バブルを引きずる人々

荘司 雅彦

※写真はイメージです(写真ACより:編集部)

バブル時代にいい思いをした人の中には、今でも感覚がズレている人が多いようです。
以前、アラフィフ女性が上司に昼食に誘われて「割り勘」にされたことをパワハラだと訴えたという記事が掲載されていました。

また、食事とお酒をご馳走になって帰宅する際に、タクシーチケットやタクシー代を握らせてくれなかったと不満を漏らす女性も多いそうです。

かつて、遠藤周作氏が「男女平等を声高に唱えている女性と食事をして割り勘にしようとしたら「なんて野蛮な人でしょう」と呆れられた」と憤慨して書いていたのを思い出します。

ところで、司法修習生にもバブルのような時代があったのです。
私たち43期は1989年に司法研修所に入りました。

今になって振り返ればバブル崩壊直後でしたが、当時は少し景気が悪くなった程度の認識しかありませんでした。
スッチーと合コンをする男性諸氏がいたり、大手渉外法律事務所の先輩弁護士たちに豪勢な食事をご馳走になったりと、チヤホヤされまくりの毎日。残念ながら私はパニック障害で満員電車に乗れなかったため、そういうお誘いは全て辞退せざるを得ませんでした…。

検察庁の新人不足が極めて深刻化したのもその頃です。
新たに任検する人数よりも辞めていく人数の方が多く、検事数が純減という深刻な状態でした。
リクルート活動も熾烈を極め、指導担当検事には新人獲得のノルマが課せられていたそうです。
恋愛と同じで、一生懸命追いかけられると逃げるのが人間の性(さが)。修習生の多くは検事と検察庁をバカにしていた風がありました。

裁判官は検事に比べれば人気があったのですが(一段上の席で決定権を持てることと、付き合い下手な学者タイプでも務まるのが主な理由かもしれません)、全国転勤があることと給与の差で、人気では大手事務所の後塵を拝していました。大手事務所の年収は初年度から1000万円以上で、嘘か本当か毎年倍々ゲームで年収が増えていくと言われていました。

バブルが終わって司法試験合格者が増加したため、不景気時の大卒の就職戦線のように「公務員人気」が高まり、今や検事や裁判官への就職が狭き門になってしまったそうです。「検事志望です」と言うと高望みだと言われることがあるそうで、隔世の感が否めません。

バブル時代が忘れられない弁護士の中には、懐が寒いのに夜の銀座に出かけては(昔にように)「先生、先生」とチヤホヤされては悦にいる人もいるそうです。

一期下の三重県出身の後輩弁護士(東京で1年目に独立)と会って居酒屋で飲んでいる時、彼が頻繁に電話を架けに行っては「〇〇ちゃん、今度どう?」という甘い声色を使っていました(当時は携帯電話が普及していませんでした)。

尋ねたところ、銀座のスナックの女性とお付き合いしているとのこと(彼が勝手にそう思っていただけでしょうが)。「仕事がない」というのが口癖で居酒屋も私のオゴリだったのに、頻繁に銀座に繰りだしてはモテていた(?)ようです。銀座のスナックでは「先物買い」をしていたのかもしれませんが、残念ながら株価は上がらなかったようです。

バブルは男も狂わせたのであります。今の若手弁護士諸氏の方がはるかに堅実だとしみじみ思う、今日この頃です。

荘司 雅彦
2017-03-16

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2017年4月16日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。