井上さんの記事で指摘されているように、「環境産業で成長する」というスローガンは、民主党も自民党もみんなの党も成長戦略に掲げていますが、誤りです。これは野口悠紀雄氏も指摘していますが、政治家のみなさんは理解していないようなので、違う角度から説明しておきましょう。
ある産業が成長産業であるためには、(1)その産業に対する需要が増え続け、(2)イノベーションによる供給増の余地が大きいという条件が必要です。たとえばIT産業は、古い設備をソフトウェアに置き換えてコストを削減し、企業や個人の生産性を高めるので、今後も引き続き需要が増え続けるでしょう。イノベーションの速度も、衰える様子が見えません。この二つの要因は関連しており、需要が伸びることが投資を呼んでイノベーションを増やすわけです。
では環境産業はどうでしょうか。環境保護はいいことには違いないでしょうが、便益が社会全体に拡散する外部性が大きいため、個人はコストを負担しないで他人にただ乗りしようとする公共財のジレンマが起こるので、市場は大きくならない。ハイブリッド車などが一時的に流行することはあっても、自動車全体としては安くて環境によくない車のほうがはるかにたくさん売れています。この外部性を内部化する方法は、環境税などの課税と排出権取引のような市場化がありますが、いずれも環境以外に使われる資源を環境に振り向けるものなので、社会全体の消費が増えることはありません。
最大の環境問題である(と政府が考えている)地球温暖化を防止するためには、太陽光発電などのエコ技術革新が必要ですが、これも化石エネルギーよりつねに割高なので、その利用を促進するには税制や補助金によって他の部門の消費を振り向けなければならない。したがってエコ部門+非エコ部門のGDPは、課税などの負担による死荷重でマイナスになるでしょう。政府の推定でも、温暖化ガスの90年比25%削減という「鳩山イニシアティブ」を実施したら、2020年までにGDPは3.2%減少します。
しかしGDPが減少しても、人々がGDPより環境の改善を好むなら、社会的厚生は増加する可能性があります。この答は、現在のGDP減少と将来の地球環境の改善についての割引率に依存しますが、3~5%程度の常識的な割引率を想定すると、IPCCの推定が正しいとしても温暖化対策は社会的損失になります。
要するにエコによってGDPは減少し、人々はそれを望んでもいないのです。それが多くの国民の支持を得ているのは、誰もが自分はその恩恵にあずかるが、コストは他人が負担すると思っているからです。たしかに税金で環境対策を行なえば、その負担は目に見えないので、みんなが得をするようにみえますが、そのコストはのちの世代に転嫁されるのです。まだこの世にいない彼らは、自分が求めてもいない環境のコストを負担させられることを喜ぶでしょうか。
コメント
省エネ技術が進歩して,例えば車の燃費が良くなれば,あるいはプラスチック素材も海洋の藻などを利用して脱石油化していけば,それは石油の相対的価値を小さくし,日本のように非産油国にとっては,あたかも石油を“産出”していることになりませんか?それを団塊の世代の資産を使って行って,その技術が残れば,それは若い世代へのまたとない贈り物となります。そうしたエコ技術の進歩に向けて投資減税などのインセンティブを与えることが成長戦略だと思います。また,このような省エネ技術を磨けるのは資源の無い先進国にしかできないことで,日本はまさにその条件に合致した,絶好のポジションにあると私は思います。
太陽光発電等はレアメタルを使用するため、オイルより市場流通量が把握しやすく。金融にとって都合が良いのでしょう?
何度も言って恐縮ですが、本当にCO2が地球環境に悪いなら、石油に課税すべきでしょう。石油を使って走る乗り物や作られる製品を使う人全てに負担してもらうのが筋です。こういうと「それではやっていけないからうちだけは勘弁してくれ」と皆言いそうですが、それこそ「エゴ」ってもんです。また、エコカー減税や補助金は、技術開発のための一時的な補助という建前なのかもしれませんが、「暫定税率」と同じでやめられずにダラダラ続くでしょうね。
「外部不経済」のつけを将来世代にまわしておいて、「子供たちのためにクリーンな地球を」なんてよく言えたものです。当の子供たちからすれば「エコ製品なんていいら、借金だけは残さないで」ってところでしょう。
しかし考えてみれば、民主主義政治そのものが、現在の有権者の為に他に不利益をまわす「外部不経済」システムと言う事ができます。公共事業や補助金など全てのバラマキは同じことです。まあ「エコ」という免罪符が付くと罪悪感が薄れるという効果はあるかもしれませんが。
おっしゃるようなことを、先日も福山さんに申し上げたのだけれど、言い方が悪かったのかナニか分かりませんが、「いや、太陽光発電で雇用も付加価値も増え、ウィンウィンで云々」の一点張り。悪気はないのだろうが…。そもそも、IPCC4次報告書にもそう書いてあるといっても、よくわからないみたい。「コストはかかるが後世代によい環境を残そう」と、政治的困難を乗り越えて言わないと、結局、CO2削減は失敗する。人々は直感的にウソを見抜きますからね。
「エコ」と「省エネ」は分けて考えるべきでしょうね。地球温暖化に対する二酸化炭素の影響がどれくらいかは判りませんが、石油燃料に関してはいずれ尽きることは確実です(それが50年後か、200年後かは定かではありませんが)。それを考えると省エネ技術はどれだけエネルギーを効率よく使っているかは数値として出てくるので客観性がありますし、jit19850726131431さんも仰っているように未来に残す遺産となります。しかし「エコ技術」は、それが環境保護に対し実際どれだけの効果があるのかを数値などで客観的に表すことも出来ませんし、具体的な効果もはっきりしません。
環境産業を振興するのは結構なことだと思いますが、効果の怪しい「エコ技術」ではなく、「省エネ技術」をメインにして貰いたいものです。
エコで成長はしませんよね。
ゼロ成長時代に、経済を維持することはできるはずです。
エコという言葉がイメージ化してしまっていますが、エコとは本来は持続可能経済、持続可能社会を実現するための方法論の一つでしょうから。
短期的スパンの経済学では否定的なのでしょうが、技術でも社会でも高度な文明の行き着くところは、全てと共存する持続型文明だと信じたいです。
エコと成長を結びつけてしまうのは、とにかく経済成長を言わないと支持されない政治、支持しない国民という一種の病でしょうか。その病を治さない限り、本来のエコも実現しないはずだけど。