野田政権の樹立と同時に、いまさらなが気がつかされた、日本の政治のあまりの「サイド・ショー」ぶりに、嫌気がさしてしまい、結果としてアゴラにすっかりご無沙汰してしまった。
「サイド・ショー」とは、つまり本筋に関係のない「余興」ということだ。
めりはりのない、うやむやな「首相交代」という悲喜劇。よくわからない「(ねつ造?)舌禍事件」で退場していく大臣。
メディアのスポットライトに照射されたステージ上の道化たちとは全く無関係の ところで、本当の脚本が書かれていることを日本国民はすでに感知している。
「ぶらさがり」メディアにあおられた政局に右往左往する政治家たちの「いたらなさ」と、機能しない政党政治の影で、日本国民は民主主義のプロセスからますます隔離されつつある。
それは政治家不在の「救国内閣」が発足したイタリアの情景を想起させられる。
あえて「無能」ではなく「いたらなさ」と書かせていただいたのは、個々の議員さんたちのすべてが全くの「無能」ではないだろうとの希望を、私が抱いているからだ。
現状の病状の根底にあるものは、議員さんたちが自らの地位を失うことを恐れることによって生じる、選挙への「恐怖」と、この恐怖心から生じる政策を語らない「卑怯」にある。
もっとも自己保存の本能に根ざしたこれらの「恐怖心」と「怯懦」を今すぐ失くせというのも無理だろうから、まずは「はじめの一歩」として、以下のことに注意し、身の処し方を改めてほしい。
まず第一には、敵失を必要以上にあげつらう醜態をやめてほしい。
失言失態のあげ足とりに熱中するのではなく、政策議論の論点を明確にしてほしい。
「我々は彼らよりは情けなくありません」
などという絶望的なネガティブ論法につきあうのに、国民はもう疲れすぎている。
第二には、国民に阿(おもね)た「責任転嫁」をやめてほしいということだ。
個人的には期待している政治家なので、例としてとりあげることにいささか気が引けるが、自民党の河野太郎氏が自身のブログ(9月15日)で「クラスター爆弾とあなたのお金」と題して、問題提起をされていた。
内容をまとめさせていただくと、非人道的な兵器として、禁止条約が締結されているクラスター爆弾の製造を行っている企業に、日本の金融機関が投融資を行っていることに、警鐘をならしている。
河野氏は、
「全銀協は、クラスター爆弾製造を目的とする与信を行わないと明言をしているものの、日本の金融機関の更なる取り組みが必要だ。」
と結論する。
あまり日本のメディアでは語られることがない国際問題に注意を喚起する河野氏の姿勢は賞賛されるべきだと思う。
しかし、
「日本の金融機関の更なる取り組みが必要」
といい、
「原発事故をみるにつけ、メディアをはじめ各社が企業の社会的責任を果たしていれば、防ぐことができた悲劇が少なくないことを痛感する。」
と結ぶ河野氏のスタンスに、私は違和感を覚えた。
この違和感の原因は、河野氏のスタンスの底辺にある、
「世の中まちがっている」
「でも悪いのはあなたたちではありません」
「悪いのはあの人たちです」
という、選挙民におもねる、「責任転嫁」の姿勢が感じられるからだ。
個人的な経験から話をさせていただくが、私は投資運用会社での前職で、この「倫理的投資」(SRI=Socially Responsible Investment/社会的責任ある投資、またはSustainable and Responsible Investmentともいう。)という問題に対処したことがある。
河野氏のブログ記事にも名前が出ていたクラスター爆弾の製造を行っているシンガポール・テクノロジーズ社などは、こうした倫理的基準に合致しない銘柄として、投資対象から名指しではずされる常連だ。
そのほかにも、アメリカでストリップ・バーのチェーン/ライセンシングを展開するスコアーズ社(店頭銘柄)や、ドイツでアダルトグッズ販売店を展開するベアテ・ウーゼ社(FWB: USE)なども投資対象外との顧客から指定をうけやすい。
クラスター爆弾や、セックス産業以外にも、カソリック系の年金基金や慈善基金などは、ローマ法王庁のお達しにより、例えば旭化成やデュレックス社など、コンドーム製造会社を投資対象から外すように指示がある。またカジノ経営会社や、タバコ産業も除外の対象となりやすい。
しかし投資会社として一番困るのは、こうした倫理基準の判断を一任されることだ。
アメリカの労働組合の年金基金などから「アメリカの製造業の空洞化に加担する企業」を投資対象から外すように要請があったが、これではGE社や、部品製造の大部分を国外に委託しているボーイング社やアップル社までが投資対象外になってしまう。
このような「丸投げ」要請は主に二つの問題点を抱えている。
第一に、顧客の投資資産の最大化を第一義的目的としている投資運用会社にとって、倫理的価値観という、主観的な判断基準による自制を義務づけることは、実質的に相反する目的を追求すること義務を課すことになる。
「平家物語」の平重盛や、「赤穂浪士」の萱野三平よろしく、
「忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず...」
