福島第一原発の事故以来、厚生労働省は放射性セシウム134と137の暫定基準値を500Bq/kgとしてきたが、これを100Bq/kgに引き下げようとしている。反原発団体に答える形で、放射線安全基準がまた一段と厳しくされる。筆者は500Bq/kgという暫定基準値は、多くの自然食品の放射能と比してみても厳し過ぎると考えており(パセリやほうれん草はカリウム40を200-300Bq/kgほど含む。干し昆布やワカメは1500Bq/kgほど含む)、さらに厳しくするということは甚だ疑問だ。
しかしながら、これも原子力業界、いわゆる原子力ムラの利害関係を考えるとそれほど驚くことではない。放射線安全基準が達成可能な範囲で厳しくなればなるほど、原子力ムラの一角を形成する放射線防護技術を有するメーカーは儲かるのである。そして政府の監督当局も間接的に潤う。今後、除染作業や、さまざま放射線測定装置の導入など、厳しい放射線安全基準を課すことにより、莫大な税金が、合法的にこれら原子力ムラに流れることになる。つまり、狂信的な反原発団体と原子力ムラは、実に奇妙な形で共生関係になっているのだ。
原子力ムラは、このような形で反原発団体の力を巧妙に利用してきた。そして、逆説的だが、こういった団体は、原子力ムラが存在しなければ、自らのレゾンデートルを失う。これは寄生虫やウィルスと宿主の関係に似ている。あまりにも殺傷力が強いと、宿主がいなくなり自らも滅びてしまうので、生かさぬように殺さぬように共生していくのである。福島みずほ率いる社会党の支離滅裂な政策も、それは決して与党にならないという前提条件ではじめて意義がある。反資本主義団体も、資本主義社会が決して瓦解しないからこそ成り立つのである。
さて、原子力発電の放射線安全基準は、医学的というよりも、このような政治的な力によって厳しくなったり、緩くなったりするのであるが、それがどのように決まるのか考えることにしよう。どこまで厳しくなるかといえば、それは原子力ムラの技術水準で決定される。当然だが、技術的に達成できない基準値は問題外であり、これよりも厳しくなることはない。しかし、原子力発電は火力発電とコストにおいて競合関係にあるので、あまりに厳しくなりすぎて、発電単価が火力より上がってはいけない。すなわち、放射線安全基準というのは、火力発電と競争できる範囲で、なおかつ技術的に達成可能な範囲で、なるべく厳しくなるのである。それが原子力ムラの利益を最大化させるからだ。
原子力発電は、開発された当初は”Too cheap to meter”と言われていた。発電コストが安すぎて、電気代を計る必要もないということだ。それほどまでに、アインシュタインの特殊相対性理論 E=mc2 から生み出されるエネルギーは圧倒的なのだ。そして、実はそのことは今でも変わらないのである。仮に、現在、先進国で稼動している石炭火力発電所と同じ程度の安全基準でいいなら、つまり、石炭火力発電所と同じ程度の健康被害を人々に与えてもいいというならば、原子力発電は今でも”Too cheap to meter”なのである。この辺の事情は、来週発売される拙著
食品の基準値を500Bq/kgから100Bq/kgに変更することにより、福島の復興が遅れ、莫大な税金が原子力ムラに流れることになるだろう。そして、そのことから国民が得るものは何一つない。
参考資料
食品の厳しい基準値は被災農漁家への新たな人災、松田裕之
暫定規制値の強化は復興を阻害する、池田信夫
原子力ムラの既得権益と放射線安全基準、藤沢数希