バチカンの教会再統合の試み暗礁 --- 長谷川 良

アゴラ

ローマ・カトリック教会法本山バチカン法王庁はカトリック教会根本主義の聖職者組織「ピウス10世会」との対話を断念する。独週刊誌フォークス最新号によると、教理省長官のミューラー大司教は前法王ベネディクト16世が始めた「ピウス10世会」(聖ピオ10世会)との対話を停止することを決定、近日内に声明書を公表するという。


▲バチカン法王庁(2011年4月撮影)


直接の契機は、バチカン非公認の司教任命25年目(1988年6月30日)を祝う集会で、ピウス10世会は第2バチカン公会議(1962年~1965年)の決定事項を激しく批判したことだ。

この欄で数回、報じたが、再度、紹介する。バチカンと「ピウス10世会」との対立は、第2公会議に参加した故マルセル・ルフェーブル大司教が教会の近代化を明記した公会議文書の内容を拒否し、1969年に独自の聖職者組織「ピウス10世会」を創設したことから始まる。当時のローマ法王パウロ6世(在位1963年~1978年)は1975年、一時付与した同聖職者組織の教会公認を撤回し、ルフェーブル大司教を追放した。

ヨハネ・パウロ2世(在位1978年~2005年)は1984年、条件付けでラテン語礼拝形式を容認する一方、「ピウス10世会」との教会再統合の道を開く努力をした。当時、バチカン教理省長官だったラッツィンガー枢機卿(前法王べネディクト16世)はルフェーブル大司教と交渉した。

しかし、同大司教はその直後、教会法に反し、4人の神父を司教に叙階した。そのことを受け、バチカン側は同大司教と4人の司教を破門した。

ルフェーブル大司教は1991年亡くなり、その後継者にベルナルド・フェレー司教が「ピウス10世会」代表に就任すると、バチカンとの交渉を再開。同司教は2000年、パウロ2世を謁見し、2005年にはべネディクト16世と会見するなど、教会破門宣言の撤回を実現するために腐心してきた経緯がある。

前法王べネディクト16世は2007年、一定の条件下でラテン語ミサを承認する法王答書を公表し、2009年1月「ピウス10世会」の4人の司教に対する「破門宣言撤回」教令を出すなど、かなり譲歩の姿勢を示してきた。前法王時代の2009年から2011年の間、教義問題も話し合われた。バチカン側は昨年6月、「ピウス10世会」の教会内の立場を「オプス・デイ」(カトリック教会内根本主義グループ)と同じ“属人区”にする案を提示、それに対して、「ピウス10世会」はバチカン側の提案を持ち帰り、協議し、近日中に返答する予定といわれてきた(属人区とは、バチカンが特定の司牧目的のために設立した行政単位名)。

独レーゲンスブルクのカトリック神学者ヴォルフガング・バイネルト氏は7月10日、「バチカンにとってもピウス10世会にとっても譲歩はできない。譲歩は神学的自殺行為だ」と指摘、両者の統合は元来難しいという見解を表明している。

ベネディクト16世の愛弟子の1人、ミューラー教理省長官が前法王が始めた根本主義聖職者組織の教会再統合の道を閉じることになる。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2013年7月13日の記事を転載させていただきました。
オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。