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自分の記憶は、意外とアテにならないものです。
最近妻と、あるご夫婦と10年前に食事をご一緒にした思い出話をしていた時のこと。
私は、「10年前のこの時、ご夫婦2人からちょっとショッキングな話を聞いた」と記憶していました。ご主人がそのショッキングな話をするのを、奥様が隣でニコニコして聞いていた場面が記憶に残っていました。
しかし妻は「いや、それって、奥様がお手洗いに立った間に、ご主人が一人で話していたんだよ」と言います。
なるほど、話の内容がショッキングだったので、確かにその方が辻褄が合います。私の記憶がすり替わっていたようです。
似たようなことが他にもあります。
以前、小学校の同窓会に出たのですが、自分がまったく覚えていない小学生時代の私の言動を、複数人の同級生から言われたこともあります。
またIBMの元同僚から、若手時代の私が今では思いも付かないような言動をしていたことを聞かされて「それ、誰?」と思ったこともあります。
ここまで来ると単に自分が忘れっぽいだけのような気もしますが、いずれにせよ、人の記憶は意外とアテにならないものです。
やや古い記事ですが、2026.10.17の日本経済新聞に、認知行動療法研修開発センターの大野裕さんが「こころの健康学 記憶は都合良く変わる よい体験を思い出そう」というコラムを書いています。
大野さんもご自身の体験を振り返って「人間の記憶は曖昧である」とした上で、過去の研究でも、私たちの過去の記憶の信頼性が低いことを指摘しておられます。
私にとって新たな発見は、記憶は自分の認識によって強化される、ということです。コラムの一部を引用します。
「そのときの気分によっても、過去の記憶は変わってくる。精神的につらいときには、つらかったときの記憶を思い出しやすくなる。しかも自分に気持ちをつらくするような厳しい言葉をかけるようになる。その結果、ますますつらい気持ちになるという悪循環が起きてくる」
過去のことをクヨクヨと悩むと、過去の記憶はさらにつらいものに上書きされ続けるということですね。
さらに、大野さんはこう続けています。
「逆に、楽しい体験をしているときには、過去のよかった体験を思い出しやすくなる。落ちこんでいるときに、こころが軽くなるような行動をすると気持ちが晴れるのはそのためだ」
過去に自分に起こった出来事は一つの事実ですが、その事実は、私たちの認識を通して、脳内に記憶として定着します。
だから同じ過去の出来事でも、自分の認識次第で「辛い記憶」にもなれば、「楽しい記憶」にもなるのですね。
私たちの記憶が曖昧なものなのであれば、常にポジティブに考えるようにして、より「楽しい記憶」にしていきたいものです。
心理学者リチャード・ワイズマンも著書『運のいい人の法則』で、「銀行強盗に遭遇して銃で腕を撃たれた。これは運がいいか?悪いか?」という質問で、運の悪い人は「運が悪い。いいという人は頭がおかしい」と即答する一方で、運のいい人は「幸運だ。頭だと即死。腕で良かった」と答える事例を紹介しています。これも認識の違いが、運を分ける事例です。
「あの人は能天気だなぁ」と言われるくらいの方が、ちょうどよいのかもしれませんね。
編集部より:この記事はマーケティング戦略コンサルタントの永井孝尚氏のオフィシャルサイト(2026年10月27日のエントリー)より転載させていただきました。永井孝尚氏のメルマガのご登録はこちらから。







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