電力自由化の条件:通信自由化の教訓

アゴラ編集部

池田信夫 アゴラ研究所所長

経済産業省は、電力の全面自由化と発送電分離を行なう方針を示した。これ自体は今に始まったことではなく、1990年代に通産省が電力自由化を始めたときの最終目標だった。2003年の第3次制度改革では卸電力取引市場が創設されるとともに、50kW以上の高圧需要家について小売り自由化が行なわれ、その次のステップとして全面自由化が想定されていた。しかし2008年の第4次制度改革では低圧(小口)の自由化は見送られ、発送電分離にも電気事業連合会が強く抵抗し、立ち消えになってしまった。

今回は電事連の中心である東電が公的管理のもとに置かれているため経産省としては懸案の完全自由化を進めるチャンスと見たのだろう。東電の破綻処理の過程で発電設備を売ることはおそらく不可避なので、それを新規参入企業に売却すれば競争促進も可能である。しかし自由化で重要なのはこうしたインフラ技術ではなく、本当に競争が起こるのかということだ。ここでは自由化のか課題を考える素材として、1980年代に行なわれた通信自由化の経験を簡単に振り返っておこう。


1.つくられた通信自由化

世界的に通信自由化が始まったのは1982年に決まったAT&T(米国電話電信会社)分割の同意判決がきっかけである。これは独立系の通信事業者との接続をAT&Tが拒否したのに対して事業者が訴訟を起こし、これを受けて司法省が反トラスト法違反でAT&Tを起訴したもので、同意判決によって市内電話を7社の地域電話会社に分割することが決まった。84年に資本分離が行なわれ、AT&Tは長距離電話部門とコンピュータ部門のみを保有する企業になった。BT(英国通信会社)も1984年に民営化された。

日本では、1981年に第二次臨時行政調査会ができ、土光敏夫が会長になって「増税なき財政再建」をスローガンとして行政改革が進められた。1982年の第3次答申で国鉄の分割・民営化とともに、電電公社の分割・民営化が提言された。この背景には、80年代から始まったサッチャー・レーガンなどの自由主義的な改革の影響もあったが、ピーク時に37兆円にも達した国鉄の累積債務が財政を圧迫していたほか、スト権ストに代表される労働組合の先鋭化に自民党と財界が危機感を抱いた事情がある。

1982年に首相になった中曽根康弘は、こうした潮流に乗って行政改革を進めた。最大の標的は国鉄で、臨調答申どおりの分割・民営化が実施され、公労協の中核部隊だった国労は解体された。電電公社の民営化は、国鉄と違って業務は拡大していたため、民営化に対する反対は少なかった。特に公社時代の末期に明らかになった大規模な不正経理事件を受けて真藤恒が財界から総裁に送り込まれ、政権と連携して民営化を進めた。

しかし電電公社の労使は通信インフラの分割に反対し、財界でも意見はわかれた。郵政省は電電公社を完全に解体するAT&T方式を主張したが、経団連の中には「国際競争力」の観点から分割は好ましくないという勢力があった。全電通も国労の二の舞を避けるために徹底抗戦はせず、民営化は容認したが分割には反対した。

結局、1984年に閣議決定された日本電信電話会社法では地域分割は見送られ通信網が市内電話と長距離電話に会計分離された。利益率の高い長距離電話への参入が期待されたため、ボトルネック設備となる加入者線の相互接続が義務づけられ、市内網との接続料が規制された。しかしNTTの市内部門と長距離部門は一体だったため、接続料の算定には不透明性が残り、それが公正かどうかをめぐってその後も論争が繰り返される。

AT&Tに挑戦する企業との紛争に端を発して司法によって分割が行なわれたアメリカとは違い、日本の通信自由化は自民党と財界による「つくられた自由化」で、官に独占されていた通信利権に財界系の企業が食い込むと同時に、労働組合の政治力をそぐことが目的だった。このように目的が明確だったことが政官財の連携や戦略的な改革を可能にしたといえよう。

2.電力自由化の目的は何か

これに対して電力自由化は、もともとはオール財界のエネルギーコスト削減という意向を受けて1995年に通産省が始めたものだが、財界の中心である電力会社が強く反対したため、最終段階で腰砕けになった。この点は電電公社と財界との対立が基本的な構図だったのとは対照的で、電力改革が進まない原因の一つである。

