民主党政権は一口で言えば国民の期待を裏切った。しかし、大変な災厄をもたらしたかといえば、そこまでは行かないだろう。皮肉にも、マニフェストに掲げられた事の多くが中途半端にしか行われなかったのが幸いしているとも言える。しかし、こと外交については、「災厄をもたらせた」に近い状態になっている事は否めない。
日本にとって、現在最も重要な外交課題は「対中関係」だろう。しかし、その為に最も重要な事は「揺るぎない日米関係」だ。にもかかわらず、民主党政権は、スムーズに運ぶ筈だった「普天間問題」をわざわざ掘り返して自分の首を絞めて、事態を「どうにもならぬ状況」まで追い込んでしまった。結果として、米国側に「抜きがたい不信感」を植え付けたのみならず、日本の生命線である「海上防衛体制」に穴をあけかねない状況まで招いてしまった。
1960年と1970年の二度にわたる安保闘争を乗り切った日米関係は、その後極めて安定して、面白くもおかしくもない状況になっていたので、外交面で「前政権」と差をつけたい「新政権」が、何らかの自己主張をしたくなる気持になるのは分かる。小泉政権が「対米関係のより一層の緊密化」という方向でメリハリをつけたので、小沢、鳩山の両氏が、これと対極にあるような演出をしたいという誘惑に駆られたのも分からぬではない。
しかし、「超大国化の道を歩む中国」という抜き差しならぬ現実に加え、「暴発の危険をはらむ北朝鮮」という現実までも抱え込んでいる日本と東アジアの現状を考えると、これは全く必要のない「子供の火遊び」だった。
昔から、「外交」は国家にとって極めて重要なものと位置づけられており、各国の「外相」(米国の場合は「国務長官」)の地位は高い。しかし、突き詰めていけば、その目的は極めて単純なものだ。
「諸外国との間にどういう合意が成立すれば、自国にとって望ましい結果をもたらすか」を考え、それを実現するのが、その目的の全てだ。そして、その為の手段としては、「相手国の立場に立って考え、お互いが合意出来るぎりぎりの条件を探る」事に尽きる。「相手国が合意出来る条件は何か」を考える事は、「相手国が絶対に避けたいのはどういう事態か」を考えるのと同義でもある。
「友好的関係」というものは、古来あらゆる「外交」が求めてきたものであり、国境線が確定している限りは、また、歴史的に国民レベルでの余程の「恨み、つらみ」がない限りは、はじめから他国との「敵対的」な関係を求める国などは何処にもない。しかし、経済的な利害が対立する限りは、それを「友好的」に処理する事は、そんなに容易ではない。
「外交」において難しいのは、「相手国との交渉」より、むしろ「自国の選挙民への対応」だ。本当にそれが自国の為になるかどうかとは関係なく、どこの国の国民も、対外的な「強硬姿勢」には喝采を送り、「柔軟な対応」は「弱腰」と言って非難する。
まずい外交交渉によって経済的に自国が若干不利になるような状況を招いてしまったとしても、後世の歴史家の批判を受けるだけで済むが、その時点で多くの国民の反発を買うと、政権が揺らぐ危機を招く。中国のような一党独裁の国は、その点では苦労が少ないだろうが、それでも共産党内部での派閥抗争はあろうから、似たような問題はあるだろう。
この様な観点から、今後の日本外交の根幹となる「対米」及び「対中」の関係のあり方を考えてみると、下記のようになると思う。
対米関係:
遅れてきた植民地主義大国だった米国は、中国市場への進出を計るにあたり、日本を最大の「仮想敵国」と考えていた。それ故、英国を説得して日英同盟をやめさせ、「軍艦の保有量を英・米の5に対し日本を3とする」軍縮案を日本に呑ませた。そして、その後は一貫して蒋介石政権を助け、日本の軍国主義に対抗した。
しかし、第二次世界大戦の終結後は、日本の占領政策が予想外にスムーズに行ったこともあり、「アジアにおける冷戦構造を有利に進める上では、日本を同盟国とする事が極めて重要」という確固たる認識を持つに至った。
ところが、日本の産業経済の発展が予想をはるかに上回るものであった為、今度は日本を経済戦争での「仮想敵国」と考える動きが出てきた。当初は、「自国の伝統的な繊維産業を救う為に、沖縄を返還する見返りに日本に繊維製品の輸出自主規制を求める(縄と糸の交換)」といったような対症療法に止まっていたが、次第にこれは日米間の日常の外交交渉の定番になった。
