前の記事で、自然放射線に関するコメントが多かったんで。少し解説しよか。自然放射線は二つのタイプに分かれる。「天から降ってくる」やつと「地から湧いて出てくる」やつや。
「天」のほうは、太陽からのとそれ以外に分かれる。どちらにしても、基本的に高緯度や高高度の場所が放射線量が多くなる。事故直後に、モスクワは東京より放射線量が多い、といわれたのは、これやな。
ただし、この話から、「それみろ、自然放射線程度では、健康被害なんかないだろ」とドヤ顔はせんといてほしい。高緯度や高高度の場所はたいてい寒いから、屋外活動は少ないし、衣服も分厚い。住民の被曝量の大小など、細かい議論ができるとは思えん。
「地」から来るほうは少し詳しく解説しよう。温泉地や火山地帯で線量が多くなりがちなのは、地域の土壌や岩盤のせいや。
一般に、放射性の元素というのは粒のデカイ金属元素が多い。今、一番問題になっている、放射性同位体を含むセシウムやストロンチウムもその口や。地下深くで発生したマグマが上昇するとき、温度が冷えて、少しずつ岩石に固まりながら上がってくる。このとき、大型の元素ほど結晶には入りにくく、岩石に取り込まれず、マグマの中に残る傾向がある。ワシみたいなデブが満員電車に乗りそびれて、ホームに残っている様なイメージで、考えてみてくれ。
マグマは大型元素を残したまま、どんどん薄くなり、最後に花崗岩を出した後、熱水になる。これが温泉の基本や。そうでないのもあるが、この話と関係ないので、とりあえず無視する。当然、お湯自体の元素濃度は極端に薄い。それでも、長年の蓄積で、火山地帯や温泉地の土壌や岩石は、放射性元素の濃度が高くなるというわけや。
「ラジウム温泉は安心か」という話があったが、科学者としては「知らんわ」としか答えようが無いが、個人的には避けるようにしている。職場なんかの付き合いなら入浴ぐらいはするが、飲用は絶対にしない。温泉水中の微小結晶にトリウムあたりが大量に含まれていてそれを飲んでしまうという、確率がムチャクチャ低い偶然で死にたくはない。日頃の行いの悪さには自信があるからな。
自然放射線に話を戻す。温泉地域の線源は、地域の土壌や岩盤全体に分散しているので、強烈なホットスポットは出来にくい。空気中に危険なチリが飛んでいるわけでもない。
一方、事故被災地はどうか、炉心から産地直送の線量の大きいチリが飛散している。内部被曝の危険がある。皮膚・頭髪・衣服への付着は大丈夫か。屋根の雨樋に貯まったチリはどうなる。ホットスポットだらけやないか。
福島の小中学校では屋外での体育が制限されたそうやけど、温泉地でそういうことをしている話、聞いたことないで。結局、温泉地と原発事故を比較しても意味はあまりない、と言える。どの程度危険なのかどの程度安全なのか、皆目わからん。自信を持ってもう一度言う。「何もわからん」とな。これはドグマではないで。こんな情けないドグマがあってたまるか。
「わからん」を別の角度から、もう少し厳密に言い直すと、「今回の事故を受けて、市場を納得させるレベルの原発の安全性を、科学は提示できていない」ということになる。そやから、原発を止めることの損失と事故の損害とを比較するのはナンセンスや。被害の全貌が見えないなら、事故の総損失がわかるわけがない。ざっくりでいいから、誰か見積もってみてくれんかな。まあ、無理やろうけどな。
ようわからんものは、「危険」の烙印が押されるのが市場経済や。不動産を例に取れば、原発を中心に「未来永劫人が住めない場所」があり、その周辺に「気味悪がって人が住まない場所」が出来、さらにその外側に「出来たら住みたくないので人口が減っていく場所」ができ、同心円がどんどん広がっていく。
逃げて行く住民に、非科学的と言ってみても仕方ない。取り返しのつかない損害だけは確実に増えていく。不動産価値の毀損だけでも天文学的数字や。
実は、こういう事態を事故前から予想していた連中がいる。ワシも意外やったんやが福島第一原発は(というより日本の原発は)、実質的に全く民間の保険に入っていなかった。「事故は有り得ない。原発は有利で安全なエネルギー」と国民の大部分が信じていたときから、保険の引き受け手がなかったわけや。さすがはリスク管理のプロ、他人の不幸で飯を食う連中の目は確かやったということやな。
今後は、さらに保険の引き受け手はなくなるはずや。結局、補償は国しかやるところが無い。民間が取り切れないリスクを、国が引き受けるちゅうことや。株や社債を発行して、一丁前に配当なんぞ出していた民間企業の尻ぬぐいを、税金が一手に引き受ける。もはや資本主義とは言えんやろ。
内田樹センセやったら「グローバル企業が国民国家を食い物にしている」と言うやろ。森巣博センセやったら「おとーちゃんたちばかり、おいしいお饅頭食べて」と言うやろ。
考えてみればチェルノブイリ事故で、なんとか収拾がついたのは、当時のソ連が、いっぱしの社会主義国家やったからや。自由やら人権やら面倒なことをゴチャゴチャ言わずに、被害者管理を高圧的・官僚的に出来たからやがな。日本では通用せん話や。
まあ今回の事故だけは、大目に見てもやってもええと思う。「まさか、日本で大事故など起こらない」という楽観は、ワシにさえ心の片隅にあった。これは、たいていの日本人の実感やろ。そやから、国民全体で負担をするのは、ある程度仕方ない。
そやけど、これから再稼働をするなら。その前に保険にだけは、きっちり入ってくれ。電気料金に跳ね返っても仕方ないやろ。それが資本主義というものや。
2年前に無保険車で大事故を起こして親戚中に迷惑をかけたドラ息子が新車を買うなら、最低でも対人無制限の任意保険には入らなあかん。ところが、自賠責さえ入っていないというのなら、次は「轢き逃げ」を狙っているとしか思えんのやがのう。
ヨハネス 山城
通りがかりのサイエンティスト