- フランスで高校生の大規模抗議運動が拡大。
教師不足や学校施設の老朽化が背景にあるが、教育予算は国際的に見ても少なくなく、単なる予算不足ではなく行政の非効率や資源配分の問題が問われている。 - フランスの財政危機は、高福祉国家の限界を浮き彫りにしている。
手厚い年金制度が財政を圧迫し、国債金利も上昇。クルーグマンのような左派寄りの経済学者も現行制度の持続可能性に疑問を呈している。 - フランス左派の普遍主義には価値があるが、実現可能性に問題がある。
富裕層課税や格差是正の理念は評価できるものの、極左メランションらの急進的な政策は市場の信認や国際協調との両立が難しい。 - フランス政治は理想と現実の衝突による転換期を迎えている。
2027年の大統領選挙では極右と極左が台頭し、中道勢力が苦戦。従来の社会保障制度や国家観を維持できるかが争点となっている。 - 日本とフランスに共通する課題は、独自の価値観と経済的制約の両立である。
フランスは年金制度の改革、日本は「企業を守る」から「人を守る」雇用政策への転換が必要であり、両国とも理念を捨てずに現実に適応する制度改革が求められている。

今、フランスで高校生を中心とした大規模な抗議運動が広がっています。
もともとは教師不足や校舎の老朽化などへの不満から始まったものですが、全国各地に波及し、学校の封鎖や警官隊との衝突、一部では放火や破壊行為にまで発展しています。
こういう「フランスの暴動」が起きると、世界中でおなじみの光景が繰り返されますよね。
いわゆる”左派”的な人々は「若者たちが権力に立ち向かっている!」と熱狂的というか「盲目的」といったレベルで称賛し、反対側の人々は燃えるゴミ箱や警官との衝突映像を見て「ただの暴徒じゃないか」と一蹴する。
トップ画像にしたこんな感じ↓の分断が生まれるわけですね。

双方がそれぞれ見たいものだけを見て、肝心の現実について考える機会が失われてしまう。
私自身、今回のデモで、名門エリート高校の生徒たちが、自分たちの恵まれた立場を認識しつつ、環境の悪い学校の仲間たちとの連帯を訴える演説をしている姿には、フランス的な共和主義の理想の「美点」を強く感じました。
えてして「同じ国の人間」だからといって「同じ教育が保証されるべき」という発想自体が薄い感もある英米型の社会運営(むしろ親が子に対してそれぞれ違った教育を受けさせる選択肢がある事自体を権利と考えがちな面もある)に比べると、この「同じ国の人間ならば」を高らかに謳い上げる発想は大変新鮮に思え、この点は日本も見た目は違えどかなり違う共通する精神がある点だと思いました。
こういう光景は、やはり単なる「暴動」として切り捨てたくないという気持ちが私にはあります。
一方で、フランスの教育は現実としてはエリート主義的であり、貧困地区から”なり上がれる”要素が結果として英米の制度より低くなってしまっている事はよく批判されており、ここにも”理想を語ると世界一だが現実のハンドリングは苦手”なフランスというイメージがそのままでている部分と言えるかもしれません。
そういう「理想と現実のギャップ」みたいな話において、単に「フランスの若者は素晴らしい!」と絶賛しているだけで終わっていいのか?っていう話があるわけですよね。
ここで考えてみてほしいことがあります。
以下は「公的支出全体」や「教育費支出」のGDP比のランキングですが、フランスでデモやってる人が「緊縮ネオリベ財政を許すな!」とか言ってるのが他国から見ると「さすがにそれは言い過ぎなんでは」という印象になってしまう感じがわかりますね。

つまり、
・フランスは諸外国と比べて国全体の支出が大きいだけでなく、教育予算自体も決して少ない国ではない。
・結果として、現在は財政危機が問題視され、フランス国債の暴落(利率の上昇)は2009年の欧州債務危機の時期のレベルに近づいている
…ということです。
にも関わらず今回のデモの発端となった不満としては、学校の校舎があまりにボロくて改修されず、猛暑でも空調がなく、教師不足で開講されない授業がある・・・という話どころか、生徒が使える十分なトイレすらない状態で放置されているのが問題だといった「野戦病院ですか?」というような話が大問題になっている。
これは本当に、「政府が予算をケチっている事が問題であり、我々は連帯してこの状況に抗議しなくては」というだけで解決できる問題なんでしょうか?
