原発をどうするか、大きな問題だと思います。即座になくすべきだとする意見から一定の規模は維持すべきという意見まで国を二分するほどの議論かと思います。
私は以前から原発の即座の廃止は無理だが、長期的に代替エネルギー源も含め、変えていくという考えです。今も変わっていません。では何%がいいのか、というのは私は愚問だと思います。長期的なプランの中で%のキャップをつけることに意味は一つもないのです。あくまでも技術の進歩、需要、時代にニーズにあわせて段階的に一定のベクトルを継続することが大事だと思っています。
今回の原発事故は実に不幸な出来事でしたが、全てを悲観的に取ってしまえばそれまでであってこれを糧にどんな変化が起こるだろうか、と考えてみたことはあるでしょうか?
この一年だけでLNGを北米やロシアから輸入するルートを探ったり、メタンハイドレードの商業化に向け加速していること、太陽光パネルの普及と買取体制、更には地熱発電も以前よりアプローチしやすくなりました。
「変われない、変わらない日本」なのにこの1年ちょっとの間にこれだけ動いたのです。これは驚くべき事実だと受け止めるべきです。
日本円は昔1ドル360円で固定されていましたが1985年のプラザ合意で一気に円高が進み日本の輸出業界は壊滅状態になると大騒ぎになりました。その後、円ドル相場は上下しながらも着実に円高ドル安に向かい、史上最高値を更新するたびに産業界から政府への強い要望、不満がぶつけられました。それにも変わらず今般、円は70円台まで上昇したものの最近、80円台に戻したところで「円安になった」という安堵の声すら聞こえてくるのは何故でしょうか?
では、ドル円が240円のままだったとします。或いは120円程度だったとします。日本の経済はどうだったでしょうか?産業界はどうだったでしょうか?私は今と変わらないと思っています。
人は過酷だと思われる条件下でも相当頑張れるのです。そして日本人は特に根性が座っています。日本の歴史はまさに忍耐と努力の賜物でした。中国からレアアースの輸出を制限されたらあれだけすばやく対応し、中国の鉱山が生産ストップするほどの逆ダメージを与えるほど強いのです。
エネルギー政策についても今、エネルギー源となるあらゆる可能性について同時並行で研究開発或いは交渉されています。風力発電や太陽光など自然エネルギーを普及させると共に安定供給という観点からその代替になる地熱発電やメタンハイドレードに次の期待がかかります。
もともと日本は資源がない国といわれ、石油の輸入により現在の経済的地位を築きました。そして石油ショックもどうにか乗り越えてきたのです。今回、原発は大きな問題となりましたがそのおかげで代替エネルギーの開発は大いに進んだともいえるのです。
では、原発はどうすべきか、という点については今、止められるのか、という議論がまずあったのだろうか、と思います。青森の六ヶ所再処理施設を含めた一連の原発のシステムの流れは止まるのでしょうか?
原発問題はアプローチを間違えたような気がいたします。やめるか、止められないかというあたかも選択肢があったかのような印象をもって国民に広く問いかけましたが与件やもっと慎重に検討しなくてはいけない事象はあったと思っています。
論理的に原発の稼動を減少させながら代替エネルギーの開発や導入を促進する流れは時間をかけて吸収しなくてはいけません。1ドル360円が突然80円になったら国は破綻していたでしょう。ですが、1985年からゆっくり時間をかけて今日に至ったからこそ80円でも耐え忍べる状況になったのです。
私は原発を減らしたいという強い国民の願いを背に受けてこそ早期の対策が打てるのではないかと思います。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2012年11月8日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。