3月10日付でアゴラに掲載された記事で日本の防火の特殊性にふれたが、今回はもう少し詳しくかつ遠慮せずに大胆に述べていこうと思う。実は日本の防火の仕組みにこそ大きな問題があり一から見直すべきなのである。一番の問題は防火の目的が曖昧にされていることと、その成果と効率が問われないことである。
資産保護・事業継続のための防火
防火における成果とは、実施した対策がどのくらい有効に機能して目的を達成できたかであり、成果をきちんと検証するには目的を明確にしなければならない。人の安全なのか、あるいは資産保護・事業継続(機能維持)なのかである。日本では、資産保護・事業継続に関してはそもそもその目的で対策をしておらず、何がどのくらい有効に機能してどのくらい役に立ったかというデータや知見は存在しない。
他国では法規制で防火をしていない
他国では工場や物流倉庫のような産業分野においては、そもそも法規制中心で防火をしていない。最低限の法規制はあるが、多くの部分を企業の裁量に任せるというやり方が一般的である。なぜそうなっているかと言うと、一部の例外を除いて、物流倉庫や工場において人の安全への火災リスクはそれほど高くはないので規制をする必要がないからである。火災統計の死者数や負傷者数のデータや過去の事例からもそれは明らかである。
日本では防火と名のつくことには所轄消防署が絶大な権限を持ち彼らの裁量で決まる部分が多いが(建築基準法に関わる部分を除く)、産業分野においてはリスクの観点からみるとその必要性があるのか疑わしい。また国際的な防火の常識からすると技術的におかしいと思われる部分が多くみうけられる。さらに地域によって判断基準がバラバラであるとの指摘がある。
国際的な防火
「国際的な防火」という表現を使うには理由がある。基本的な防火の基準や防火のやり方は国ごとにバラバラではなく国際的に統一されていく傾向にあるからである。欧米のみならず近隣のアジア諸国においてもこの流れから大きく外れてはいない。とくに資産保護・事業継続の部分はその傾向が強い。欧米の産業防火には、損保業界が中心となって試験や事例の検証を積み上げてきた長い歴史があり、そこからうまれた知見が国際的に認められている。日本の防火関係者の中には「国ごとに違う」という主張をされる方が多いが、他国の防火関係者からそういった主張はあまり聞かれない。なぜ日本だけ違う必要があるのか合理的な説明を筆者は今までに聞いたことがない。
許容リスクと費用対効果
日本の消防関係の方から、「どんなにお金がかかろうが法規は守らなければならない」との主張を聞いたことがある。決められた法規を守るのはごく当然のことのように思えるが、何らかの投資をして対策をするにあたって、どこまでリスクを下げるかという許容リスクの考えや、費用対効果を問わないというのはあり得ないのではないか。もちろん関連した設備・機器を販売したり資格・講習等で儲ける立場としては、規制を根拠として効果や費用を厳しく問われずに商売ができるのは非常に有難いことである。
国の検討会の内容
話をアスクルの物流倉庫火災の件に戻すと、この件をうけて大規模倉庫の防火対策について国(消防庁・国土交通省)の検討会が開催された。この中で防火対策として防火シャッター、自動火災報知設備、消火栓の作動状況、消火栓を使った消火訓練等が挙げられているが、この検討会はあくまでも既存の法規制の範囲内での検討を目的としているようである。それらが全く有効ではないとは言わないが、国際的な防火の世界で今回のような倉庫の火災を防ぐ上で何よりも重要なのはスプリンクラーの有無であり、スプリンクラーが防火対象に合わせて適切に設計され、かつ適切に施工、管理がされていたかである。
なぜ専門家がいないのか
アゴラ編集部からこの件に関して「国内で定まった見解が出ていないのではないか」との指摘があった。その理由は日本では損害防止・事業継続のための防火の専門家が少ないからである。なぜ少ないかというと日本の損保業界か対応してこなかったことと産業界からそういった要求がなかったからである。アメリカで同様の火災が発生したときに、まず一番の専門家としてコメントを求められるのがFM GlobalかNFPA(全米防火協会)である。
FM Globalは1835年にZachariah Allenがつくった産業相互保険会社である。自ら経営するに繊維工場に防火扉などの防火対策を施しして保険会社に保険料の割引を求めたところ、これを拒否されたため、賛同する他の工場経営者を集めて相互保険会社をつくったのが始まりであり、現在はアメリカの上場企業の60~70%が加入しているとされる。1995年に埼玉県で発生した東洋製缶ラック倉庫火災の際は関連する研究所の研究者が来日して消防法改正のための助言を与えている。
NFPAは1896年にスプリンクラー基準の統一を目的としてアメリカの損保業界が中心となってつくった非営利団体である。前の記事でもふれたがNFPAの基準は国際的には非常に信頼されており北米はもとよりアジア、中東、アフリカ等の大規模なプロジェクトでは頻繁に使われている。とくにスプリンクラー設置基準のNFPA13は120年以上の歴史があり、最もよく使われている基準の一つである。