利用者にとっても自由化で料金が下がるかどうかは明らかではない。1996年に電力指令で自由化が決まったEUでは、もっとも競争が進んだイギリスでも、図のように自由化前と比べて特に急速に価格が低下したわけではない。ドイツでは競争の結果、8大電力会社が4社に統合され、フランスでは独占が続いているが、価格の低下はこうした自由化の程度とほとんど無関係に自由化前から一定の比率で下がっている。これはエネルギー価格の変化の影響のほうが大きいと思われる(山口 2007)。

図 EU諸国の家庭用電気料金

問題は、自由化したら競争が起こるのかということだ。すでに自由化されている大口でも、電力会社以外の新電力のシェアは3.5%であり、それよりはるかに大きなコストのかかる小口で参入が起こるかどうかは疑問である。この一つの原因は、電力会社の送電系統を利用する託送料が高いことで、高圧電力で4.89円/kWh。電力会社の大口電力料金は全国平均で13.65円だから、託送料は料金の36%にのぼる。

しかし最大の原因は、電力事業はインフラ投資(特に送電網)の固定費が大きいため、規模の利益が非常に強いことだ。電力会社は多くの企業に送電するので単価が安いが、新電力の利用者は少ないので、電力会社より安い料金を出すのがむずかしい。今ある新電力は、鉄鋼やガスなどの重厚長大企業が工場で発生する熱を利用する副業としてやっているのがほとんどだ。

他方、小口の電気料金は総括原価方式なので、確実に利益が上がる。東電の規制部門(主に小口電力)の販売電力量は全体の38%だが営業利益の91%は規制部門から上がっている。では小口を自由化すれば、新規参入が増えて家庭用料金が下がるかというと事はそれほど単純ではない。自由化しても、電力利用者は東電の管内だけで1700万世帯。設備投資は兆円単位になる。そんな巨額の資金を調達でき、インフラ技術をもつ企業は数えるほどしかない。

この点で東電が今年の秋に入札を行なうスマートメーターは重要である。これを現在のような東電固有の規格にすると、小口電力への新電力の参入は事実上不可能になろう。他方、この規格をオープンにし、モジュールごとに国際標準化して通信企業なども参入できるようにすれば、情報とエネルギーの融合するイノベーションの可能性もある(スマートメーター研究会 2012)。

3.重要なのは競争促進

最大の問題は自由化するかどうかではなく、それによって新しい企業が参入するかどうかである。1985年に電電公社の民営化と同時に電気通信事業法が施行されて電気通信が自由化されたときも、競争相手が現われるかどうかが問題だった。独自の通信網をもち、大幅な余剰員員を抱えた国鉄が「日本テレコム」を設立したほか、高速道路の側溝に光ファイバーの管路をもつ道路公団が「日本高速通信」を設立したが、いずれも半官半民のような企業で、NTTと競争できるかどうかは疑問だった。

そこでオール財界の支援で「第二電電」(DDI)が設立され京セラの稲盛和夫を中心にして、セコム、ソニー、三菱商事など25社が出資した。DDIの専務になった千本倖生を初め、NTTから多くの技術者が転籍したほか、真藤社長はNTTの保有していた東名阪のマイクロ回線のうち1ルートをDDIに貸した。これには社内でも反対が強かったが、真藤のねらいは競争を促進して社内を合理化することだった。結果的には、競争に生き残ったのはインフラをもっていた日本テレコムや日本高速通信ではなく、技術もインフラもないDDIだった。大事なのは技術ではなく起業家精神なのだ。

このような「管理された競争」は市場をゆがめ、特定の企業に利益誘導を行なったという批判も強いが、市場にまかせていたら、自由化しても競争は起こらなかっただろう。この問題は、電力のほうがむずかしい。民営化当時の電電公社の売り上げは約5兆円で今の東電とほぼ同じだが、10電力全体では15兆円。物価を勘案しても当時の電話の1.5倍の産業だから、競争を導入するには非常に大きなパワーが必要である。

エネルギー産業は情報通信技術と結びついてイノベーションを生み出す可能性を秘めている。日本の企業がアップルやグーグルのような超高速イノベーションに追随するのはむずかしいが、エネルギーのようなインフラ型産業では高い信頼性やサービス品質が競争優位になる。エネルギー分野では日本の技術的優位は大きく、情報通信と連携する技術はまだ確立していないので、「日の丸技術」にこだわらないで国際標準化を進めれば、日本企業にも勝機はある。

