挙げればきりがない。当時、デトロイトの地元紙には、私とリー・アイアコッカ氏(クライスラーCEO)のツーショットが一面を飾った。ホンダはかなり前から、米側の対応を読んでいたため、完成車の輸出を抑えつつ、米国内に製造拠点を築くなど、他社に先んじて米市場に溶け込む努力を重ねていた。トヨタもコミュニティ活動をトーランスなどを中心に積極的に開始し始めた。

その一方で、「日本車のせいで職を失った」という憎悪感情に満ちたGM工場閉鎖の現場で、私は単身、怒れる労組に潜入取材した。ほんの直前には、日本人と間違われた中国系男性が暴行され、命を落とす事件が起きていた。私は取材時、愛用の16連発グロックを密かに携帯していた。

このような経験からも、私は現在のトランプ氏の主張すべてに賛同する立場には立たないし、日本が無条件でそれらを受け入れるべきとも考えていない。正論は常に一つではなく、議論は多元的であり得る。ただ、重要なのは「彼の主張がなぜ一定の支持を米国内で得るのか」という背景理解だ。

私の直接取材実感として、現在のトランプの感情の原型はまさに60-70年代に端を発しており、それに共鳴する米国人はいまなお少なくない。

当時の米国は、世界の民主化、自由貿易の理念に忠実に、市場を開放していた。「お人好し」と揶揄されながらも、日本製品の自由な流通を許し、1950〜60年代には重要な技術や特許すら、日本という“賢明な同盟国”に惜しみなく提供していた。日本は現在にもつながる問題――安全保障は自国で殆どやらず、賢く米国にほぼすべて依存し、経済・技術発展に専念してきた。

安保「ただ乗り論」とも言えるこの点も、現在のトランプの不満につながっている。

1960年代以降、その寛容さの裏で、米国側には徐々に不満が蓄積していった。なぜ日本市場では米国車が売れないのか。確かに、当時の米車の品質には問題があった。燃費が悪く、壊れやすい。当然、自分でも絶対に買わない。私はJD Power本社も訪問し、顧客評価を取材し、日独車が上位を占めた。一方で米車が米国人にも悪い評価を受けていた事実を確認した。米国人があまり買わないものを日本人が買うわけなどない。

ただ、問題はそれだけではない。米国側からは、「日本市場に最初から入れてもらえなかった」「競争の土俵にすら立てなかった」という不満が繰り返し提起された。たとえば、今では常識となったドアミラーも、かつてはフェンダーミラーでなければ日本市場に参入できなかったという規制を思い出した。米側はこれを“非関税障壁”の一例と捉えていた記憶が蘇る。こうした論点での米国側の怒りは、非常に根強いものがあった。

農産物でも同様だ。コメやかんきつ類といった品目は、日本市場において「消費者に選択肢さえ与えられていなかった」。農務省幹部など米国関係者数人がこう語った――「自動車も基本は同じ。消費者が選ぶので、売れないなら諦めもつくが、売ることを試すことさえ許されなかった」と。

欧州が日本と同じような超保護主義的な市場だったのに対し、米国は自由貿易を掲げ、日本製品を積極的に受け入れてきた。結果として高品質な日本製品は米国市場で爆発的に売れたが、その一方で米国製品は日本に「門前払い」される。この構図に対する“心理的な不均衡”は、年を追うごとに深刻になっていった。

世界の常識。日本車や日本のテレビが優れていたのは「血の滲むような改善努力」の成果であり、それは疑いなく称賛に値する。しかし、その過程で日本が受け取った米国からの援助――「世界の民主化努力」「民主主義の実験国家」としての後押しや市場開放という構造的恩恵――を正しく認識しないまま、日本社会には慢心が広がっていったように感じられる。

実際、米国側の苛立ちは1980年代に、ようやく日本メデイアも報じ始め爆発したが、種火は1960年代からとも言える。1985年頃、米商工会議所の会頭が「これまで何度も日本の首相に市場開放を約束されてきたが、すべて裏切られた。嘘ばかりつかれた。もう我慢の限界だ」と激怒していた様子は、私にとって今も鮮烈な記憶だ。まさに、このような長年の蓄積が、USスチール関係者だったブラジル系米人の最近の対日批判、さらにはトランプ氏の言動と共鳴しうる“アメリカ的感情”を下支えしてきたのだと、私は見ている。

トランプ大統領とバンス副大統領 ホワイトハウスXより

さらに憂慮すべきは、日本側の反応だ。当時、日本国内には「米国製品は品質が劣るから売れない」との正しい認識にとどまらず、「反米」「嫌米」、それは分かる。だが「憐米(米国を憐れむ)」という言葉まで生まれた。その瞬間、私は深く感じた――「このままでは、日本は米国の信頼を失い、いずれ取り返しのつかない危機に直面する。米国による特殊な庇護など、国際政治の現状をあまり理解、認識しないまま、自国の技術だけで勝負できると思い込む。その結果、TVや自動車はもちろん、半導体、スマホ、5G, これらなどの分野における競争で世界に負ける」と。それが1990年代前半から現在に至るまで、私が警鐘を鳴らし続けてきた原点でもある。

これも私が恐れて警告したこと。台湾半導体企業TSMCの熊本への移転。延期とあるが、多分中止になるでしょう。世界の「日本の立ち位置」をあまり理解してない。国際政治に弱い日本人は覚醒するべきなのかも知れない。

思い起こされるのは、1985年のプラザ合意である。私は後日だが、ニューヨークのプラザホテルおよびその他の合意会場を訪れた。米財務長官J・ベイカーをはじめとする英米代表や関係者との対談も重ねた。その場で交わされた合意の結果、為替は急激に動き出し、円高が猛烈なスピードで進行した。
この急激な円高の恩恵を受け、対米輸出で莫大な利益を得た日本企業は、その資金を米国内の不動産投資に一気に振り向けていく。とりわけ強く記憶に刻まれているのが、三菱地所によるニューヨーク・ロックフェラーセンターの買収である。1989年だった。米国のメディアと多くの米国人はこれを「真珠湾攻撃」とまで言い放った。
私はニューヨークだけでなく、ロサンゼルス、ハワイでも現地取材を行ったが、多くの日本企業は米国の世論や反発感情に無頓着なまま、買収を進めていった。高層ビル、リゾート、ホテル、ゴルフ場——資産の種類を問わず「買いまくった」のが実態である。日本(企業)が米国を買収して、不動産価格を釣りあげている。米国市場で儲けたお金だ。出て行けという声も聞いた。
(その後、類似の投資は中国勢にも見られるようになる。ただし彼らは日本と異なり、目立つ買収を避け、静かに、慎重に進めた。それは「買われた側」の心理を知った上での、いわば経験に学んだアプローチとも言える)。
この時期の記憶こそが、今日のトランプ氏の原体験のひとつとなっている。彼は理念を掲げる政治家ではなく、不動産ビジネスマンである。そうした彼にとって、「不公正な貿易で得た利益を使って、外国資本が我が国の土地や象徴的資産を買い漁った」記憶は、決して風化していない。
だからこそ彼は言うのだろう——「今こそ関税をかけて報復すべきだ」と。