むしろ他の国と比べても相当に潤沢に教育予算を使っていながら、生徒用のトイレも足りない状況になっているのは何故なのか?という視点についてもっと真剣に考えることが必要なのではないでしょうか?
理想を掲げることと、その理想を現実の社会でちゃんと機能させることの間に、いったい何があるのか。
今日は、今回のフランスの騒動を手がかりに、世界中の左派的な人たちがもう少し真剣に考えるべき問題について書いてみたいと思います。
1. フランス財政の「今」を客観的に把握すると・・・
今月はじめごろ、フランス国債が市場で暴落しはじめた頃に、解説するための軽いx記事を書いたんですが、あんまり煽らずに書いてる記事がxでは珍しいので(笑)いろんな立場の人から結構読まれました↓
フランス国債の暴落があって「フランス発の次の欧州債務危機が来るぞ!今度はギリシャよりデカくて大問題になるぞ!」という声が出始めています。実際のところどの程度ヤバいのか、その背後にある事情は何なのか?日本の場合との共通点は何かなど、あまり煽らない感じで簡潔にまとめてました。
— 倉本圭造@新刊発売中です! (@keizokuramoto) October 2, 2026
実際、これは国際的な傾向なんですが、「フランス型の政府支出が大きい国」が問題に陥ると、主に英米型の国の論者から一斉に「破綻だ!こんな制度は維持できない!」っていう声があがるみたいなんですね。
これは、フランス的なプライド高い日常の振る舞いがムカつかれてるみたいな話もありそうですが(笑)、結果として実体以上に攻撃的な批判が巻き起こり、逆に「フランス好き」なタイプの世界中の人がそれに対抗するために一種盲目的なまでに称賛しはじめてわけがわからない事になる。
さっき貼ったリンク先のx記事ではその辺りを冷静に「どの程度なのか」を分析する軽い記事を書いていますが、とりあえず「どのくらいヤバいか」という話で言えば、
・今すぐ破綻!という感じではなく利率が上がったフランス国債は順調に入札されている。(ただし、利払い費の増加によって今後の財政に今まで以上の制約がかかってくる事を意味する)
…という感じだと思えば良いと思います。いわゆる「外堀が埋まりつつある」ぐらいの感じで、いきなり致命的とは言い難いが今までのままじゃいられなくなりつつありますよねという感じです。
そして、上記記事でも触れた話ですが、以前ニューヨークのマムダニ市長が当選した時に彼の公約を冷静に分析する記事を書いた(好評だったので未読の方はぜひ)時に、税制の国際比較などをすると、ほぼ確実に
「フランスの税金は高い(OECD諸国の中でもかなり高い部類で、税金が高いイメージがある北欧より高い側面もある)」
…という話が出てくるんですよね。
え?そうなの?って思いませんか。在住者以外はそこまで税金が高いイメージがないですよね。
そしてその秘密は、フランスは公的年金が世界最高レベルに充実していることが原因で、支給開始年齢が早いだけでなく「現役時代と変わらない年収を保証する」ことを目的としている事が大きな理由になっているんですね。
北欧型に「コレが無料で受けられます」となるとすごい恩恵感がありますが、年金給付がいかに潤沢だろうと「俺が現役時代払ってきた分を受け取ってるだけだ」イメージになるからなかなか恩恵感が少ない(実際にはいわゆる”賦課方式”なので現役世代に払ってもらってるんですが)。
そしてフランスはこれを「世代間問題」だと捉えない事がフランスのプライドみたいな感じで今まで来ていて、むしろ潤沢な公的年金を受け取ることが「労働者の権利」であるという建付けで議論してきた歴史があるんですね。
