「梅棹忠夫の京都案内」に登場する京ことばの解説、愉しく読みました。
そのとおりや、いう指摘や例示。”ふつうの物質名詞に敬語的表現が多い。” ナス「おなす」、豆腐「おとふ」、醤油「おしょゆ」、まんじゅう「おまん」、お茶「おぶ」。 — 四角いもんもま~るく呼ばれてるかんじ、しませんか。
東京では「ひ」が「し」に転化する。しびや。 逆に、”京都では、「し」が「ひ」に転化する。” ”質屋の看板に「ひちや」とかいてある。” — ああ、たしかにそやったなぁ。「しましょう」は「しまひょ」。
”京都の名詞には一音節語がない。” 木「きイ」、葉「はア」、毛「けエ」。 “格助詞の大量欠落がある。” 本よむ、着ものきる。”特徴のひとつに短音化がある。” 早く行こう「はよいこ」。 — これらは京都に限らず、関西だいたいそうなんちゃいます?
“語尾の助詞がものすごく発達している。” 「いきますわ」の「わ」は男のことば、女だと「いきますえ」。 — 女ことばに京らしさが強く表れます。女流文化性が強いんですな。
「してごらん」は「しとおみ」、「おいで」は「おいない」、「おくれ」は「おくない」。 — これは京都独特の言い方でしょうか。京都のひとは普通に使いますが、よそではあまり聞きません。
バツといういいかたは、京都語には全くなかった。”バツ印をわたしらは、ペケといった。マルペケ式である。” — あっ、関東ではペケは使いませんか?
文法的に解説されると、ふむ、そう整理されればそやな、初めて気イついた、いうもんもあります。
京ことばの特徴「どす」は、東京の「です」、大阪の「だす」に当たる。動詞の肯定文は「どす」で終わる。だが、”形容詞肯定文は「おす」になる。” そら、よろしおす。 — そやな。
“修飾語の畳語的表現がある。” 形容詞又は副詞の同じ語を二度続ける。おっきい、おっきい犬。さむうさむうなった。 — ああ、これ関西人の特徴なんですかね。ぼくも、二回くりかえして強調しますねと指摘されることがあります。笑い飯に、サイクリングセンターに行って、なっがいなっがい髪、とか、くっさいくっさい屁えとかボケ合うネタがおました。奈良の人もくりかえさはるんやね。
“動詞の否定表現は未然形に「へん」がつく。” しまへん、いきまへん。 だが、”一段活用の動詞の否定形はちがう。「みる」は「みへん」ではなく「みいひん」となる。「へん」のかわりに「ひん」がつく。” — そやな。京都出身やない俳優さんが京ことばをきちんとこなそ思たら、たいへんな苦労があるいうのも仕方おませんね。
京都と大阪は異なる。五段活用の動詞の場合、京都語は未然形「よまはる」「かかはる」、大阪語は連用形「よみはる」「かきはる」。 — そう、違いがあります。「動かない」は京都では「動かへん」、大阪では「動けへん」。「動けない」は京都では「動けへん」、大阪では「動かれへん」。むつかしおす。
そして、言葉が用いられる社会背景について触れたはります。
「○○ちゃんがたたかはった」「おとうさんがかかはりました」。けんか相手や身内にも敬語的な表現を使う。 — これは京都の大きな特徴ですね。ペットの犬のすることも敬語的に言うたりしますし。梅棹さんは、京都人の市民対等意識が強い点に理由を求めたはります。(なお、本件について、松田道雄「京の町かどから」は、「~はる」は身内に敬語を使っているというより、第三者の行為を客体化して示しているだけであり、英語の三人称単数で動詞にsをつけるようなものとする。She weepsは「泣かはる」「泣いてはる」以外に京都語に訳しようがない、とする。この説明は至極しっくりくる。)
よそから京都の大学にきた先生がタバコ屋で「おい、タバコくれ」といった話。 “そういういいかたは、京都では絶対にありえない。「すんまへんけど、タバコおくれやす」となる。京都の町が無階層的、市民対等意識という基本原則に貫かれている” — ぼくもタクシーで「すみませんが六本木までお願いします。」などと言い、同行者に「丁寧すぎないか」と反応されることがあります。それは気の弱いぼくの処世やと思てたんですが、単に京都出身者のクセに過ぎないのかもしれません。
ただ、帝や貴族以外の町民に対等意識があるとしても、他区域の者に向ける目線の冷ややかさは揶揄のサカナになることも多いですね。そのあたりは、京都のコアである西陣そだちの梅棹さんと、実家が西陣でも東山のはてで育ったぼくとでは感覚が違うかもしれません。京都のひとは初対面の相手に、小学校どこ?と聞くことが多く、現にぼくも前大阪大学総長の鷲田清一先生に会うたときにそう聞かれ、うわさすが京都人、と思たもんですが、それはとりわけ中京とか上京とか都のまん中に育ったひとに多いんですよね。
「世界で美しい言葉は3つ、一つは仏トゥール地方のフランス語、北京の中国語、そして京都の日本語」という説を引いたはります。梅棹さん的には、パリは失格だそうです。 “うがいのときにしかださないような、ものすごい発音があったりする。” — Rがガに似た発音になる、いうことですね。Hは読まへんし。うちのスタッフのヒラタヒロコさんはパリではイガタイゴコと発音されたはります。
京都のひとが「今から事務員さんが作ってくれはった栗ご飯をよばれます。」というメールをイガタさんに送ってきたことがあります。北関東出身のイガタさんは、およばれに行くんですね、と返事してました。ああ、ちゃいます。栗ご飯をよばれる、は、食べる、いうことです。事務員さんちに行くんと、自宅で食べるんとでは、全然ちゃいますね。実に、むつかしいですね。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年3月18日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。