「日銀失敗指数」・補足--池尾和人(@kazikeo)

池尾 和人

先日の「日銀失敗指数」の記事に関しては、(一部においてだけかも知れないが)意外に大きな関心(あるいは反発)を呼んだようである。しかし、元のクルーグマンの記事にあるように「You can make up your own version」だから、私の提案が気に入らなければ、もっと良いと思う指数を作って、議論すればよいだけである。


ただしその際に、わが国において多少とも根拠をもってターゲット水準を語れるのは、「CPI(総合除く生鮮食品)」(以下、コアCPIと呼ぶ)のみであることについては留意しなければならない。すなわち、FRBも日本銀行も公式にはインフレーション・ターゲットの枠組みを導入していない。しかし、FRBが「PCE(個人消費支出)連鎖基準物価指数(食料品・エネルギーを除く) 」を実質的に目標としているとみなせるのと同等に(あるいはそれよりやや強い意味で)日銀はコアCPIを目標にしているとみなせる。この資料の図表6(7頁)を参照のこと。

日銀の公表している「中長期的な物価安定の理解」においては、「消費者物価指数の前年比で2%以下のプラスの領域にあり、委員の大勢は1%程度を中心と考えている」とされている(注1)。FRBのターゲット水準は、その見通しから逆算されるものであって、この程度にも明言されてはいない。したがって、クルーグマンのようにFRBについて目標を語ることが許されるなら、日銀については同等以上に許されるはずである。

(注1)先の記事では、機械的に中心値の1%を実績値から差し引いて乖離幅としたが、目標は0~2%の幅をもって設定されていると解釈できるので、そのゾーン内であれば乖離はないとし、上振れたときには2%との差、下振れたときには0%との差をもって乖離幅とみなすべきだという考え方もあり得よう。

また、日本銀行の使命に関しては、日本銀行法の第2条に規定から「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資すること」だと考えられる。それゆえ、日本銀行の使命が十全に達成された状態は、(インフレ目標、自然失業率)の状態が実現されたときだとみなした。インフレ目標だけが達成されていても、自然失業率を上回る失業が発生しているならば、「国民経済の健全な発展」は損なわれているといわざるを得ない(注2)。そもそも社会厚生に雇用や所得が関係しないわけはないので、金融政策について論じる際の評価(損失)関数はインフレ率と失業率(またはGDPギャップ)を変数とするというのが経済学では一般的である。

(注2)念のために付言すると、中央銀行の使命がその中央銀行の努力だけで十全に達成されるというものでは、通常ない。他の政策・施策や外部環境条件と組み合わさって結果は決まるものである。

日銀が本当に雇用に対して全く責任を負っていないのであれば、日銀の役職員は楽であろうが、そうは考えない。雇用の確保は政府が第一義的な責任をもつ課題であるとしても、日銀にも応分の責任があるとみるべきである。そこで、(インフレ目標、自然失業率)の状態をベンチマークとして、そこからどれだけ乖離しているかという形で現実を要約したのが、先の「日銀失敗指数」である。

もちろん、日銀失敗指数の「失業率を考慮しない物価だけのバージョン」も考えられる。それを図にしたのが、下のものである。コアCPI上昇率の実績値から1%を控除したものの絶対値を2倍したものをプロットしている。ただし、1変数の場合には、ウエイトは作図上の都合だけで、それ自体にとくに意味はない。この場合も、「まだ高止まりしているとはいえ、悪化のピークからはかなり改善してきている」とみてとれる。



なお、生鮮食料品の価格やエネルギー価格は変動しやすいので、インフレの基調的なトレンドを確認したいときには、それらを除いたコアCPIやコアコアCPIの方がCPI総合よりも優れた指標であるといえる(クルーグマンも10年にわたる年変化率を論じる文脈で、そういっている)。しかし、それではCPI総合に意義がないかというと、全くそうではない。われわれは、現実に生鮮食料品を消費しているし、エネルギーも消費する。したがって、国民生活への直接的な影響という点では、CPI総合の方が重要である。多くの国の中央銀行がCPI総合をターゲットにしているのは、こうした事情からだと考えられる。