『致知』の2012年10月号に、稲盛和夫さんと白鵬翔さんの対談記事「心を高め、運命を伸ばす」があります。その中に、稲盛さんの次の言葉が載っています--ボロ会社で給料が遅配する会社、本当なら好きになれない。でも、好きになる努力をしたんです。そこから私の運命は変わったと思います。
私の場合、会社が「好きになれない」とか「好きになる努力をした」とかというよりも野村證券時代、「こういう会社にはしたくない」と思うところが幾つもありました。今から42年前に私は、その業界のトップカンパニーである野村證券に入社し、そこで21年間働きました。その中で何を強く感じたかと言えば、野村もやはり大企業病に陥っていたということです。
例えばボーナスが出たり本給通知書を貰ったりすると「北尾は幾ら貰った?」と電話を掛けてくる同期がいましたし、あるいは「俺は課長になったけど、あいつは未だ課長代理だ」などと言う同期がいました。そして更には、その同期同士が足を引っ張り合うという様なのです。
野村證券は当時、同期300人の大卒の中で何人が一選抜で課長になれるのか、その内次長になれるのは何人か、生き残りの中で一選抜で部長になれるのは何人かというような競争社会でした。ではそれが純粋な競争かと言えば、上司に少し気に入られたとか、上司と馬が合ったとか、同じ職場で苦労を共にしたとかと、どの役員の押しがあるとかいった程度のもので、必ずしも本当の実績が反映されているとは言えないものでした。
私は課長ぐらいの時、当時の経営幹部の何人かから「次期次期社長は君だ」と告げられました。そのこと自体には、私は恬淡としていました。唯そのように言われた御蔭で私は「自分が社長になったら此のグループをどう変えて行こう」とか、「今まで自分が経験した中で此のグループにはどういう問題点があったのか」とか、「本当に皆が働き易い職場環境を作ってやろう」というよう常に考えるようなりました。
そして「詰まらぬ事で内向きのエネルギーばかりになって、御客様や取引先に対する外向きのエネルギーが減じられるような会社にはしてはいけない。全体として与えられた方向性をどう具現化して行くかという中で、社員夫々が自分の持てる限りの力で一生懸命努力する集団を作ろう」と強く思っていました。そういう意味では反面教師に対するように、野村證券という会社の中を見ていたわけです。
その後SBIグループを形成し今日に至るわけですが、創業後17年以上を経て会社らしくなってきている反面、常に大企業病のリスクを背負っている状況です。社内の詰まらぬ出世競争や派閥抗争の類を排し、内向きのエネルギーが外向きのそれよりも大きくなるのを如何に防いで行くかは非常に大事だと強く思い続けています。
冒頭ご紹介の稲盛さんも恐らく、従業員皆が後々喜ぶ会社にして行くにどうすべきか、という中で実際経営の任に当たられてからは、そういう形で様々変えて行かれたのだろうと思います。「好きになる努力とは、今日よりは明日、明日よりは明後日と、次から次へと創意工夫を重ねていくこと」だと、稲盛さんは言われています。私が思うに、サラリーマンから出発した創業経営者はサラリーマン時代にある種の反面教師を得ながらその中で苦労し、修養しより良い集団や組織を自らが創業した会社で作り上げようと努力して行くということではないでしょうか。
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