実際マクロンが2023年に退職年齢を62歳から64歳に引き上げようとした時はむしろ「現役世代」の方が反対票が多かったぐらいだそうで。
つまりは、
「老人の年金を維持するため若者が犠牲になっている」という構図ではなく、「長く働いたら引退できるのは、世代を越えた労働者共通の権利だ」という受け止め方が強かった
わけですが、2026年になると徐々にこういう「高楊枝」も維持しづらくなってきて、中道左派のル・モンドという新聞ですら「世代間対立」という視点でこれを報じる例がでてきたりして、「さすがにこのままでは維持不可能なのでは」という論調はヒタヒタとフランス世論に染みてきている部分があるようです。
2. ”あのポール・クルーグマン”ですら!フランスの現状維持には悲観的
もうひとつ、フランス国外からの客観的な視点として、ポール・クルーグマンという、これまたアメリカにおいてはかなり左派的な(欧州基準では中道左派ぐらいか?)の経済学者が、「さすがにフランスの場合はこのままでは維持不可能だろう」という趣旨のブログをサブスタックに書いていて話題になっていました。
「経済学界隈」じゃない人にはあまり知られてない名前ですけど、クルーグマンは相当に「弱者保護型」の情熱の強い経済学者(この記事に書いたようにアベノミクス型の金融緩和を理論的にバックアップした学者の一人でもある)という印象があるので、「あのクルーグマンですらこういう評価なのか」みたいな印象は強くありましたね。
特に、彼が指摘している点で重いのは、2009年の欧州債務危機の時に破綻寸前になりつつも助けてもらった諸国であるいわゆる”PIIGS”(ポルトガル・アイルランド・イタリア・ギリシャ・スペイン)の場合は、救済の代わりに相当に厳しい歳出削減策を要求されてそれを実行した経緯があるんですね。
クルーグマン自身は、当時そういう厳しい要求をする事自体に反対だったわけですが、EUの中央銀行であるECBがPIIGSの財政を救済するにあたって、それ以外のEU諸国からすれば「なんで俺達のカネでアイツラを助けなくちゃいけないんだ」という印象にどうしてもなる中で、「厳しい財政改善要求」を飲むことを条件に救済したという経緯があるんですよ。
で!一方の今!
今度はむしろフランスの財政に疑問符がつくようになった今になって、今後何らかの救済が必要になったとして・・・
そもそもフランスはPIIGSよりも断然大きいので「助けるったってその事自体がめちゃくちゃ大変」なんですが、その上で、
・「自分たちは一切財政改善しません(むしろさらに年金の受け取り可能な退職年齢を引き下げたりします)」
・「でも助けて下さい」
・「フランスのパワーはEU内で強いから、”助けないとEU抜けるぞ”とか脅せばいうこと聞くはずだ(実際一部左派はこういう事を言っている)」
…みたいな話はさすがに感じ悪いところがあると思います。
「感じ悪い」ってだけじゃなくて、「フランスが掲げる普遍主義」みたいなのは単にフランス一国が良ければそれでいいって話なんですか?みたいな、「マリー・アントワネットの贅沢」にすぎないのでは?みたいな大問題を惹起するところがあるんですよね。
「フランス的普遍的理想を壊そうとするネオリベ資本主義への高貴な抵抗」だとフランス人が自認しているものは、「単に他国を犠牲にして自分たちだけ助かればいいというワガママにすぎない」のではないか・・・という大問題がここにはある。