4.インフラ分離の功罪

AT&Tの分割のときは、地域電話会社と資本関係を完全に切って構造分離されたが、BTは一体のまま民営化された。NTTはBTをモデルにして相互接続を規制することによって公正競争を確保しようとしたが、臨調答申の通り完全分離せよという声は強く、その後も1992年に電気通信審議会で経営形態が再検討され、無線を93年に分社化した。それがNTT移動体通信(現在のNTTドコモ)である。

1997年には、分割と統合の妥協として持株会社方式が決まった。当時は商法で純粋持株会社は禁止されていたが、98年に商法を改正するという前提でNTTを純粋持株会社にする超法規的措置がとられた。これは当時はうまい妥協案と見えたが、結果的には失敗だった。臨調で想定されていたのは市内網と長距離網の分離だったが、このときすでにネットワークの主流はインターネットになり、そこには市内も長距離もなかったからだ。結果的にはネットワークは県域で分断され、県境を超えた営業が禁止されるなど、NTTのネットワークはきわめて非効率である。

このようにインフラを分離することは一長一短で、通信のように技術進歩が激しい場合は、一時期の構造を固定してイノベーションを止めてしまうリスクがある。他方、電力のように技術が成熟している場合には、そういうリスクは小さいが、電力品質に問題が生じる可能性がある。2000年代に経産省が進めようとした発送電分離が失敗した原因も、カリフォルニアの大停電などの事件を受けて電事連が「分離すると安定供給できない」と宣伝したことにある。

カリフォルニアの大停電の原因は自由化ではなく卸し売りだけを自由化して小売り料金を規制した「規制の失敗」にある(浅野・矢島 2004)。しかし発電の制御を送電網で行なっている現在の電力会社のインフラを分断することが供給の安定性を低下させることは間違いない。このため経産省が検討しているのは完全分離ではなく、電力会社がインフラを保有したまま第三者が運用を行なうISO(independent system operator)に分離する機能分離だといわれる。

この場合も、発電事業に新しい企業が参入して効率が上がれば、供給の不安定化というコストを上回るメリットがあろう。またDR(demand response)のような技術を使って需要を管理する独立系の事業者が出てくる可能性もある。現状では、こうした事業者は電力会社の許可を受けないと電力網に接続できないので日本では皆無に近いが、送電系がISOになれば、自由度が上がるだろう。技術がモジュール化されることで環境への対応も柔軟にでき、原発の安全性が高まり、イノベーションも期待できる(Aoki-Rothwell 2011)。

5.結び

電力自由化は、欧米では90年代にほぼ終わったもので、日本は宿題をやり残している。完全自由化は既定方針であり、発送電分離も機能分離ぐらいであれば、安定供給にそれほど支障はないだろう。しかしこのような企業分割は、競争政策としてはもっとも強いものであり、電力会社の反対も強い。かつては自由化の最中にアメリカの大停電などが起こり、自民党の政治力を使った電事連に経産省が押しきられたが、今回は原子力損害賠償支援機構が東電の株式の過半数をもっているので、法的には分割や売却は可能である。

しかし東電以外の電力会社はそれぞれの地域の財界のトップであり、余命いくばくもない民主党政権に妥協するとは思えない。「現在の日本の電力品質は世界一であり、料金もそれほど高いほうではない」という反論に対して政治が指導力を発揮できるかどうかは疑問である。また「脱原発」という本質的ではない問題が混在していることが、自由化論議を混乱させている。

いずれにせよ重要なのは、新しい企業が参入することであり、それは国内企業に限る必要はない。今後のアジア市場の成長を考えると、むしろ最初からアジアを視野に入れて自由化したほうがいいかもしれない。原発事故という災いを転じて福となすためにも、政府の長期戦略が必要である。

参考文献

Aoki,M. and Rothwell, G. “Organization under Large Uncertainty: An Analysys of the Fukushma Catastroph”
スマートメーター研究会「東京電力発注のスマートメーター通信機能基本仕様に対する意見書

浅野浩志・矢島正之「米国における電力自由化の動向」(八田・田中編『電力自由化の経済学』)

山口聡「電力自由化の成果と課題」(『調査と情報』第595号)