大東亜戦争は明治維新からの「東亜百年戦争」だった

大東亜戦争肯定論 (中公文庫 は 68-1)
林 房雄
中央公論新社
★★★★☆
産経新聞によると、橋本琴絵『新大東亜戦争肯定論』が「アパ日本再興大賞」を受賞したらしい。この著者は単なるネトウヨで読むに値しないが、林房雄の本書は名著である。初版は1964年で、タイトルだけ見るとトンデモ本のようだが、内容の水準は高い。解説で保阪正康氏もいうように「肯定論」として本書を抜くものはいまだにない。
日米開戦は「ルーズベルトの罠」だったとか、パル判事の日本無罪論とか、おなじみの話が多いが、これは本書がネタ元で、『正論』や『WiLL』に毎月出てくる話はほとんどここに書かれている。

「東亜百年戦争」という一貫した史観

本書が百田尚樹氏などのネトウヨ本と違うのは、日本とアジアについての一貫した歴史観にもとづいて近代史を書いていることだ。林房雄は1850年以降の日本の歴史を東亜百年戦争という観点から整理し、グローバル資本主義の中で日本が生き残っていく戦いだったと位置づけている。

19世紀以降の帝国主義戦争の中で、アジアで最後に残された小国、日本が自衛するには「富国強兵」で軍事大国になることが至上命令だった。結果的にそれが失敗だったことも認めているが、戦争は「勝てば官軍」。正義の戦争などというものはないという。

百年戦争の起点は、ペリー来航より7年前の弘化年間(1844~47)で、この時期に80件以上の外国船(オランダを除く)が記録されている。東京湾や琉球にはアメリカが、樺太にはロシアの軍艦が出没し、ペリー以降も薩英戦争や下関戦争が起こった。こうした軍事衝突を「宣戦布告なき戦争」と考えれば、1850年ごろから戦争は始まっていたわけだ。

幕末の「反グローバリズム」

幕末の「戦争」によって、徳川の太平の眠りをむさぼっていた武士の戦闘精神が覚醒し、尊王攘夷の運動が始まる。この起点も吉田松陰より前の水戸学と平田国学で、「日本」という国のまとまりを初めて意識し、その君主として天皇を想定した。

この意味で尊王攘夷は日本的な反グローバリズムであり、西洋のナショナリズムとは違うが、「君主を中心にして国を守る」という主権国家に似たモデルだった。だが攘夷の部分はいつの間にか消え、伊藤博文などの元勲は諸邦を統一して国家を建設したドイツに学んで、300の藩を統一して「列強」の帝国主義に対抗しようとした。

日清戦争については、金玉均が福沢諭吉に学んで朝鮮の近代化をはかり、それに失敗したことが悲劇の原因だった。この経緯を抜きにして福沢の「国権論」を批判するのは誤りだ。ナショナリズムがなければ、日本は中国のようにバラバラになり、近代化に大きく立ち後れただろう。

当時の日本政府の宿願は不平等条約の改正であり、伊藤博文や井上毅などの首脳は、日露戦争まで一貫して非戦論だった。当時、非戦論をとなえた『万朝報』は弾圧されず、対露強硬論を主張した内田良平の本が発禁になった。

アドホックな「敵前工作」の連続

要するに明治の元勲は戦力を知っているので戦争に消極的だったが、そういう実情を知らない右翼が強硬論を主張し、それにあおられて軍部の強硬派が勢いづいたのだ。この点で右翼そのものが政権をとった「ファシズム」とは違う――と林は丸山眞男を批判しているが、これは現在の歴史学の通説に近い。

ただこの百年戦争は、石原莞爾の考えたような一貫した計画で行なわれたものではなく、「やらないとやられる」という警戒心と、危機が迫ってから準備する敵前工作として場当たり的に拡大したものだ。

満州事変の謀略をしかけた石原が排除されて永田鉄山が暗殺されてから、強硬派をコントロールできなくなった。日中戦争は中国を支配しようとする米英に対する植民地解放戦争であり、それは敗戦に終わったが、第2次大戦後にアジアのほとんどの植民地は解放された。

…など、本書の歴史記述は意外に客観的で、戦争を「聖戦」と「侵略」にわけるのは勝者の論理で、日本が従う必要はないというのも正論である。本書は大東亜戦争の結果を肯定しているのではなく、当時の日本人の心情を肯定しているだけなので、惜しまれるのはタイトルである。『東亜百年戦争』としておけば、この種の本の古典として残ったと思われる。

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