個人的に自分は、「フランスが失敗すると大喜びする市場原理主義者」みたいな立ち位置はあまり好きじゃないし「フランス的価値」っていうのは何らかあると信じたい人間ではありますが、この「マリー・アントワネットの贅沢に過ぎないのでは?」という問いかけは、今後フランス(の左派)が「左派的普遍主義」を掲げるならば真剣に向き合わざるを得ない十字架となってくるはずだと思います。
3. 「フランス的美点」は確かにあると思いたい。
とはいえ、個人的に「フランスがやることなすこと全部否定したい情熱を燃やしている市場原理主義的な立ち位置」にも乗り切れないものがあると思ってはいて、「フランス人の高楊枝」ゆえに意味を持ちうるムーブメントというのも確かにあるんですよね。
例のピケティと近い経済学者が書いた以下の本は大変興味深いものでした。
エマニュエル・サエズ ガブリエル・ズックマン『つくられた格差』
この本は、アメリカのバイデン大統領時代の富裕層増税(トランプ時代に全部巻き戻っちゃいましたが)や、国際的な法人税下げ競争への抵抗(これはある程度形になった)の流れの理論的背景となった内容になっていて、当時私がウェブメディアで紹介した記事は結構好意的に読まれました↓

この本の面白いところは、「アメリカの主流派経済学者はこう考えないだろうが」っていう言葉がめちゃくちゃ沢山でてくる(笑)ところなんですよね。「仮想敵」としてめちゃくちゃ意識してる。
全体としてアメリカ型の市場原理主義の上に、もう一個普遍性のレイヤーを作り出して、グローバル資本主義が生み出す「悪」を乗り越える何らかのチャレンジをしようという熱意・・・みたいなものが一貫した思想として展開されているのは間違いないです。
結果として、
法人税下げ・富裕層減税・中間層や底辺層への増税・資本課税よりも労働課税を重視・色々な課税逃れの結果的な黙認」…といった「ネオリベパッケージ」
から、
「法人税上げ・富裕層増税・中間層や底辺層への減税(あるいは少なくとも据え置き)・労働課税よりも資本課税を重視・色々な課税逃れへの監視を厳しくする」といった「フランス人経済学者の考える社会的公正路線」
…みたいな流れは一本のムーブメントとして存在する。
で、実際に、アメリカの富裕層増税は巻き戻っちゃったけど、世界中で法人税率を果てしなく下げる”底辺への競争”をする流れは抑止しようという当時アメリカのイエレン財務長官が話していた議論は、徐々に国際的に具体化していっています。
そういう意味では「フランス人が考える理想」自体には何らかの意味があると感じる部分はすごくあるんですよ。
ただ問題は、これはピケティやサエズ、ズックマンだけじゃなくて、例えばエマニュエル・トッドとかのフランス人の議論を聞いていても毎回共通して思うことなんですが、
あなたのいう理想にはかなり共感したいポイントはあるんですが、それを実現するには人類社会全体を問答無用に支配するものすごい巨大な権力を誰かが握る必要があると思うんですけどそれをどうするんですか?まさか「フランス」が主導するべきと考えてるんじゃないですよね?
…という大問題があるんですよね。
サンデルとピケティの対談本はめっちゃ面白かった超おすすめ本なんですが、国際的な格差是正に関するピケティの「熱意」はすごい伝わったんですけど、それを「実行」するにあたって超超超超巨大な国際政府の独裁みたいなものが必要なアイデアばかりな感じがして、そこに「フランス的普遍主義」の大きな限界が潜んでいると言えそうです。
「理想」はいいとして、実行面を考えれば考えるほど「それは単なるフランスの特権主義なのでは?」という批判から逃げられなくなってしまう。
4. 「極左メランション」は何を言っているのか?
