ここで語られている失敗のパターンも『失敗の本質』と同じだが、おもしろいのは特攻隊についての第2章だ。従来の公式見解では、特攻出撃を命じたのは当時の軍令部などの海軍の中枢ではなく、「現場の熱意」だということになっているが、反省会の中では「軍令部も参謀本部も事前に了解していた」という証言が出てくる。取材班が調べると、神風特攻隊の前に人間魚雷「回天」の出撃命令(大海指)を軍令部が出したことが判明する。
当時の軍令部第一部長だった中澤佑は、別の講演で軍令部の責任を否定して「私はハンコを押していない」というが、決裁を求めた元部下は「中澤部長のハンコをもらった」と証言する。敗戦直後に軍が関連書類を焼却したため証拠は残っていないが、中澤の言葉は印象的だ。
特攻というのは、これは作戦ではないと。作戦というのは、命令、服従、これらの関係でやるので、お前その行って死ね、とこういうことを命令するというのは、作戦にあらずと。作戦よりもっとディグリーの高いオーダーの崇高なる精神の発露であって、作戦にあらずと。
これは(実際には作戦を承認した)自分の責任を逃れる言い訳だろうが、正直な感想ともいえよう。1944年当時のせっぱ詰まった状況で「自爆攻撃しかない」という現場の作戦に決裁を求められれば、上官として拒否できなかっただろう。また生還する見込みのない作戦に出撃するには非常に強い意志が必要で、上官の命令だけでできることではない。
5000人以上の兵士が「自発的」に自爆攻撃に出撃した動機は、何だったのだろうか。それを苦しげに説明する当時の上官は「崇高なる精神の発露」とか「厳格な精神作用」といった精神論を乱発し、取材班の「作戦が成功する見通しはあったのか」といった質問には答えない。ここでは何のために戦闘を行なうのかという目的合理性が欠如し、命を捧げて全体に奉仕するという動機の純粋性が自己目的化している。
このような美意識で命を犠牲にできるのは日本人の強みでもあり、弱みでもある。それは「できるかできないか一切考えない。ただやる。無我だ。真っ白だ。突撃だ」という「プロジェクトX」のスローガンにも象徴される、日本人の職業倫理のコアである。それは与えられた目的が正しい場合にはすばらしい力を発揮するが、全体戦略を考える指揮官がいないと、暴走を止めることができない。
目的より情緒を重視する「空気」は、現代の日本にも生きている。原発を稼働しないまま夏を迎えたら大停電のリスクがあることは明らかなのに、橋下市長は再稼働を求めるのは「守銭奴であって政治ではない」という。ここではエネルギー確保という目的よりも悪の象徴である原発と闘う「動機の純粋性」が重視され、他地域に電力の融通を求める本末転倒の要求が出される。『失敗の本質』は永遠に新しい。