福祉を増やすことに対して多くの人が肯定的だ。そして大抵の人にとって競争と言うのはつらいものだ。よって国家と言うものには常に福祉を肥大化させようとするバイアスがあり、またそうした国家で既得権を握った者たちは常に新規参入者を排除し競争をなくそうとする。こうした人達は社会の問題の多く―例えば貧困や凶悪犯罪など―を福祉が十分でないこと、また「行き過ぎた」競争に結びつけようとする。しかし筆者は福祉国家と言うのは非常に危険な幻想、あるいは妄想だと思っている。行き過ぎた福祉国家と言うのは必ず滅びるものだ。今日はそのことを示唆するためにいくつかの簡単な実験をしようと思う。実験と言ってもフラスコの中で化学反応を起こしたり、コンピュータで複雑な数値実験をするわけではない。簡単な思考実験。つまりいくつかのシチュエーションを思い描き、その結果どうなるか想像してみようと言うことだ。
その1 みんな平等の会社と実力主義の会社
ここに同じ業種の会社がふたつあるとする。株屋でもいいし、広告代理店でもいい。あるいはメーカーでもいい。片方の会社は給料が完全に勤続年数と年齢の組み合わせで決まっており、仕事ができてもできなくても、成果が出ても出なくてもあらかじめ人事部により決められた給料が支払われる。もう片方の会社は徹底した実力主義、成果主義で、実際に会社の利益に貢献した者や、これから貢献しそうな能力の高い人材に年齢や性別などにかかわらず高い報酬を支払う。そのかわり満足の行くパフォーマンスを出せない社員は時には解雇されてしまう。前者をA社、後者をB社とすると、仕事ができない人にとってはA社は天国だろう。逆に仕事ができる人はA社に不満を持つ。何をやっても給料が変わらないのだから。その反面、B社では仕事ができる人は若くして大きな権限を与えられ高い報酬を受け取る。仕事ができない人にとってはB社はとてもしんどいのだけれど。
当たり前だが職業選択の自由はどこの先進国でも保証されているので、社員はいつでも好きなときに会社を辞めることができる。ヘッドハンターが有能な社員の引き抜きを狙っている。A社からB社へ、B社からA社へ転職する人が出てきて、人がどんどん入れ替わっていく。こうやって何年も経てば、A社とB社の競争力はどうなるだろうか?
その2 ふたつの島に放された同じ種類の獣の群れ
言うまでもなく野生の世界は厳しい。野生動物はふたつの本能に突き動かされて生きている。生存本能と生殖本能だ。リチャード・ドーキンス
さて実験だが、まず獣の群れをたくさん捕まえてA島とB島に分けることにする。この獣は狼でもいいし、猫でもいい。あるいはネズミでもいい。そこでA島ではあぶれるオスがかわいそうなので、何らかの人工的な力で全てのオスにメスをあてがうことにする。ちょうど日本の結婚制度みたいに。ところがB島では厳しい野生のままだ。厳しい環境に適応した一部の強いオスだけが、メスにありつき、そしてメスは強いオスを選別しその子供を残す。多くのオスが犬死していく。そして生まれてきた子供もまた厳しい生存競争を勝ち残らないければいけない。このように世代を重ねるごとに遺伝的により環境に適応したり、生物個体としてはどんどん性能が上がっていく。ところがA島では人工的に全てのオスにメスが与えられるので性淘汰が起こらない。要するに全員が平等で、全員が幸せなのである。変なオスにあてがわれたメス以外は。
さて何世代も経て進化がある程度進んだ後に、A島とB島のもともとは同じ種類だった獣をまたいっしょにしたらどうなるだろうか?
