ハイエクは敗北したのか - 『ケインズかハイエクか』

池田 信夫

ケインズかハイエクか: 資本主義を動かした世紀の対決
著者:ニコラス ワプショット
販売元:新潮社
(2012-11-22)
★★★☆☆


ケインズとハイエクの論争については、一般には大恐慌に対する政府の介入を主張したケインズに対して、ハイエクが「自由放任」を主張したために敗れたと思われている。しかし拙著『ハイエク 知識社会の自由主義』でも紹介したように、これは誤解である。『貨幣論』で大恐慌の原因を過少消費に求めて利下げを求めたケインズに対して、ハイエクはウィクセルの自然利子率の概念にもとづいて「自然水準を下回る金利は長期的には経済を不安定にする」と論じたのだ。

事実ケインズの理論には欠陥があったが、彼はハイエクに直接答えず、弟子のスラッファに答えさせるという失礼な対応をしたため、この論争は終わってしまった。実はそのときケインズはカーンの乗数理論にもとづく新しい理論体系を構想し始めており、古典派の枠組にもとづいた『貨幣論』を捨てていたのだ。

1930年代には、この論争はケインズ政策の大勝利で決着がついたと思われたが、いま読むと別の面が見える。安倍政権のやろうとしているリフレ政策は、ハイエクの批判した「過剰な金融緩和」だ。ケインズの時代には10%以上の失業率という「不均衡」の明らかな兆候があったので、自然利子率にこだわったハイエクの議論には疑問があるが、今の日本の失業率は4%程度で、主要国で最低だ。これをさらに下げようという政策は、ハイエクの警告したようにバブルをもたらすおそれが強い。

本書はこうしたハイエクとケインズの対立を軸にして、マネタリスト対ケインジアンや「真水学派」対「塩水学派」などの経済論争をおさらいしたものだが、ジャーナリストが書いているので、理論の中身がよくわからない。ハイエクとケインズの本質的な違いは、本書のいうようなイデオロギー対立ではなく、不況を均衡状態からの一時的な逸脱と考えるか持続的な不均衡状態(複数均衡)と考えるかという思想の違いである。

アメリカのように金融危機で「悪い均衡」にはまった場合には、ケインズ的なショック療法でもとの定常状態に復帰させる政策は意味をもつが、日本のように既存の産業構造が老朽化している状況でショック療法をとると、逆に均衡からはずれて財政破綻などの破局をまねくおそれが強い。ケインズも「平時」にはインフレを警戒すべきだと論じていたのである。