加計問題の成果とは?

中村 伊知哉

加計問題、ようやく議論が正常に向かっているようです。
ぼくは本件は岩盤規制が本質という立場です。政権の強引な手法が問題だという人も多いけど、それだけ無茶に「行政をゆがめ」ても獣医学部50年の岩盤は1個しか砕けない、ということです。

メディアでは、政権の横暴や不透明さを叩く声が多い一方、特区で改革を進める側の声も報じられるようになりました。
あの八田達夫先生が「原則をまげたのは、むしろ獣医師会」と発言しているのは、大人しゅうしといたけどええかげんにせえよ岩盤、という知識層のメッセージと受け取りました。

「特区民間議員 獣医学部1校限定は獣医師会の要望」

国家戦略特区を利用した規制緩和の全国展開を推進する。それが本筋です。
岩盤とは何か、誰が守っているのか、それを打破する政策とは何か、が共有されるようになってきました。

「地方創生相 特区利用の規制緩和 全国展開の考え」

先立って駒崎弘樹さんが「加計学園問題、国家戦略特区が悪いのではない」と意見表明をしていましたが、そちらの方向に議論が傾き始めたと思います。

「国家戦略特区・福岡市の市長 民進党の特区停止法案に「耳を疑った」」とする声も、響いてきているように感じます。

ずっとぼくは岩盤規制を砕く側に身を置いてきました。85年の通信自由化は公社独占という巨大な岩盤を崩し、参入規制を解く仕事でした。通信は岩盤ではなくなりました。同じく放送も岩盤でしたが、衛星やCATVの参入、通信・放送融合の進展などを通じ、岩盤ではなくなっていきました。

でも岩盤はあちこちに残ります。農水、運輸、医療、そして今回の教育。もちろん文科省にも改革を進める官僚はたくさんいます。ぼくも彼らと教育情報化という改革に力を入れてきました。科学技術や著作権・知財を担当するみなさんも進歩派です。

岩盤の攻防は、難しい。規制を強化するよりも、緩和するほうが難しいことが多いのです。民間の既得権があるからです。それが岩盤です。民民調整の問題です。今回も、獣医師会が岩盤をなし、そこからの政治的な意を受けて、文科省・農水省・厚労省が壁となってきたと報じられています。

流出した文書からも、攻める側も守る側も、政も官も汗だくになって、怒鳴ったり握ったりして調整しているさまが読み取れます。それでギリギリたどりついた答えが、これまで手を挙げてきた加計一つだけ認めて手を打つ、ということだったのでしょう。

今回の騒動で、岩盤「維持」に戻ってしまうことだけは困ります。ぼくは今、Pop&Techの国家戦略特区を東京に作り、電波、ロボット、ドローン、サイネージ、起業、ビザなど各種規制緩和ができるよう仕込んでいるところです。首相のお友だちではありませんが、実現したい。

文科省「大学の設置認可制度に関するQ&A」という冊子には実にいいことが書いてあります。

以前は大学設置を規制していた。

「しかし近年は社会の多様なニーズに柔軟に対応し、自由な競争により大学が発展していくことが必要との考えから、どのような分野・地域であっても、大学設置基準等の法制を満たしていれば設置することができるようになりました。」
「地域や分野に制限はなく、社会のニーズを踏まえて設置することが可能です。」

これが文科省のやりたいことです。大筋で、いい行政です。

ところが、その下に、

「※全体として過剰を招かないためなどの理由から、医師・歯科医師・獣医師・船舶職員の4分野については、引き続き抑制することとなっています。」

とだけ、しれっと断りがあります。あからさまに理屈が立っていません。
教員、看護師、薬剤師、保育士、航空・・似たような分野はいろいろありますが、この4分野だけ。これが岩盤です。

これは実は文科省がやりたいことではありますまい。厚労・農水などの政治プレッシャーで残されている。その点、文科省もお気の毒なのです。

獣医学部を増やすこと、措置を特区から全国に広げることに対し、需給バランスが云々と批判する声も聞きます。かつて通信分野の参入規制を緩めることに対して立ち向かったのと同じ理屈。なつかしいです。この20~30年で多くの分野でそうした規制が緩和・撤廃されていき、結果、一部の分野に岩盤が残っています。それを残す正当性は、岩盤側に挙証責任があります。

官邸の指示があったのか。忖度があったのか。文書が本物か。友人へのえこひいきか。メディアが論じてきたどの疑問も、ぼくには本質とは思えません。役所の文書管理や情報の共有方法に問題があるとは思います(機密っぽい情報を「取扱厳重注意」表示もなく、責任者不明のまま共有する管理が外交や国防で行われたらゾッとします)が、それも本件の本質ではない。

総じて言えば本件は、

1. 岩盤規制を叩くことと、岩盤を温存すること、どちらに理があるのか。

2. 政権主導で官僚を抑えて進める近年の方法と、政権の意向に関わらず官僚が行政を進める過去の方法と、どちらが妥当か。

を問いかけるものであり、それを考える機会を提供してくれた騒動です。

多くのメディアは「反岩盤を叩く=反政権」の構図で論じてきました。野党はそれでいいんですけど、メディアとしては、その結果が岩盤擁護に向かっていいんだろうかとぼくは懸念していました。ただ、これがじっくり報じられることによって、岩盤なるものがどういうものか、それが共有されることにつながったのではないかと思います。

ぼくの希望としては、この騒動の結果、1.岩盤を叩くことの意味が再認識され、2.昔のような官僚の専横でなく、政官のいいバランスが得られるようになることをもって、成果となればいいと考えております。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2017年6月28日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。