その3 日本をふたつの国に分けてみたら
大きな政府を目指すのか、小さな政府を目指すのか。あるいは増税して福祉国家を目指すのか、自由競争によって経済のさらなる発展を目指すのか。こう言った政策論争は絶えない。そこでいっそのこと日本をふたつの国に切り分けてみるのはどうだろうか? 名古屋あたりで東西に分割して、西側を福祉国家(A国)、東側を自由主義の市場経済の国家(B国)。A国では高額所得者に対して極めて重い税を課し、非常に高い相続税を取る。法人税も高くする。そしてそれを弱者に分け与えて全員が平等になるようにする。B国では税金は警察などの社会の共有のインフラストラクチャーを整えるだけの最低限のものにし、個人が自由に経済活動をできるようにする。
さて、このように日本をふたつに分割し、全ての日本人が自分の好きな方の国に行けるようにしたとしたらどうなるだろうか?
これからどれだけ社会が発展して豊かになったとしても、我々が競争から逃れることはできないし、また逃れるべきではない。競争原理こそが権力の暴走や社会の腐敗を防ぐ唯一の方法なのだから。もし将来のある時点であなたが競争のない社会に住んでいたとしたら、残念ながらあなたは市民がまったく政府を批判せず、誰もが政府を賞賛するようなグロテスクで危険な世界に迷い込んできてしまったと思って間違いないだろう。
競争を取り除いたり、競争の勝者に重税などを課すことにより実現しようとする福祉国家、平等な国家と言うのは必ず滅びるのである。
自由より平等を優先する社会は、結局どちらも失うことになる。
ミルトン・フリードマン
コメント
国家が滅びようとも自分の利権さえ守れれば、って人、人口の9割です。
人が優秀であるとか劣っているとか単純には判明しません。企業は営利目的なので,例えば短期的に売上を上げることのできる営業マンと長期的に売上を上げる営業マンがいて,どちらが優秀でしょうか。また,人はいつ病気や怪我をして働けなくなるか分からないし,本人は健康でも家族が病気の人などごまんといるのであり,社会保障と全く関わりのない人はいません。したがって,どの程度社会保障制度を充実させるかを全員で議論して決めるのだと思います。山というのは登って降りてくるものであり,お金は一生懸命稼いで上手に使って楽しむものでしょう。私は楽しむものの中に社会保障があると思います。
非常に素晴らしい記事でしたが
現代の日本人の多くは競争するよりもみんなで貧乏に、貧弱な遺伝子になる方がマシだと考えそうな気もします
福祉国家の最後はグロテスクで危険な世界になるのを知っていても
うーん、思考実験のコンセプトは良いと思うんですが、なんか今回の投稿はやや中途半端に思えます。
もっとダイレクトに「努力しても報われない、正直者がバカを見る社会=福祉社会」としたほうが良いのでは。
朝日新聞からの引用です。
スウェーデンは理想郷ではない
毎年一時帰国するたび、日本で、福祉大国の理想郷としてスウェーデンが語られることを苦々しく思っています。税金が高く、「高負担」は確かですが、「高福祉」には疑問点がも多く、日本よりはるかに優れた社会という見方には賛同できません。
例えば、就学前の「幼児教育」は存在しません。大多数の公共保育園は、預かった子どもの安全を保障するのが仕事で、資格を持たない人が数多くいます。小学校入学前に6歳児教育が1年間ありますが、イスに座る、鉛筆を持つ、アルファベットを書くというレベルです。
「将来への安心から貯蓄が不要」というのも、誤った解釈です。国民の多くは不安を抱えています。年金は物価や税金の高さからすれば、十分な額とは言えず、銀行は「将来、年金では暮らせません。若いうちに蓄えましょう」と積立預金を呼びかけています。しかし、月5万円のパート収入ですら3分の1を税金で持っていかれ、最高税率25%の消費税。住居・光熱。7・医療費・保育料も高く、普通の家庭ではお金が残りません。国民の多くは「可処分所得が少ないから貯金できない」のが現実です。
若者の犯罪増加、就職難、麻薬や性病の蔓延。さらにフルタイム労働で疲れ切った母親、冷凍物ばかりの夕食。これらが理想郷でしょうか。
これは読者の投稿ですが、福祉国家を目指すといことは、これだけ莫大な負担をしなくてはならないのです。福祉が充実しているから安心して消費ができる。だから貯蓄する必要もない。というのは嘘で、貯蓄できないほど税金が高いというのが現状のようです。
