■霞ヶ関あれこれ
古賀茂明さん「官僚を国民のために働かせる法」を読みました。改めて旧通産省(現経済産業省)は多士済々だなぁと感じた次第です。
ぼくは80-90年代の郵政・通産戦争の最前線にいました。90年代初頭には郵政省(現総務省)の通産担当に就き、直接交渉を任されました。
TPPで政治家から堂々と叩かれている宗像直子担当室長は、エネルギー政策で有名な澤昭裕さんと並び、当時のカウンターパート。その後の担当が岸博幸さん! ケンカしたくない相手ばかり。ボコボコにされつつ、こういう人たちが国際交渉するなら国民としては頼れるなぁと思ったもんです。
松井孝治さん鈴木寛さん藤末健三さん安延申さん小城武彦さん……今もつながっているOBは通産の方が自分の出身の郵政よりうんと多い。通産は人材供給工場でした。
青木昌彦先生に誘われ経済産業研究所の上席研究員を務めていたことがあります。郵政出身を身内に迎え入れる。懐が広かった。ITチームは池田信夫さんと泉田裕彦現新潟県知事。パンクですねぇ。あの一瞬、霞ヶ関には期待が持てました。
しかし経済産業研究所はお家騒動もあってバラバラに。お家騒動は人材が豊富だから起きるんですよね。旧郵政ではお家騒動ってありませんでした。小泉郵政大臣 vs 役人というバトルはありましたが。
一方、通信・放送融合とか、ハイビジョン/ISDN否定とか、コンテンツ政策樹立とか、ぼくは毎度まいど役所内で反主流の旗ばかり掲げて、またオマエかと言われ続けていたのに筆頭補佐まで登ったのは、恐らく他の役所ではあり得ない。郵政っていうところは、正しくなくても健康な組織だったんだと思います。
一口に霞ヶ関と言っても、それぞれカラーがあります。
現政権を牛耳っている財務省の前身、大蔵省は全省庁の予算に是非を下す究極の許認可官庁。求められる資質は人々の話をにこやかに吸収する聖徳太子力と、冷酷に断を下す織田信長力。
一方、通産省は権限のない分野を拓く狩猟族。税金で留学しMBA取って民間に出ちゃえるギラついた度胸のあるひとの行くところ。
ぼくのいた郵政は10円切手を頭下げて売り歩く前垂れ精神。上半身(頭脳)より下半身(足腰)。のっそりのっそり津々浦々を歩きます。すこぶるぼくの肌に合っていました。
ぼくはコミュニケーションや表現に関心があったので、てゆーかそれしか興味がなかったので、郵政・通信・放送・コンテンツってとこに就職しようとし、郵政だけ受かったから入りました。公務員志望というわけではなく、大蔵にも通産にも興味がなかったのです。
だから霞ヶ関でくくられるのには違和感があります。上山信一さん(運輸)、溝畑宏さん(自治)、岡本行夫さん(外務)、寺脇研さん(農水 ※まちがい文部)らの話を聞いていても、ぼくとはじぇんじぇん違うなぁと思うのです。あんまり霞ヶ関論に加わらないのは、入省当時「三流官庁」と揶揄されていた役所の出身だからというより、マスコミで論じられている霞ヶ関とぼくの感覚がズレている点があるからです。
例えば古賀さんが課長のころ所管財団をつぶしたとき、局長が「省益に反する」と非難した逸話があります。しかし90年代中盤に郵政省が規制緩和をグイグイ断行したのは全く逆で、権限を離すのが省益となったから進んだのです。
通信・放送分野は、権限を手放すことで業界が活性化し、メディアも産業界も支持しました。それで担当者の評価が高まり、人事にもプラスとなりました。だから規制緩和のドライブがかかったわけです。
CATV外資規制撤廃の折など、自民党から「そこまでやるこたああるまい」とストップがかかるほどでした。当時ぼくは大臣官房の規制緩和担当で、規制当局に「緩和策を出せ」と迫る側だったのに、もういいよ!って止めなきゃいけないぐらいの勢いでした。(規制緩和というのは、既得権の破壊でもあるので、役所としては規制強化する以上に仕事としては大変になることも多いのです。)
政策評価メカニズムが重要です。今も、権限を手放さない役所を叩くより、手放したやつを大々的に持ち上げてやればいいんです。実名でホメてあげて、出世させてやる。叩いても叩いても、いい答えは出てきません。
TPPにしろ東電処理にしろ電波競売にしろ、断行することで担当が出世するように組み立てれば政策は進みます。そうじゃなくて、役所を叩いても、殻にこもるだけなんです。霞ヶ関ってのは特殊なムラですが、しょせん人の集まりでして、フツーにくすぐってあげればいいんだと思います。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2012年1月9日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。