著者:松元 崇
販売元:中央公論新社
(2012-02-23)
販売元:Amazon.co.jp
★★★☆☆
高橋是清といえば「日本のケインズ」とか「国債の日銀引き受けでリフレを行なった」などという人がいるが、それは本当だろうか。本書は財務省の現役官僚が書いたもので、高橋の伝記というより昭和初期の日本財政史である。読み物としてはあまりおもしろくないが、数字の検証は精密に行なわれている。
高橋は1932年に蔵相に就任してから、金解禁でデフレに陥った日本経済を建て直すために金輸出をふたたび禁止し、農村救済のための「時局匡救事業」を行なって、32年の歳出は32%増になった。このために公債の発行が増え、それを消化するために日銀に引き受けさせた。それによってデフレは止まり、1932~36年に卸売物価指数は6%上昇し、鉱工業生産は10%伸び、マネーストックも5~10%伸びた。
しかし高橋はケインズの理論に一度も言及したことがない。講演で乗数効果のような話をしたことはあるが、政府が財政赤字で有効需要を創出すべきだとは考えていなかった。彼は均衡財政主義であり、高橋財政は当時のルーズベルトの政策と同じく、基本的には健全財政だった。総予算は増えたが、軍事費を除く予算は33年以降は減少した。
日銀が国債を引き受けたのも意図的にインフレを起こすためではなく、世界恐慌の最中で銀行に国債を買う体力がなかったからだ。日銀は引き受けた国債を徐々に市中に売却しており、結果的には市中で消化したのと同じだ。しかし35年ごろには市中消化は滞り始め、高橋は国債を減額しようとしたが、これが軍部の反発をまねき、二・二六事件で暗殺された。この結果、国債の日銀引き受けは歯止めを失って財政赤字とインフレが激しく進行し、日本は戦時体制に突入する。
高橋財政の教訓は、財政規律を破ると取り返しがつかないということである。日銀引き受けは麻薬のようなもので、いったん始めるとやめられない。軍部は「日銀に引き受けさせればいくらでも財源はあるじゃないか」という。現代の日本にも200兆円の国債発行を求める軍部のような政治家がいる。民主党政権が倒れると、バラマキ公共事業と日銀法改正による国債引き受けを公約した自民党が政権に復帰することを考えると、高橋財政の教訓に学ぶことは大事である。