それでもスウェーデンは相続税もないし、法人税は日本より遥かに安いから競争力はそこそこあります。少なくとも日本より金持ちを大事にしています。
ものすごく同意です。
競争が嫌だと言っても、国のレベルでは現実に、日本は他国との競争環境にあり、例え最強の勝利者になれなくとも、「生き残る」為には国同士の競争に食らいついていかなければならないでしょう。
例にありましたが、
実際は生物はしたたかで、「解」は複数あって最強のオスという「基準」がありません。
ある島で最強の遺伝子であっても、環境が違う島に移動したときには通用しない・・・あるいは、島の環境の激動があったときに、いままでの生存戦略が通用せず絶滅するリスクがあります。
そのために、遺伝子の多様性を出来る限り維持するシステムも、生物はまた備えている。
翻って、経済についても同様の事は言えるかもしれません。
世界的に単一市場、単一の評価基準で勝者が決まるシステムは、やはり変動に弱く、全滅するリスクもあることは近年、証明されつつあるのではないでしょうか。
日本人は、古くさい「福祉国家」「競争国家」などという議論はやめてほしいです(もう結論は出ている)。
多様な価値を生み出すとか、
日本の人口、環境で今後も世界で生き延びるための経済・産業はどういったものか、
その辺を追求してほしいです。
福祉は、セーフティネットの充実と、介護保険で必要十分なのではないでしょうか。
世界的な競争環境の激化で、多様性の維持にさえ貢献しない人間の割合が半数を越えてしまうと、民主主義国家は安定を失います。
かと言って、それは一国で対処できる問題ではないので、「福祉社会」というのは世界的な枠組みで考えなければならない問題だと思います。
民主主義を放棄すれば安定するというわけでもないので、差し迫った問題ではないとはいえ、解決できない問題になりつつあるという気はします。
しかし、現実には不自由かつ不平等な制度が蔓延していて、政治家と官僚、あるいは既得権全ては、不自由と不平等の追求に熱心なのではないかと思います。
他の国も同様なのがせめてもの救いですが、実際のところ、他の国に「福祉国家」になってもらえれば、相当都合の良いことです。
日本がその罠にはまっているようにも見えますが、福祉を語ったときに、何故、右とか左といった言葉が出てくるのか分かるような気がします。
競争の勝者に重税?なぜ?その勝者って
何人もの女性を妊娠させたオスなんでしょw
う~ん、たぶん所得の高い低いは競争の結果だと?w
最初に書いてあるじゃないですか、
>既得権を握った者たちは常に新規参入者を排除し競争をなくそうとする
なんか、競争の結果が福祉国家とも解釈できますが?資本主義での勝者は競争を排除すると思いますよ。相続税が100%でも法人税がいくらでもなんの問題もありませんよ、競争力があればww
平等な競争であれば問題ない気もしますが、不平等なんでしょうな。ま、勝者は競争なんてしませんよ、自分に有利な競争はするかもですが。
途中で狼とか猫とか出てきますが、彼らは成果主義でもありませんしw猫www
ネコとかヘコにトコとかいて、その島に獲物がいなと全滅ですし、狼の群れはなんかその、みんな平等の会社に近い感じがしますが、どうでしょう?というか、最初に
福祉国家=幻想ありきで、それ以外は特に意味がないw
国家=幻想なので、福祉国家だろうがなんだろうが関係がない。ああ、笑いがとまらない。失礼。
折角の思考実験ですし、それぞれに考察を。
1.A社は日本的な、事なかれ会社に感じる。
対してB社はアメリカ的な、評価会社に感じる。
A社はまるでカルテルを結んでいるかのように業界横並びで
可もなく不可もなく景気が良ければボーナスが増える会社だろう。
B社はリーマンやAIGのようにリスクをとって、投資を行うと思われる。成功すれば多額のボーナスがもらえて、失敗すればクビだろう。
アメリカの投資会社のように業界横並びで消滅の憂き目にあう事も考えられる。
ここで更なる思考実験をしてみたい。
B社はリーマンをはじめとした投資銀行の轍を踏まえて
リスクをとって成功すればボーナス、失敗すればクビではなく
個人負担、と定めよう。100億円投資して1億円儲ければ5千万のボーナス、1億円の負債が生ずれば1億円の個人負債。ローンでコツコツ給料から天引き。
こうなればA社とB社は国債(のような)投資に編重するのではないか?