そういう「フランス的高楊枝」の具現化みたいな存在としてのメランションという人がいるんですが、これは「極左」とされる「不服従のフランス」という名前からしてwwwという感じの政党のボスで、今回の問題について「”市場”なんかに屈してたまるか!」的なスローガンを叫んで支持者を集めています。
翻訳「フランスの左派政党「不服従のフランス」のメランションは、若者たちの人気候補です。彼は、自分の成功の秘訣は、問題が富裕層にあり移民ではないと彼らを説得したことだと語っています。今日、彼の集会は人で溢れかえっています:「相互扶助の社会を築きましょう」」
— calyzeus (@calyzeus) October 12, 2026
メランションは過去に発行された一部のフランス国債の”凍結”を主張しているらしくて、市場的にはかなり警戒されています。
この「フランス国債の凍結」というのは細かく言えば単なるデフォルト(踏み倒し)ではなくて「無利子・永久国債化」するというアイデアで、これは日本でもアベノミクス期に日銀が保有してる日本国債について同じ事を主張している人が結構いましたし(とはいえあまりにも”一線超えてる”感があってマトモな政策議論にはなっていない)、さっきも書いたピケティなどの「フランス人の経済学者」の中では一つの「ものすごく非・伝統的だけど一応真剣に考えられたアイデア」ではあるんですね。
ただし、日本の場合は「日本国と日銀」は一対一対応ですけど、EUとECB(EUの中央銀行)に対してフランスは一部でしかないので、さっきも書いたけど財政規律をちゃんと守ってユーロの信任を守ってきたドイツや欧州債務危機時に財政改善を実行させられたPIIGS諸国からすれば「何勝手なこと言うてんねん!これやからいつもフランスは自分のことだけ考えやがって」という話であるのは間違いない。
ここにも、「フランス人の普遍主義」はアイデアはいいんだけど実行面では「人類全体あるいは少なくとも欧州全体を支配するものすごい強烈な中央集権権力」を必要とし、”フランス人の手に余る”ので実行しえない・・・というような大問題があるように思います。
また、こういう「国際的な調整が必要になる」案以外でも、国内富裕層に重税を課したり法人税を再度引き上げたりという方向についても、「すごい中央集権権力が必要」なのは同じなんですよね。
さっき書いたサエズやズックマンといったフランス人経済学者のビジョンは、「アメリカ型のガチネオリベ主義」を補完する大事な発想の源泉ではあると思うんですが、実際に「実行する」にあたってはものすごい「巨大な統一権力(あるいは巨大な民主的合意)」と、その上で細部の問題から逃げずに徹底的に現実的に考える粘り強さが必要で。
例えばフランスは他国よりは「富裕層に税金を払わせろ」という方向の合意が取れやすい国ではあって、歴史的に野心的な富裕層への資産課税みたいなチャレンジは常に行われてきてるんですよ。
それは「美点」と言っていいと思うんですが、問題は、「どの程度どういう形で」取るべきか・・・という細部の問題で、例えばピケティは以下のような「マジっすか」レベルのプランを提唱してるんですが、
・一回限り: 2017〜2027年の資産増加額のうち、1億ユーロを超える部分に50%課税。
・毎年・恒久的: 純資産1億ユーロ超の部分に年5%、10億ユーロ超の部分に年10%課税。
これはもう「税制改革」というより「革命」レベルで、これはさすがに実現したら富裕層の「逃避」は明らかに進むし、それだけの「巨額」を集めて「政府が」使い道を決めるっていうことの不合理性は無視できないレベルになると思います。
で、左派は「富裕層課税」っていうのが一種の「銀の弾丸(それさえ使えば全部解決する魔術)」だと考えがちなんですが、上記のように「革命」レベルの事をやれば別だけど、現実的な配慮をある程度しながらの「金持ち増税」っていうのは、やはり国家の財政危機を丸ごと救うほどの税収にはならないというのを、フランスが何度も試してきた富裕層課税の現実が示してるところがあるんですね。