尤も、日本経済は輸出依存で、米国が最大の輸出市場であったから、この交渉は米国にとっては比較的容易だった。輸入規制と言う伝家の宝刀を常にちらつかせていればよかったからだ。この為、「米国側は、何か材料を見つける度に日本を押しまくり、日本側はあの手この手で時間を稼ぎ、半分ぐらいに値切る」という交渉パターンが日常化した。つまり、両国は、この形でその都度「落しどころ」を探ってきたのだ。
一方、防衛関係については、これとは全く関係なく、「相互メリット」のバランスが保たれていた。即ち、米国は、「共産主義勢力の浸透から韓国、台湾、及び東南アジア諸国を守る為には、日本からの後方支援が必須である」と考えていたし、一方の日本では、「防衛を米国に依存する体制下で経済発展に注力する」という路線が、産業界と、その支援を受ける政府・自民党において、「当然の選択肢」と見做されていた。
現在の日本が最も懸念すべきは、冷戦の終結によって米国の価値観が変り、「アジアでの軍事的プレゼンス維持の為に、もうこれ以上金を使う事は止めたい」という考えが台頭する事だが、米国が現在最も懸念するのは「国際テロ組織の勢力増大」と「核の拡散」だから、「中国が米国に代わってこれを阻止してくれる(北朝鮮の封じ込めを含め)」という確信が持てるに至るまでは、とてもそこまでは行けないだろう。
現実問題としては、「中国の超大国化」は、米国にとっても日本にとっても基本的には「脅威」だし、中国が米国や日本と同じ価値観を持つ国に変貌するまでには、これから少なくとも十数年はかかるだろう。という事は、当面は、「蜜月関係を維持する」以外の選択肢は日米間にはないという事だ。つまり、日本としては、対米関係は極力深め、要所々々で双方の国内事情を配慮した「ギブ・アンド・テーク」の関係を作っていけばよいだけという事になる。
対中関係:
日本経済の中国に対する依存度は今後とも益々増大し、このまま放置すれば、「中国がくしゃみをすれば日本は肺炎になる」という状況にもなりかねない。
これまでの日本は、米国市場への依存度があまりに強かった為に、米国からのある程度の「無理難題」にも何等かの対応をせざるを得なかったわけだが、将来中国から突きつけられる「無理難題」がどんなものであるかを想像してみると、平静な気持ではいられない。中国の国柄を考えると、何事につけ米国並みの「透明性」を期待するのは難しいからだ。
中国の産業経済にとっても、日本との友好関係は極めて重要であるには違いはないが、「依存度」という事になると、相当な違いがある。中国にとっては日本の代替となる国は数多くあり、それ故、輸出先としても輸入元としても、日本は常にこれらの国と天秤にかけられる事になるが、日本にとっては、中国と天秤にかけられるような市場や供給元は、そう簡単には見つかりそうにはない。
また、一旦、日中関係がこじれると、中国に進出している日本企業は即刻「人質」となるが、日本は、中国からその様な「人質」を今後とも取れそうにはない。
何よりも問題なのは、中国が一党独裁の「全体主義国」であり、この体制はそう簡単には変わりそうにはないという事だ。何事も選挙民の顔色を伺いつつやらねばならぬ日本と、国の指導者が何でも自分で決められる上に、必要があれば「ネット世論」や「街頭デモ」でさえも演出できる中国とでは、ガチンコの外交交渉になれば初めから勝負にならない。
「それでは、これからの日中関係はどのように構築していけばよいのか」を考えるに当っては、当然、現在の中国政府が目指している事や、懸念している事を、先ずは正しく理解しておく事が必要だ。
中国政府の目標は、当然、「自国民の生活レベルを上げ、現体制(一党独裁体制)を磐石のものにする」事である筈だ。「台湾や、チベット、ウィグルなどの少数民族勢力を自国の体制内に安定的に組み入れる」「経済発展の為に必要な資源(海洋資源を含む)を確保する」「大国としての地位を確立し、他国の干渉を排除する」等の目標がこれに続くだろう。そして、「軍事力の強化(近代化)」は、この目標完遂の全ての為に必要なので、当然、大目標の一つとなるだろう。
頭の痛い「尖閣列島問題」を除いては、これらの目標遂行の為の「障害」になるような事を、日本がやる必要は全くないから、その点では本質的に心配する事はあまりない様にも思える。しかし、些細な誤解や紛争が大問題に発展しかねないのが国際関係の難しいところだから、手放しに安心は出来ない。