つまり結論として
B社もリスクが個人に来てしまうとA社とさして変わらないのではないか。A社とB社を分けるポイントはリスクは会社が取って、リターンを個人が取るならA社は大躍進するか大きな負債を抱えるか、会社が潰れるか、で
リスクも個人、リターンも個人であるならばB社と変わらない。
2.結論から言えばB島の雄がA島の雌に子供を生ませる、
ドーベルマンがチワワを妊娠させる奇妙な光景が現れるわけだ。
要領のいいA島の雄がA島の雌を妊娠させることもあるだろう
拮抗、共生するという結論なのだろうがそれはこの思考実験の意図する所ではないだろうから、以下考察。
A島はチワワのような犬も生まれ、猫のように多種多様になる。
B島は狼や虎だろう。
日本狼は同じ大きさの犬と比べ、6倍も脳みそが大きかったそうだが、滅びた。人間に滅ぼされた。
対してチワワはまだ日本で生きている。あくまで人間に飼われて、だが。
猫は愛され、今この瞬間人間が滅んで全ての猫が野生になっても、猫が滅びるとは考えにくい。
虎は毛皮になった。自然界では絶滅状態だ(2万頭を割り込んで近親交配になった)
この場合、生き残るためには「可愛い」「従順」という要素が「強い」という要素を上回る環境が唐突に現れたわけで
人間という環境が種に大きな影響を与えた結果だが、
結論として
種の多様性が保持されていたほうが大きく唐突な環境の変化に対応できる可能性が高まるという答えが導き出される。
3.国家の使命として最低限の事は
国民を飢えさせない
次世代の教育
であると考える。
国民を飢えさせないのを使命とする事は自明でいいだろう。
次世代の教育については、
教育さえしておけば次世代がなんとかしてくれるだろうという考えを口にすると
無責任と取られかねないが、実際に次世代を教育する事は大きな負担であるし、責任が問われると考える。
つまり次世代がどうであるか、を中心に考えてみる。
高い教育を施すためには、
重税をかけて、教育を公共投資とするか、
所得の中間層を増やし国民が子供により高い環境を与えられる状況を作るか
この2つが考えられる。両立もありえる。
西側では高福祉なので重税、教育の公共投資があるだろう。
中間層については、難しい。中間層が多い可能性もあるが
重税により皆で貧乏というのもありえる。次世代は皆中流を目指して貧乏に耐えるわけだ。
東側では競争原理により公立校よりも私学がよりよい学校と
評価される社会であろう。
とすると、高い教育のためには中間層の多さがポイントとなる。
低所得者は子供が作れないし、教育も施せないだろう。
一部のエリートで富裕な層が貧困層の分も子供を作るか養育する社会ならば大丈夫。
1%の富裕層が富の50%を閉めているような社会ならば
その1%が残り99%の子供たちの人口減少を補うだけ子供を作るか養育すればいい。
99%の貧困層が夫婦で1人、1世代で人口が半分、2世代で1/4になる少子高齢傾向にあるならば
1%の富裕層が1世代で貧困層の半分を補うだけの子供を
作るか養育する必要がある。
富裕層の夫婦が101人養育すると人口は減らない計算になる。孫が1万人を超えるだけ居る状態でないと、人口が減るわけだ。
これだけ富裕層が子供を抱えても、貧困層より貯金が出来るわけだが。
現実の貧富の差がどうであるかはここではあえて言及しません。
命題はどちらの国に行きたいか、ですが
上位1%のエリートになれる自信があるならば東側へ行くだろうし、そこまでの自信がなければ西側に行くだろう。
結論として
人口が増えるのは西側、エリートが集まるのは東側
世代を重ねたときに生粋の東側人は1%の1%・・・だけが残り
大半は先代が西側だった人々という事になるだろう