著者:ニーアル ファーガソン
出版:早川書房
(2009-12)
ニーアル・ファガーソン『マネーの進化史』を読了した。国家は、戦争をするために膨大な戦費が必要で、そのために借金を必要とする。しかし、戦後にそれが支払えなくなると、国が倒産しかかると、平気で踏み倒すことを歴史上何度もやってきたという話が出てくる。
ご存じの通り、すでに日本はGDPのはるかに超える借金を抱えている。日本国内の貯蓄を通じた内債であるために、簡単には潰れないとされている。しかし、そんなに甘いものではないということを知った。
■「坂の上」に先に待ち受けていた借金
司馬遼太郎『坂の上の雲』は、ご存じの通り、1904~05年の日露戦争を扱い、その時代の人々が高い志を持っていた姿を描いた物だが、以前から、引っかかっていたことがあった。戦争中の資金不足を補うために、当時、日銀副総裁だった高橋是清(NHKのTVドラマでは西田敏行が演じていた)が、その時代の金融の中心地だった、イギリスで戦時国債を売るために苦戦するシーンがある。ファガーソンによると、20世紀の初頭は、金融システムが発達し、第一次グローバリゼーションとでもいうべき、活発に人も物も動いていた時代だったという。これは第一次世界大戦後、各国が保護主義を取ることで消滅し、1970~80年代あたりまで回復に時間がかかったという。
高橋是清は、日本の戦時公債を販売しようと、投資家に懸命に売り込んだが、ロシアとの兵力差による日本敗北予想、日本政府の支払い能力への疑問といったことを要因にして売れず、戦争継続には資金不足に陥る危機に直面していた。しかし、大規模な地上戦の奉天会戦といったことに勝利し、戦況が好転したことによって、高橋是清はきわどく戦費を補う外債を調達でき、戦争を継続できた。知りたかったのは、そのときに抱えた膨大な借金をどうやって払ったのだろうかという疑問だ。
板谷敏彦『日露戦争、資金調達の戦い』で戦後、国債の支払いに相当苦労したことが紹介されている。日本はポーツマス条約で賠償金を取れなかったので、そのまま国債は借金として残ったためだ。
「開戦前の1903年には5600万円だった内外の公債残高は、1907年には22億7000万円にまで膨らんでいた。この年の名目GDPの61%、一般会計歳出6億2000万円の377%に相当した……1907年には歳出6億200万円に対して、国債費1億9800万円と約30%を占めるに至った」、さらに軍事費が毎年2億円もかかっていたために、借金の支払いが3割、軍事費が3割と、自由にできる予算が極めて限られていたとしている。「経済成長に見合わない歳出増加は、直接的に租税となり国民負担となる」。
■運良く借金を返済したのに、踏み倒した戦前の日本政府
「1897年の国民一人当たりの租税負担は、3240円だった。この当時でも日清戦争以降の国民は高い租税負担に耐え忍んでいた……1907年には7614円に、08年には8508円にまで負担が増加……租税負担は約2倍になったと考えられる」。日露戦争後の借金は、増税によって庶民はツケを払わされ続けた。「坂の上」にたどり着いてみたら、そこには巨大な借金が待っていた……なんて状況だったのだろう。ただ、これらの借金は、運良く、欧州で1918年に起きた第一次世界大戦に巻き込まれなかったために、特需の輸出ブームによって一気に解決された。
高橋是清は、日露戦争後、国債の発行の禁止する政策を採った。これは国債を持つ海外投資家の厳しい目があったからだ。しかし、1936年の二.二六事件で、大蔵大臣だった高橋是清は軍事予算を縮小したために、軍部の恨みを買い、反乱を起こした青年将校たちにより暗殺されてしまう。「高橋是清暗殺以降は、野放図に国債を発行するようになり、第二次世界大戦に至った。この政府債務は、結果として増税に替わる[戦後の]激しいインフレーションによって返済されることになった」。要するに、国債が、紙くずに変わったことによって、戦前の日本政府が抱えていた借金の問題は解決されたのである。日本でも、ファガーソンの指摘通りのことが、起きていた。
■日露戦争後時よりひどい現在の日本
板谷氏は、今も状況は似ていると指摘している。「平成22年度の一般会計歳出は92兆円で、国債費は約21兆円と22.4%を占めている。社会保障費が約27兆円で29.5%であるから、現代の社会保障費と当時の軍事費を入れ替えてみると」同じような状況ということだ。「現在の方が日露戦争後の苦しい時期よりも、すでに状況は悪い……おまけに増税はなされていない。現在の国債費の比率が低い理由は、当時と比べて金利水準が低いから」。日露戦争後よりひどいのか、と思うと少々驚きもする。すでに日本は「経済成長に見合わない歳出増加は、直接的に租税となり国民負担となる」状況に向かっている。
要は、なんらかの要因で、ある日突然事件が起きると、日本政府は、形を変えた借金に過ぎない年金の踏み倒しや、国債をチャラにするようなことを平気でやりうるということだ。ファガーソンは、同じことは歴史上何度も起きているのに、人間は長年安定した状態が続くと、認知バイアスがかかり、将来も変わらないだろうと考える。そのため、突発的な事態への想像できなくなるとしている。
現代を生きる多くの人にとって、「坂の上の雲」はみえず、「坂の下の谷」ばかりが見えて、そこにずるずると下っている感覚はあると思う。緩やかに下りたいが、その足場が突然崩れて、谷に急落下することは、いつ来ても不思議ではない状態のだなと、考えさせられた。崩れるときは、信じられないほどあっという間だそうだ。
著者:板谷 敏彦
出版:新潮社
(2012-02-24)
出版:文藝春秋
(2010-07-15)
新清士 ジャーナリスト(ゲーム・IT) @kiyoshi_shin
めるまがアゴラにて「ゲーム産業の興亡」を連載中