国家資本主義の父 - 『山県有朋と明治国家』

池田 信夫

山県有朋と明治国家 (NHKブックス No.1170)
著者:井上 寿一
日本放送出版協会(2010-12-21)
販売元:Amazon.co.jp
★★★☆☆


山県有朋は、その影響力に比べて人気のない政治家である。伊藤博文が憲法や議会制度をつくったのに対して、山県は軍や官僚を支配し、統帥権の独立を主張して軍の暴走の原因となった。立憲君主制によって天皇の実質的な権力は制限されたが、内閣は天皇を補佐するという建て前で弱い権限しかなかったため、山県が「元老」として20年以上にわたって君臨した。

本書によれば、山県を支えていたのは二つの危機意識だった。一つは列強の植民地にされるリスクが身近に迫っているという対外的な危機、もう一つは国内における民主主義の盛り上がりによる君主制の危機だった。この二つは彼の中では統一されており、列強に対抗するために重要なのは軍事的な統制であり、それを危うくするのが憲法や議会による民衆の力だった。

このため政党政治の時代になっても、山県は軍と官僚機構を掌握し、実質的な権力を持ち続けた。文官任用令を改正して政治任用を廃止し、高等文官試験によってキャリア官僚システムを創始した。内務卿としては府県・市町村などの地方制度をつくったが、中央政府が地方を統制し、知事や郡長などもすべて官選とした。現代の言葉でいえば、山県は中央集権的な官僚機構によって軍事力を強化する国家資本主義の父である。

途上国では、軍が強い力をもつ「開発独裁」は珍しくない。戦前の日本は、そういう軍政モデルの国であり、その中心が山県だった。戦後、GHQによって軍と内務省は解体されたが、山県のつくった官僚機構は丸ごと温存された。対外的には「暴力装置」としての国家主権の裏づけになっているのは米軍だが、対内的には自衛隊が弱いため、政治権力に求心力がない。

つまり戦後の日本は、山県が近代化を急ぐためにつくった国家資本主義を継承しながら、そのコアだった軍事力が去勢されたままなのだ。山県が政治から独立させた官僚機構は、立法権も握って政党政治を空洞化させる一方、軍という求心力を失って割拠的な性格を強めた。それをコントロールすべき内閣の中枢機能は弱く、かつての軍の代わりに霞ヶ関が暴走している。日本政治の混迷の背景には、山県の時代から続く国家権力の空虚な中心があるのだ。