書評:素晴らしく効率的な読書法とその限界 --- 城 繁幸

アゴラ編集部


読書の技法 誰でも本物の知識が身につく熟読術・速読術「超」入門

週刊東洋経済の連載から、読書に関する部分だけを再編集した一冊。
タイトルにいささかの偽りも誇大性もなく、掛け値なしに素晴らしい読書の技法テキストだ。


著者のいう読書術とは分類であり、熟読すべき本と流すだけの本をえり分けるプロセスが肝だ(当然、その判断基準のために一定の読書量の蓄積は必須であるが)。
熟読すべきは基礎知識を与えてくれるベースとなる本で、そういった本は逆に何度も通読する。その他の本は基礎知識をもとに速読すれば十分だ。
その分類さえスムーズにできるようになれば、月300冊ほど“処理”することも可能だという。

そこまでのボリュームではなくても、ある程度読書しているという人間なら、無意識的に似たようなプロセスは経ているのではないか。著者はそれをさらに効率化し、実際の社会問題とリンクして知識を使用するケースまで踏み込んで紹介してくれる。
これが実に面白い。

ただ、本書は同時に、読書オタクの限界も示している。
本書ではしばしば“新自由主義”という言葉が顔を出す。
著者が今メインに向き合っているテーマだということがわかるが、それについて著者が蓄積した知識でどう戦っているかというと、だいたいこんな感じである。

2008年9月のリーマンショックの後、世界的規模で広がる不況に直面して、社会主義が再評価される傾向にある。ここでソ連型社会主義について知識を整理しておけば、社会主義の魅力と限界がわかる。(中略)
今の日本では、年収200万円以下の給与所得者が1000万人を超えている。
これでは前述の第一の要素(労働者の生活)をかろうじて維持することができるのみで、次世代の労働者を再生産することができない。日本の資本主義体制を維持・発展させるという観点から、企業経営者が貧困対策についてもっと真剣に考えるべきだ。

正社員の生活給を維持しようとしたから派遣労働などの非正規雇用が拡大し、そしてそれらを正規雇用化させようとしたために派遣切りが拡大したのだ。
経営者に資本論読ませたって問題は1ミリも前進しない。
恐らくこの時点で大半のビジネスマンなら「プッ」という感じだろうが、氏の知を巡る戦いは終わらない。後半、最近読んだ本を並べてこう説明する。

これは、新自由主義的にアトム(原子)化してしまった日本人を再び結束させるためにはどうすればよいか、ということについて考えるための基本資料だ。民主党政権は社会的平等を志向している。日本郵政や日本航空などの民間会社に対し、国家が干渉を強めている。現実を直視すると、確かにその必要がある。国家が企業活動に直接関与するという手法は、ファシズムと親和的である。(中略)
ここでファシズムという言葉を筆者は価値中立的に用いている。
平たく言えば「ファシズムは悪い」という先入観にとらわれずに、ファシズムの特徴、その内在的論理をつかもうとしている。

(太字強調は筆者による)

そこに排外主義やナチズムのようなおかしな思想が混じらないような処方箋を考えるというのが、著者の目下のテーマらしい。
申し訳ないけど、筆者にはぜんぜん意味が分からない。

一応言っておくと、僕自身はもちろん、ビジネスマンや学者の間に“新自由主義”なる統一的な学問が存在し、皆がそれに向かってバンザイしているなんてことはない。
新興国にキャッチアップされた以上、どんどん規制緩和して成長力を高めるしかないというだけの話で、そんなことは何十年も前から日本に追いつかれた欧米先進国はやってきたことだ。

その当たり前のことをやらなかった共産主義は崩壊した。ただそれだけの話だ。
「最後の社会主義国」と呼ばれる日本は、別に新自由主義のアトムになんかなってないし、むしろなるのはこれからだ。

まあその場合も、いやなら結構、ついてこれない奴が勝手に落ちていくだけの話。
変われない会社は勝手に淘汰されるだけの話。
優秀な“新自由主義者”は新たな友人たちとこれまで通りの生活を謳歌するだけの話だ。

現実は著者が考えているほど複雑でもなければ難解な知識も必要なくて「ダメなやつは何をやってもダメ」レベルの話に過ぎない。

思想家が“新自由主義”について熱く語る対談にインスピレーションを受け、資本論を読み直し、吉野の山奥で「国体の本義」(1937年 文科省)を読み直す合宿まで主催している著者の姿は、(本人はいたって真面目なんだけど)もはや一種のコントだ。

ここからは本書と関係ない筆者の個人的意見。
普通、なんの論者でも自己の主張を広めるため、できるだけ明快に、本質的な部分を前面に出そうとする。ところが佐藤優だけ逆で、右から左まで、論壇誌から文芸誌まで出稿しまくることで、量は多いがエッセンシャルな部分が非常にわかりにくい論者となっていた。まさに謎の怪僧である。

彼がそうしてきた理由はわからないが、結果的に(正体がわかりにくいから)敵と言えるほどの敵も作らず、なんとなく「この人って凄い人物なんじゃないか」的な期待を薄く形成することに成功していた面はあると思う。彼が民主党中枢に一定のパイプを持っているのもそのおかげだろう。

ところが、本書では、その霧がかなり薄まり、彼の正体がかなり見えてしまっている。
そして、それは正直言ってあんまり深くも高くもない。

というわけで、タイトル通り素晴らしい読書術の本だが、読書のみに頼ることの危険性も同時に示してくれるという意味で、二重におススメしたい良書だ。


編集部より:この記事は城繁幸氏のブログ「Joe’s Labo」2012年8月10日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった城氏に感謝いたします。
オリジナル原稿を読みたい方はJoe’s Laboをご覧ください。