ぞうきんがけ、東京進出、ダウンタウン発掘、ネット・国際化、紳助引退・・怒濤の半生記。376ページを一気読みしました。
起業した秘訣とか大学で学んだコトだとか、まだ成果も評価も未熟なできごとの若衆によるハウツー本があふれていますが、そんなんじゃない、泥にまみれた挑戦と、たどり着いた現在、それをドヤ顔ではなく等身大で語る、こういうのを読みたかったのです。
ぼくが無闇なお笑い好きだからなんでしょうね。小学低学年の作文で、「将来よしもとに入りたい」と書いたことがあります。今もオカンにアンタよしもと入りたかったのになぁ、と残念そうに皮肉られます。
そのころ通っていたお風呂屋さんには京都花月のポスターが貼ってあって、新喜劇と漫才さんの脇にポケットミュージカルズの出し物もありました。そこだけ大人の雰囲気で、誰が見んねんコレと思っていました。ぼくより8つ上の大崎さんはそのころ、その幕間ショーのファンで小屋通いだったといいます。大人やなぁ。
ダウンタウンを発掘した話。ぼくが大学生のころ、無名の二人のステージを見てショックを受けたことがあります。それからすんなりとビッグになったと記憶していましたが、売れるまで苦労があったんですね。新喜劇を再生した話も、当たり前のことですが、部外のファンには見えていない苦闘があったんですね。
仕事上の軋轢、バッシング、そして左遷。すさまじい。横澤彪さんや木村政雄さんとの確執も。闘いの連続。社長になってからの功績は、たったの20ページでさらっと触れるだけ。
上司の木村さんのセリフ。「理詰めで取る仕事も、アホみたいに百回頭を下げて取ってきても、結果、それはひとつの仕事や。」で、大崎さんは百回足を運ぶ。これはウチの学生に聞かせたいな。大学教員が言うべきことではありませんが、アタマで仕事はできません。
20年前、コンテンツ政策を立ち上げるため、郵政省で研究会を開催し、初めて吉本興業に入ってもらうことにしました。省内調整に手こずりました。委員になってくれたのが、東京事務所の木村政雄さん。一度、その代理で大崎さんが来られたのを覚えています。本書によれば、あのころは東京はお二人だったんですね。
劇場とラジオ・テレビの会社だった吉本興業は、それから衛星、ネット、DVDへと展開。中国・アメリカに進出。地方映画祭を開催。そして非上場化。国際メディア企業の先端モデルです。20年たって改めて、知財本部の委員になっていただいています。
でも、華やかで順風なことばかりではない。お家騒動もあれば、ウラ世界の脅迫もある。紳助に引導を渡さなければならなかった。いや、常人にとっては、そっちのほうがキリキリとつらい仕事。それこそ、創業100年で溜まった膿をそぎ落とす作業。おつかれさまです。— にしてもラストの紳助さん引退後のやりとりは、沁みました。
吉本興業には、郵政省と知財本部の委員要請のほか、もう一度、お願いに伺ったことがあります。十年前、子ども創作活動を始めようとしていたころ、難波の本社に飛び込みました。「子どもどつき漫才ワークショップをやってください。」そのとき対応してくださったのが、本書にも登場する竹中功さんと中井秀範さん。
「ムチャいいまんな」と断られつつも何やかやと粘っていたら、10年たってみれば、「おもしろかし子大作戦」というプロジェクト名で、NPO「CANVAS」とのコラボでワークショップが開催されるようになりました。ペナルティ、ガレッジセール、レイザーラモン、キングコング、COWCOW、鉄拳、もう中学生、佐久間一行、大西ライオン、ジョイマン、トータルテンボス、多くの芸人さんたちが気合いの入ったワークショップを提供しています。
大崎さんの同期エースとして本書に登場する田中宏幸さんと、竹中さんと中井さんは、吉本お笑い総研を編成しています。総研とぼくの大学院とでプロジェクトを作ろう、ということで、何度も会議を開くのですが、その3名が顔を揃えると、ぼくらのスタッフや学生を笑わせるのに血道を上げるため、オモロすぎて全く会議にならない。
それでもプロジェクト名は、「よしもと慶應キッズ」か、「慶應よしもとキッズ」かでマジメな議論になり、そこはYKKよりKYKでしょ、ファスナーよりトンカツでっせ、という、関西人しかわからんノリで決まりまして、で、中味どないすんねん、というのが続いています。田中総研所長が「思いつきで100年ですわ」と真顔で話していたのが忘れられません。
大崎さんと、岡本昭彦よしもとクリエイティブ・エージェンシー社長に協力を頼まれたのが「沖縄国際映画祭」。
以来、スーパバイザーとして、あるいはイベント司会者として関わってきました。
日本にとって、アジアにとって、とても重要なこのイベントのことは、これまでも何度か報告してきたので繰り返しません。ローカルから世界へ、世界からローカルへを体現するこの挑戦に協力を続けます。
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2010/04/blog-post.html
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/05/3_19.html
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2011/05/blog-post_26.html
http://ichiyanakamura.blogspot.jp/2013/07/2013.html
ある吉本社員から、吉本は芸人との契約がない、と聞きました。へ?耳を疑いました。ないのだそうです。契約ではなく、「信頼」でつながっていると。そんなプロダクション、ありませんよ。契約はなくても、死んだら葬式まで出したる、という。社員ではなくて、家族というか、血縁なのですね。
吉本の資産は芸人。しかし、その書面がない。外資系ファンドが上場していた頃の吉本の買収を企てたときも、それを知って腰を抜かしたとか。買ったって、何もないし、芸人さん散っちゃいますしね。この吉本式というのか、日本型家族経営のでっかい版というのか、そのモデルは100年のうちに何となくできあがってきたものなのでしょうが、国際的な経営を考えるうえで研究価値が大きい。いろんな面で気にかかる企業であります。
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年8月12日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。