ミスターキャズムとネット鎖国の中で考えるべきこと - 神田敏晶

アゴラ編集部

KandaNewsNetwork,Inc.神田敏晶
著書:Twitter革命 (ソフトバンク新書 118)

ボクの知人に「ミスターキャズム」という名の人がいる。もちろんあだ名だ。おそらく、本人はボクから、そんな名前をつけられていようとは夢にも思っていないはずだ。
普通のビジネスマンであるが、情報には一応、食いつきがいい。しかし、最先端からは必ず2周回遅れでやってくる。

「ついったー なうしました アドレス教えてください。」精一杯、「なう語」でtwitterのノリをおさえる。彼がやって来たことによって、ようやくそのサービスは新しいフェイズ、つまキャズムを迎えるのであった。


mixiやYouTube、ニコニコ動画、そしてSecondLifeは、とても早かった。しかし、今回のミスターキャズムは意外に時間がかかったようだ。ミスターキャズムの一番重要な情報源はテレビだ。

テレビの動きは、ネット→新聞→雑誌と順番に紹介され、一応のブレイクと判断されてから初めて動き出す。他のメディアで「裏取り」が担保され、社会現象化の兆しが見えはじめてからなのだ。

ミスターキャズムは、新聞や雑誌では決して動かない。大多数のしかも普通の人に浸透するタイミングを、無意識に見計らって参入してくる。

しかし、当然ながら、周回遅れの情報なので、ホットなおもしろみとはちがって報道されることが多い…。

最近のテレビのtwitterの論調は「140文字で簡単につぶやくツール」と紹介され、フォローとフォロワーのゆるい関係を図解などで紹介される。
しかし、「簡単」と言えば言うほどその説明は簡単に見えてこない。

すでにtwitterでは、RTやQT、ハッシュタグに、各種クライアント、botに検索ツールに、APIサービスなどの情報があふれ、初心者にとっては覚えることがUNIXのコマンドほどある。つまりtwitterに代表されるリアルタイムウェブは、ネット黎明期の混乱カオス期そのものなのだ。

twitterを説明するのに図解で説明すると非常に大変だ。

RTとQTの違いを説明するだけでもこんなことになる。
http://d.hatena.ne.jp/rikuo/20091213

では、twitterはそんなに難しいものなのだろうか?いや、そんなことはない。スタートの基本は「つぶやき」である。当事者である自分から見ればそれほどむずかしくはないはずだ。最近はつぶやかなくても、見ているだけでも有効な情報はかなり得やすくなってきている。得にニュース系をフォローすれば、新鮮なホットな情報が向側から飛び込んできてくれる。重要な情報も誰かが、RTをして再出版してくれるからタイムラインを眺めているだけでいいのだ。

そこで、twitterを説明するのに、絶対値的な領域で説明しようとする複雑化してしまい、説明にならない。しかし、自分を中心においた相対値的な見方をすればわかりやすい。社会が自分からはどう見えるのかという視点だけでいいのだ。
つまり、twitterは情報の回転寿司だと思えばいいのだ。好きな時に好きなものをチョイスすればいいのだ。すると、誰か他の人もそれにつられてチョイスしたりする社会なのだ。

さて、ミスターキャズムが参入する今頃になると、twitterには、多種多様なサービスが展開されている。特に日本の場合、ここからの応用力がすばらしいと思う。ドラスティックな展開はまったく期待できないが、日本語に特化したキメ細やかなサービスは大得意だ。携帯などでの横軸の展開は世界でも最先端にいつしかなってしまった。

よく「ガラパゴス」と独自進化の形態が揶揄されるが、日本は本来、世界と鎖国することによってその文化を維持してきた。当然、そのオリジンは中国であったりするが、現在の日本語そのものも、漢字、カタカナと世界各地の要素をパクリ、独自の文化を形成してきている。外的な影響を受けずに独自に進化したガラパゴスとは違い、いろんな要素を複合して融合してきた文化的背景を持っていることにあえて留意しておく必要がある。

さらに、それらが狭い国土で、多数の人が、しかも、世界と比較すると教育水準が平均で、マスメディアによるコモンセンスが1日で形成されてしまうこの国で、よってたかって、勤勉にサービスが鍛えられ続ける。しかも日本語という単一言語だけで。
結果として、諸外国からはまったく参入できない市場が形成される。つまりガラパゴスではなく、完全な「ネット文化の鎖国」なのだ。さらに出島としてのインターネットではインバウンドのみで、アウトバウンドは皆無。こんな一方通行の出島も歴史上存在しない。

多種多様な亜種のスピーシーズを持ち、外敵のいないその鎖国という環境の中で生物はスクスク育つ。珍しい珍種のマンガやKAWAIIファッションだけが世界に注目される。
世界に情報発信できるはずだった「ホームページ」も、世界とリアルタイムでつながるはずのtwitterも、世界を検索できるはずのGoogleも日本語優先によって、日本独自のものになっている。日本人にとっては最高の環境なのである。しかし、1/60億のマイノリティーのままである。

日本が心地よい日本語というファイヤーウォールで守られる鎖国ネット文化の中で、自国市場では生き残れないアジアの国々の国際化が激しい。
それはデジタルネイティブ世代でも同様だ。これだけ進化していながらも世界に伝達できない理由。それは日本語というプロトコルの問題だ。

10年後、アジアのデジタルネイティブで英語が使えない国は、日本だけになっている可能性は高い。20年後、世界から後進国が消えた時、日本語のプロトコルの価値はどうなっているのだろうか?
少子化が進み、高齢化社会を迎え、海外の労働人口に頼らざるを得なくなったその日。
ブルーカラーの職種は、英語と中国語とスパニッシュを使い、リタイアしたホワイトカラーは日本語のみという、いびつな国際化の日本を迎えていることだろう。

言語がプロトコルだとすれば、普及させるか、普及しているものを使うか…そろそろ、そのあたりの未来の日本の話も考えておいて損はないと思う。