やはり大富豪は一人頭ではカネ持ってるけど人数が少ないんで、富裕層にトクベツな課税をすることの「象徴的な意味」はすごくあるにせよ、金額的には「よっぽど」な税率を課さないと一国の財政を丸ごと立て直すほどにはなかなかならない。
一方で、ピケティ個人のプランに比べると、「極左」とされるメランション候補周辺が言ってる事は、「市場なんてクソくらえ」ぐらいのスローガンの見た目ほどにはめちゃくちゃではないようですが、それでも相当に強引だし、「既にOECD平均よりよほど支出してるのにトイレもないフランスの学校」みたいな問題に対してちゃんと現実の細部運営の吟味をしていかずに、「さらにカネを注ぎ込むだけ」という発想でいいのか?というのは真剣に考えられるべき課題になると思います。
要するに、「フランス左派の理想」には「人類が学ぶべき大事な要素」が確実にあるとは思うけれども、それを実現するにはただ「市場」的なものを攻撃しているだけではダメで、もっと現実の細部の地道な調整が必要になってくるわけですね。
そこのところが、記事冒頭に書いたような「理想を語ると世界一だが現実のハンドリングは苦手」そうなフランスにおける限界を感じるポイントではあるんですよね。
5. 「フランス的普遍主義の高楊枝」の曲がり角にはなりそう
では結局フランス政治はどういう感じになっていきそうか?という話なんですが・・・
来年の大統領選挙の現時点での世論調査を見ると、「極右ルペン」が(ダントツ)一位で、二位が「極左メランション」という状況らしくて、マクロンのような中道派の後継者たちの旗色はかなり悪いようです。

まだ結構時間があるからこの数字はどんどん変わっていくかもしれませんが、とはいえメランションが大統領になる可能性はあまり高くないと見られているようですね。
というのもメランションは、支持者の熱狂はすごいんですが、あまりにも「野心的で挑発的」なことを言いまくっているので、「支持者以外」からの警戒感が大きいんですよね、
なぜそれが重要かというと、フランスの大統領選挙は「決選投票制」で、”絶対過半数”を取った候補がいないと二回目の決選投票があるんですね。
で、アメリカで最左翼のサンダース候補が、民主党の予備選では結構強いけど本戦では勝てないだろう・・・と言われていたのの「もっと直接的」なバージョンの問題があって、「熱狂的な支持者」の投票でたとえ決選投票に持ち込んでもその先が難しい。
中道や右派の支持者だけでなく、「極左」以外の「中道左派」の支持者にすら「メランションだけはヤバい」と考えている層が多いという結果がでているらしく、そうすると「決選投票」になったらかなり不利になりますよね。
一方で「極右」とされるマリーヌ・ルペン候補の方は、以前までは「ルペンだけはヤバい」という評価が高かったんだけど、今回はその数字が結構下がってきている(ルペンでもまあ仕方ないだろうという評価)らしい。
ルペン氏は最近「むしろ自分たちは財政規律を重視する」という政策ビジョンを発表したりしていて、むしろ「安心感」を売りにする方向に動きつつあるように見えます。
このあたり、ニューヨークのマムダニ市長が、既にある程度支持を固めた選挙戦の終盤、むしろ「富裕層やビジネスリーダーとの対話」を何度も行って「安心感」を買う戦略にでていたのと似ている要素を感じるところがありますね。
そういう流れの結果として、今までフランスが世界的に維持してきた「独自の高楊枝」みたいなものはどこかで曲がり角を迎えることになるのだとは思います。
ストレートに「フランスが世界を制覇」するような理想にはある程度制限がかかると考えられるけれども、それでもそこにあった「普遍的価値」を、よりグローバルに通用する具体的な制度として練り上げていくようなムーブメントに持っていけるかが問われているわけですね。
6. 日本とフランスで共通している「今の課題」とは?