法令を上回る対策とは
国内のある損保関係者の方が「日本は欧米に比べ、法令順守さえしていれば良いとの意識が産業界全体で強い」との指摘をされている。また別の防火関係者の方は、企業に「法令を上回る対策」を推奨している。
前述のとおり、工場や物流倉庫のような産業分野において、他国ではそもそも法規制中心で防火をしていない。産業分野の防火において国際基準として信頼され使われているのは前述のNFPAとFMであり、欧米等の外資系企業が日本で工場や物流倉庫を建てる(あるいは使用する)際にはNFPAかFMのいずれかの使用を希望すると考えていい。
前述の国の検討会の資料の中に「借主が外国資本の企業は、本国ルールに則り、消防用設備等を自主的に追加で設置する場合もある」との記述があるが、外資系企業が「本国ルール」に固執するというのはあり得ない。彼らが固執するのは「本国ルール」ではなく国際基準である。
国際的に広く使用され他国では簡単に認められることが何故日本では認められないのか、認められる場合も関連する設備がなぜそんなに高価なのかといった不満の声が外資系企業の本国の担当者からよく聞かれる。
日本の損保のスタンス
日本企業も資産保護・事業継続を目的とした防火に全く興味がないわけではない。しかし「法令を上回る」防火対策を実施するにあたって発生する多額の費用をどうやって回収するかという問題がある。多額の費用をかけてリスクを下げてもそれは誰の利益になるのか?保険料の大幅な割引を受けられずその大部分が損保会社の利益となってしまうのであれば企業にとってはわざわざ対策をするインセンティブがはたらかない。この点に関して日本の損保業界のスタンスは数十年前から一貫している。保険料を大幅に割引するくらいなら対策などしなくていいというものである。
海外では損保会社が保険料を大幅に割引するのは当然のことである。アメリカではスプリンクラーを設置すれば保険料が1/10以下に下がることもあり設置費用を数年で回収できるとされている。また自家保険や産業相互保険など損保会社に頼らない仕組も充実している。企業がリスクを下げる努力をして実際に下がった分を利益として取り込むのは当然のことである。
損保と消防の利害が一致している
防火が法規制中心であることは日本の損保業界にとって悪いことではない。顧客企業から大幅な保険料割引を求められたり、経験豊富な外資損保に参入されて競争が激化したり、既存の損保業界に頼らない仕組(自家保険や産業相互保険)が広まることを阻んでくれているからである。
また損害防止・事業継続のための防火という概念が存在しないことは日本の消防機関にとって好都合である。防火に関する絶対的な権威として、リスクの観点からすると本来は口をはさむべきでない所にまで関わることができるのである。
このように損保業界と消防機関のお互いの利害関係が一致して現在のような状況になってきたと考えられる。
日本企業は損をしている
多くの日本企業は防火に関して受け身であり、最低限度の労力・コストをかけて決められた法規制さえクリアすればよいというスタンスである。「なぜそうなっているのか」、「本来どうあるべきか」、「他国ではどうしているか」という話をしてもほとんど興味を持たれることはない。結果として、都合のよい仕組をつくられ、リスクの観点からすると本来は不要な対策をさせられたり必要な対策をやりにくくされているのだが、そこに気づいていない。
ビジネスチャンスの可能性
欧米の大企業や多国籍企業の多くはスプリンクラー等の防火対策に日本企業が信じがたいほど多額の投資をしている。これを無駄な投資とみることもできるが、世界の趨勢としてこの投資は増加する傾向にある。欧米企業を中心に損害防止・事業継続のニーズがありそれに関わる製品やサービスの市場が存在している。この市場において現在日本の企業の参加は限定的である。このニーズの中身をしっかりと理解して、企業の損害防止・事業継続の改善に貢献していけば世界の産業界からは感謝されるはずである。
まとめ
リスクの観点からすると、産業分野においてどのような防火対策をするかは企業の裁量で経済合理性の元に決めてよい部分が多いはずである。個々の企業としては発言がしにくいかもしれないが、日本の産業界として情報を共有して、どういうやり方が良いかを検討していくべきである。また、保険を含めたリスクマネジメントの仕組みを見直して、リスクを下げた分は企業の利益としてきちんと還元されるようにするべきである。日本の産業界として合理的なやり方を追求して実践していけば、そのやり方はいつか国外でも認められて、関連する製品やサービスにおける日本企業のビジネスチャンスにもつながるのではないだろうか。
法に基づく制度、検定、資格、
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牧 功三(まき・こうぞう)
米国の損害保険会社、プラントエンジニアリング会社、
※アイキャッチ画像はYouTubeより(編集部)