大間のマグロの話 --- うさみ のりや

アゴラ

大間のマグロやウニのプロデュースをしてきた島康子さんという方から話を伺ったのだけれど、とても印象に残ったので書き残しておこうと思う。


今じゃ全国が知る大間のマグロだけれど、そのブランド化に向けた取組は2000年に大間を舞台にした「私の青空」というNHKドラマが放送されたことからはじまったそうだ。当時東京から帰りUターンで製材所で働いていた島さんは、このドラマを見て「大間を活性化するなら今しかない!!」と思い立ち、本人いわく「頭がおかしく」なったそう。地元の有志と大間を元気にするための徒党を組み「あおぞら組」と名乗りゲリラ的な活動を始める。ちなみに役所は「金がなければなんもできね~」と相手にしてくれなかったそうだ。だから逆に「金がなければ勇気を出せ!」と身一つで今すぐできることから始めようと考えた。頭をひねって出てきたアイデアが「私の青空」劇中フェリーで旅立つ主人公を見送るシーンをまねて、大間にフェリーでくるお客さんを大漁旗を振りながら「よく来たど~」と大声で迎え、帰りは「へばの~」と見送るという単純なもの。「恥ずかしくてそんなの嫌だ」と皆嫌がったが「一回だけやってみよう!」と仲間を説得してやってみた。

するとお客さんは大喜びして皆「これはいい」とはまった。しかしながら周りの目は冷たく当初は町で孤立するが、やり続けているうちに少しずつ、私も、、、私も、、、、と恐る恐る仲間が加わってきた。仲間が増えてきて次の一手、ということで大間の名物であるマグロを宣伝するためのツールを作ることにした。そこで身に着けるものは動くメディアと考えて「マグロ一筋」とプリントされたTシャツ(マグT)を作った。そしてそれを色んな人に着させて写真をとってネットに挙げまくった。日進月歩の取り組みだったが2004年8月18日に事件が起きた。

アテネオリンピック柔道代表で大間出身の泉浩選手をマグTを来て応援していたらワイドショーが「これは面白い!」と取り上げてくれた。すると次の日「あのマグロのTシャツをくれ!」と全国から注文が殺到した。役所に「金がなければなんもできね~」と言われたのに反発して独自に取り組んできて4年目、成果が実り始めた。その時テレビのプロデューサーに「今の時代は宣伝にお金かける時代じゃない。面白いことがあればとりあげるのでどんどんやってください」と言われて何かがはじけた。その後ウニTシャツやマグロブリーフといった他の衣装類を作ったり、こいのぼりに対抗してマグロのぼりを作ったりとおもろいこと何でもやってみた。すると「大間と言えばマグロ」というイメージがだんだん浸透してきて漁の取材が来るようになった。この機会を生かそうと「漁師をスターにしてしまう」ということに取り組んだ。すると意外なことに名人漁師よりも、頑張っても全然つれない漁師の人気に火がついて、挙句の果てにはその漁師に会いに観光に来る人まで現れた。

今では漁師の家をエスコートする仕事まである。初めはたった一人で金もなく始めた大漁旗の旗振りだが、今ではすっかり定着して地元の高校生も旗を振っている。この前竣工した新フェリーを出迎えたときは500人が集まるようになった。大間のマグロの名前も浸透して、今では初セリで1億5000万円で売れるまでになった。「アホも10年やれば浸透する」フェリー存続問題をはじめまだまだ大間には難しい課題はあるけれど、これからアホをやり続けて、皆がベクトルを合わせて何とか乗り越えていきたい。

って感じだった。やっぱり環境のせいにせずに、今この瞬間から身一つでできることを、一歩一歩そして何よりも楽しみながら取り組んでいくのが商売の基本だよな~。

ではでは今日はこの辺で。


編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年7月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。