日米関係においては、「軍事面での相互シナジー」が「経済面での対立の抑止力」として働いていたが、日中間ではそれはむしろ逆に働く。ここが日米関係と日中関係の本質的な違いだ。
さて、それでは、日本としては、これからの日中関係をどう考えていけばよいのかと問われれば、答は下記の通り、むしろ明快だと思う。
先ず、「経済」「軍事」「文化」の三つの面で、日本は中国と「同等、又はそれ以上」のポジションを確保するべきだ。そして、その上に立って、対米関係におけると同様に、友好的な「ギブ・アンド・テーク」の関係を、一つ一つ丁寧に構築していくべきだ。決して中国側から侮られる様な事はあってはならないが、同時に、中国側に必要以上の心配を与える事もあってはならない。
日本人の年配者の中には、未だに戦前の対中蔑視の感覚を引きずり、「中国は自国内の矛盾に押しつぶされて、早晩行き詰る」と信じたがっている人達もかなりいるようだが、そんな風には決してならないだろう。
フランス人は長い間、文化的後進国のアメリカが超大国化することを喜ばなかったが、アメリカは必然的に超大国化した。中国も、今後多少の紆余曲折はあろうが、超大国化するのは必然だ。日本は、英国やドイツ、フランスが超大国アメリカと「対等の友好関係」を維持しているように、未来の超大国中国と「対等の友好関係」を構築すればよいだけの事だ。
経済関係で中国と対等のポジションを確立する為には、韓国、ASEAN諸国、及びインドとの「より緊密な協力関係」を構築する事が何よりも必要だ。ASEAN諸国やインドとは、日本は中国以上にシナジーを見出し得るだろうし、彼等は中国が自国経済にあまりに大きな影響力を持つことを恐れているから、日本が彼等の為に出来る事は多い筈だ。
しかし、その為には、少なくとも二つの事が日本にとって必須だと思う。第一に、現地で活躍出来る日本人の層をもっと厚くする事。そして第二に、日本国内の法体系を変えて、これらの国々からの日本への労働力の導入が、もっとスムーズに行えるようにする事だ。
韓国については、「韓中」の方が「韓日」よりも経済的シナジーが大きいので、少し異なった取り組みをしなければならないだろうが、「米・中」の間に位置し、中国の巨大な力の前に埋没しかねない韓国は、日本との共通点が驚く程多い事も忘れてはならない。
尤も、韓国は一触即発の南北問題を抱えている上に、国内での左右両翼の対立は、日本では想像できない程に大きい。更に、対日感情の改善にも、今尚かなりの時間を要するものと思われるから、日韓間の経済協力関係の更なる強化には、相当の工夫が必要とされるだろう。
安全保障(軍事)面では、「米国との同盟関係の強化」と並んで、「海上自衛隊の装備と能力(海軍力)を強化し、これをベースに、韓国、及びASEAN諸国との緊密な協力関係を構築する事」が焦眉の問題だ。「海軍力」は、「密輸の取り締まり」「海賊行為の撲滅」「自国領土である島嶼への他国の干渉の排除」の三点で、日本のような海洋国家にとってはなくてはならないものだ。この点では中国の利害とは明らかに相反関係があるが、これは避けては通れない。
最後に「文化」だが、これは普通に考える以上に重要なファクターである事を敢えて指摘しておきたい。韓国の最近の経済発展には目を見張るものがあるが、日本を含むアジア各国での「韓流ドラマの成功」が果たした役割も、決して忘れてはならないと思う。
なお、対外的に「日本の文化」を語る時には、下記の三つのファクターを同等に重み付けて語るべきだ。
1)島国のメリットを生かし、国内で純粋培養されて凝結した「日本独自の文化」の力。(能や歌舞伎、文楽などの「様式美」、茶の湯の「侘び、寂び」、欧州の印象派の画家達を虜にした「浮世絵」等々。)
2)「ギリシャ・ローマ文化」が、「キリスト教」と共に「西欧文化圏」の基礎を生み出したように、中国に起源を持つ「漢字と儒教、漢詩や武侠小説の文化」が、「仏教」と共に「東亜文化圏」を生み出したという事実。
3)「現代の若者文化」(音楽、ドラマ、マンガ、ゲーム等)が、日、韓、中(香港、台湾を含む)で驚く程の共通項を持っているという事実。
「文化」は「歴史の産物」であって、「民族の優位性」を競い合うものではない。「独自の文化」も「共通の文化」も、それぞれに「誇り」と「敬意」、そして、それ以上に重要な「親近感」の源泉であるべきであり、全てが前向きにとらえられるべきだ。