ではないが、投資運用会社としては、
「もうけようとすれば反倫理のリスク、倫理的であろうとすればもうけのチャンスを逃すリスク」
となり、結局どちらの義務の遂行も果たせず、お客さんからの訴訟リスクのみ抱え込むことになる。
第二に、投資運用会社や、そこで勤務するインベストメント・マネジャーなどという人種に、「模範的」かつ「普遍的」、そして「無謬」の倫理的価値判断を期待して一任するということ自体に無理があるということだ。
そこで、実際にSRIに即した資産運用を望む顧客には、各銘柄企業の経営内容を調査し、継続的にモニタリングする、リサーチ会社やコンサルタント会社など、第三者が提供する、禁止投資銘柄リスト(ネガティブ・スクリーン)を採用することになる。
アメリカではこうしたSRIビジネスがかなり成長してきているが(例えばこちら)
日本では大手金融機関あいのりのNPO団体が中心となっており、今ひとつもりあがっていない。(金融機関の自作自演では根本的に問題の解決にならない。)
話がずれるが、こうしたSRIネガティブ・スクリーン作成の仕事などは、ニッポンの官僚の「天下り先」として適材適所だと思うのだがどうだろう。リサーチとモニタリングを通じて、上から目線で各企業を採点していく作業などは、よっぽど彼らに適していると思うのだが...へたなシンクタンクもどきを作ってもらい、各金融機関からミカジメ料のような調査費を徴収し、時の政府方針を上書きしたような誰も読まないレポートを書いているよりはよっぽど気が利いて、社会に重要な貢献が出来る仕組みと思うのだがどうだろう。
閑話休題。言帰正伝。
以前の経験から長々と説明してしまったが、このようにSRIの問題は、「日本の金融機関の更なる取り組み」や、「メディアをはじめ各社が企業の社会的責任」を果たせれば良くなるというような、他力本願で解決できる問題ではない。
年金や投資信託などを通じて投資家として市場に参加している国民全体が、SRIという問題に関心を持ち、当事者として主体的に取り組まなければならない問題だ。
問題提起を行った河野氏の功績は、認められるべきだが、これを「金融機関」の「企業責任」として結論づけた同氏の安直さは、現在の日本の政治の低迷と根を同じくしている。
河野氏にはより大きな「国民の啓発」という努力を期待したいのだ。
ニュージャージー州のニューアーク市の市長であるコーリー・ブッカー氏は、昨今の「ウォールストリート占拠デモ」を意識して、彼のフェイスブックのページ次のように発言した。
No matter how justified, the blame game rarely leads to a victory. Those who take responsibility for the challenges before them, and act in that accord with discipline and courage, most often triumph.
「たとえそれがいかに正当化できるとしても、『責任のなすりあい』は勝利への道につながらない。眼前のチャレンジに対して、自ら進んで責任を負い、節度と勇気をもって対処するものが、勝利を得ることができるのだ。」
(この発言は「ウォールストリートを占拠せよ!」と、もり上がっている若者にはウケが悪かった。しかしこの「バカ正直さ」がブッカー市長のおねうちだ。彼がもっとスリックな(かしこい/ずるい)政治家だったら、初の黒人大統領はオバマ氏ではなくブッカー氏だったかもしれない。)
グローバリズムの大波を受け、混乱を極めているいまの世界を見渡す限り、我が同胞の日本人ほど、この時代の挑戦に真摯に立ち向かっている人々はいないと、私は確信している。中国をはじめ、東南アジア諸国というグローバリズムの最先端で働く人々と接しているからかもしれないが、いますぐそこまで来ている「アジアの時代」と「先進国の衰退期」において、日本と日本人のありよう、進むべき道、なすべきことを、真剣に自問し、かわることのない「勤勉」と「緻密」を発揮している。
政治家には、こうしたけなげな国民の委託に堪えうる言動を期待したい。
ニッポンという限定された「はこ」のなかで、「鬼面、人を驚かせる」かのような無責任な財政再建議論や「アメリカ陰謀説」などの虚言を弄し、人のよい選挙民をまどわせる、まるで学園祭の「おばけやしき」のような「まつりごと」は、もうたいがいにしてほしいのだ。
NPO法人 社会的責任投資フォーラム
US SIF: The Forum for Sustainable and Responsible Investment
オマケ
ブッカー市長の2002年の市長選挙に取材したドキュメンタリー映画「ストリート・ファイト」。2005年のアカデミー賞ドキュメンタリー映画部門にノミネートされている。ブッカー氏はこの選挙に敗れた後、2006年に当選した。
上記の市長選に破れた後、パブリック・スピーカーとして卒業式で熱弁をふるうブッカー氏。
オマケのオマケ
「学園祭のおばけやしき」で、これを思い出してしまった私。