冒頭に引用した私のX記事でも書きましたけど、日本とフランスは今結構似たような局面にいるという見方ができると思うんですね。
上記記事から引用します↓
それは、「フランスらしさ」とか「日本らしさ」という非常に独特のこだわりを持った国家運営を、今の大きな環境変化の中でどのように適応させていくのか?という課題です。
(中略)
日仏はそれぞれ「独特の自分たち特有の国家観」があり、グローバル経済全盛時代にそれぞれ必死の「高楊枝」でその独自性を維持してきたのだが、それがそのままでは維持しづらくなっているように見えます。
(中略)
これから重要なのは、フランスも日本も「普通の国」になってしまうということではありません。おそらくそういう単純な話では解決できない。
時代の変化に負けずに「自分たちらしさ」をアップデートできるかどうか?という戦いを、これから日仏はそれぞれなりに戦う事になるのでしょう。
なんかここで自分は、「世界中同じ対処がなされるべき」という考え方には賛成しないんですよね。
それぞれの国にはそれぞれの国の考え方があるんで、「当然こうするのがいいはず」という方向に単純に乗れないとすれば、それはその国なりに「絶対的に重視したい価値」があるからだ、という風に理解することも大事だと思う。
フランス人にはフランス人の理想があり、日本には日本人が考える「理想」がある。
メランションが主張する「永久凍結国債」のアイデアを日本でも主張している人がいたように、「アメリカ型ネオリベ経済」から距離をおいて「自分たちが考える理想」を守ろうとしてきたという点でも共通するものがあると言っていいはず。
(こういう時に「フランス人の理想は輝ける人類の希望」だけど日本人の理想は「単なる右翼のたわごと」みたいに扱う人がいるんだけど(笑)そういうのこそ唾棄すべき20世紀以前型の”欧米中心主義のまなざし”に過ぎないのだと思います)
とはいえ、「今までのまま」ではいられなくなってきた時に、フランスも日本もこれから「市場側からの要求」をうまくいなしながら、自分たちが大事に考える価値の中心を守り切るにはどうしたらよいのか?というチャレンジをやっていくことになるんだと思います。
フランスの場合、クルーグマンですら無理って言ってる年金問題での妥協は避けられないと思うけれども、
「フランス共和国の理想とは、それはつまり年金給付が潤沢なことなのだ!」
…みたいな単純な立場でいると逃げ場がないわけですよね。
しかしフランスが考える「理想」から考えて、どういう相互扶助のシステムに移行すれば持続可能性とフランス的理想が両立するのか?という問いかけに真剣に向き合うことが未来への扉となるでしょう。
(もちろん、今のシステムを維持する大変さを理解した上で、それでもフランスは年金の現状水準を死守するという決断を民主的に行うのなら、その茨の道を進む意思にも敬意が払われるべきなんだと思いますが)
日本の場合は、「職場」っていうものに対する一種”神聖”化した独特の理想があって、あらゆる人に「職」を配るということにものすごい真剣になってきた歴史があるんだけれども・・・
人手不足の時代になって、むしろ「雇用の量」より「雇用の質」の方が圧倒的に大事になり、産業競争力全体の立て直しも必要になってきた今となっては、
「あらゆる企業を守る」から「企業ではなく人を守る」
…方向に徐々にシフトしていくことが当然求められる変化としてある。
以下記事で書いたような「高金利と人手不足時代」に対応する経済・社会編成の変化を上手く乗りこなしていけるかどうかが、日本なりの「チャレンジ」ということになってくるでしょう。

フランスの政治家が「再度年金支給開始年齢を引き下げる」と言ったり、高市政権が消費税減税を限定2年間やるとか言い出すと、「市場」関係者からは「はぁ?」っていう感じの大ブーイングになるんですけど、ある意味で「その国の国民との紐帯を守るために必要だと考えるかどうか」は、市場とは別問題として大事なんだという発想は必要だと思います。
「市場主義者から見たら心底バカバカしいように見えても、その国特有の事情として”そこ”には妥協できない何かはあるのだ」という部分を否定せずに取り込んでいくことが大事(な時もある)だからですね。
とはいえ、「無理なものは無理」という制限が徐々に課されていくからこそ、そこでのチャレンジに重要な意味が生まれるのも確かなはずなので、フランスも日本も「自分たちの価値観を守り切るためにどうしても妥協できない点はどこにあるのか」と、「徐々に迫ってくる制約」とのぶつかりあいの中で、
「世界中の他の国にはない、自分たちだけの決着」
…にたどり着けるかが今後問われるようになっていくのだと思います。
そういう意味で、フランスが「どこにたどり着くのか」は個人的にかなり注目していますし、日本もこの「制約条件をいかに乗りこなすか」に真剣に向き合った先には新しい希望が見えてくるはずだと感じてるので、なんとか「人類の次の時代の夜明け」が見れるように頑張っていきたいですね。
■
つづきはnoteにて(倉本圭造のひとりごとマガジン)。
編集部より:この記事は経営コンサルタント・経済思想家の倉本圭造氏のnote 2026年10月25日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は倉本圭造氏のnoteをご覧ください。








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