2009年には、Twitterが普及する?しない?という論議が巷で騒がしくなりました。
2011年には、Facebookが普及する?しない?という論議に僕は巻き込まれています(もっと言うと、iPhoneが流行るかどうか、という話もありました。僕は常に、絶対普及する、と言い切ってきましたが)。
こうした話になると決まって出てくるのが、ほとんど根拠のない日本人特殊論です。
やれ、日本人にはスマートフォンは向かない、Twitterはオタク向けのサービスに過ぎない、Facebookは実名制だから日本人には受け入れられない、などなど。
僕から言わせればすべてナンセンスです。
iPhoneは日本人には不向き、と騒いだ人たちはどこへやら。いまや日本はiPhoneの普及率においては世界一とも言われるほどです。
Twitterはどうでしょう?2009年初頭には70万人ほどの利用者だったものが、いまや1500万人。実に20倍の伸長です。
Facebookは、既に世界最大のSNSであり、ロシアやブラジル、中国などを除けば、ほぼ世界各国でNo.1です。ここまで普及し、標準的なプラットフォームとなったFacebookを、日本人は絶対に拒みません。大海に囲まれた日本人は江戸時代には確かに鎖国という引きこもりをしましたが、その後は世界の輸出大国になりました。いまやFacebookは世界を覆う、巨大な海です。日本人は必ず、その大海に乗り出していきます。
あれだけ閉鎖的に見えた韓国のネットユーザーでさえもFacebookへの流入を始めているのです。日本でも必ず同じことが起こるでしょう。
世界中で流行したものは、いくつかの例外を除いて(多少のタイムラグがあるとしても)日本でも基本的に受け入れられます。日本人は、優秀な民族です。それだけに、自分達で特有の文化を創り込みます。ただし残念なことに、時としてその文化を普遍的な「文明」に切り替えることができず、世界との差異に悩むことになります。これが俗にいうガラパゴス状態です。
Facebookは、米国であっても初めての、本格的実名制ソーシャルネットワークです。米国人もプライバシーに関しては非常にセンシティブです。それは日本人も変わらない。
しかし、実名制であるがゆえに、オンとオフを超えた、新しいインターネットの利用方法が確立していく。そのことを日本人は必ず理解して、利用しようと考えていきます。日本人は実は先取的な民族だからです。
僕は、ガラパゴスであることを当たり前のように話したり、自分達を世界の中で特異な存在であるかのように卑下する人が嫌いです。それはなんとも自虐的すぎるからです。
日本人は、決して特殊ではない。
日本語という精緻な文法を持つ言語と、2000年以上続いている歴史ある文化が、世界との壁を作り、安易に外国からの文化流入を妨げるということは確かにあります、ありますが、本当に良い!と理解したときの日本人の変わり身の速さは、驚異的なものです。
Facebookは世界の標準的なソーシャルネットワークのプラットフォームになりました。
日本人は必ずそれを受け入れ、使いこなし、役立てていくでしょう。
コメント
まだ日本では時期尚早でしょう。
ネット上で実名を使うか匿名を使うかに関しては、実名を使うことのコストとリターンが関係しています。
現在ネット上で実名を使っている人は、それが収入や仕事を得る上でプラスに働いている、つまりリターンを得ている人たちです。リターンを得られるから実名を使うコストをも受け入れているのです。現在の日本ではネット上で実名を使うことが収入に結びつくのは一部の職業の人に限られています。
リターンがない人の場合はどうでしょうか?実名を使うと風評被害などに遭わないようにするコストばかりがかかり、マイナスでしかありません。このような人たちは現状のままでは実名使用に踏み切ることはないでしょう。
ではどうすれば実名を使うようになるか?
雇用規制が緩和され、雇用が流動化し、ネット上で自己アピールをすることが仕事を得る上でプラスに働くようになれば皆実名を使うようになるでしょう。
ですから「実名匿名」議論は日本の雇用システムとセットの問題なのです。日本の雇用システムが変わらない限り、実名使用が主流になることはありません。
ミクシーとフェイスブックの具体的な機能の違いはなんなのでしょうか。
そこがはっきりすればまだ分かる気がしますが。。
>普遍的な「文明」に切り替えることができず、世界との差異に悩むことになります。これが俗にいうガラパゴス状態です。
システムの外観をマネることだけは、世界のどの文化よりも早いと思います。でも本質が伴わないのですぐにガラパゴス化です。流行のオモチャ(アイフォーン)を持っていることだけが評価され、ツイッターは、意見の中身ではなくて、意見を発信する人(肩書き)の評価、フェイスブックはおそらく肩書き+外観の優れるものの評価が中心として世界とは真逆な発展を遂げることでしょう。
目に見えるマネる対象(日本の製造業の本質)が無くなったとたんの経済失速が、今後のそんな未来を予感させます。
>理解したときの日本人の変わり身の速さは、驚異的なものです。
考え方ではなくて、見え方だけで判断するので、見た目だけは手のひらを返すように変わります。明治維新なんて良い例ですね。
とにかくいつでも見え方を優先するので、創るものがたいてい世界一大きいとかアジア一大きいとか日本一大きいとか、大きいならなんでもOKという一つの傾向が伺えることを、それは巨大な古墳であったり、巨大な大仏であったり、巨大な戦艦であったり、巨大な(新東京?)タワーといった効率・効果など合目的性を軽んじる実績は、ごまかしようのないわれわれの特性です。
山岸俊男教授の調査では、日本人は「世界で最も他人を信頼しない国民」だそうです(他人を最も信頼するのはアメリカ人)。日本人は、他人を信頼できないがゆえに、内輪で群れ「和」をもって尊しとするわけです。
心配性の性格を決めるといわれる脳内セロトニンの量が、日本人は遺伝的に最低レベルという研究もあります。
そのような日本人にとって、実名をさらすというのは、恐怖です。事実、町内会や学校でさえ連絡簿が作れない状況が、一般的な日本人の実名への恐怖心を物語っています。
このような日本人の心性から見ると、実名主義のFacebookは極めてリスクが高く、広く受け入れられることは決してないと思います。もちろん、実名による情報交換が今後のビジネスに有利であることは否定しませんが、Facebookで実名を使う日本人は今後も少数派(勝ち組)に止まるでしょう。
人はもって生まれた足に合わない靴を履き続けることはできません。ガラパゴスといわれようと、日本人は匿名的なITツールを今後も使い続けていくことになるはずです。
その意味では、匿名と内輪の安心感がある分野別SNSなどは成長株かもしれません。