浦沢直樹さんの授業(前編)「手塚と大友」 --- 中村 伊知哉

アゴラ


今年の政策授業シリーズは、メディア企業のかたがたをゲストとしてお招きし、議論しました。講談社野間さん、ホリプロ堀さん、DeNA南場さん、GREE田中さん、ガンホー孫さん、ニワンゴ杉本さん、日テレ土屋敏男さん、KDDI高橋誠さん、プレステ久多良木さん・・といった面々に並んで、おひとかた、純粋なクリエイターをお招きしました。

浦沢直樹さんです。


名古屋造形芸大でクリエイターの卵たちに授業をしておられるのですが、KMDのぼくの受講生はバックグラウンドが多彩。大企業の幹部もいれば、留学生もいる。学部からそのまま大学院に進んだ人だって、出身は経済、工学、建築などバラバラ。授業をサポートする博士課程のTAも、美術学校出身だったり東大の憲法学のゼミ出身だったり。

そんな学生たちに語ってもらったのは、マンガ史。戦後の、手塚治虫と大友克洋という二大事件を軸にした流れです。紙にメモし、それを大画面に投影しつつ、解説していくライブ。

経済学では経済史は理論、政策と並ぶ柱として重視されています。現実を対象とする学問だからですね。もちろん美術史も美学上、大切です。でも、系譜やら鑑賞の座標といったものは、ちかごろ軽視されています。ネットのせいですね。古今のあらゆる作品が一斉に手に入るようになり、情報があふれています。

ぼくらの世代は、ビートルズとストーンズを押さえ、ツェッペリンを経て、セックスピストルズに到る、という系譜をたどります。オアシスを聴くときも、サカナクションを聴くときも、それがロックの系譜のどの幹にどう位置づいているか、自分の地図上で確認できないと落ち着かないんです。コンテキストを気にするわけです。

わっかんねえかな。わっかんねえだろうな。

今の世代は、B’zもAKBもピストルズもビートルズも、同時に、フラットに、コンテキストも要らずに触れて、コレ好きコレきらい、で満足。それは、実に正しく、うらやましい。だけど、軸を持つのは面倒で、時間も鍛錬も要るんだけど、いざ軸を持ってみると、消費するだけじゃなくて、もっと深みに行けるんだよ、ということをぼくらは知ってます。それは映画も、文学も、ファッションも、そうだと思います。

マンガもそう。若い読者には、手塚も大友も、浦沢さんも尾田栄一郎も東村アキコも同一の棚にあることでしょう。浦沢さんは「書店では、メジャーもマイナーもごっちゃで並んでいて、それじゃ読み方がわからないんじゃないか」と指摘します。

ぼくのようなタダのファン、タダのユーザは、聴き方や読み方なんて、長年積み上げて体得した極意だから、知ってるんだゼっていばりはするけど、教えてあげようなんて思わない。でも浦沢さんのような最高の作り手で、愛情深いひとは、それを教えてくれる。

浦沢さんは二つの革命があったといいます。1947年手塚治虫「新宝島」。そして1983年大友克洋「童夢」。前者がマンガの表現を変え、後者がマンガの技法を塗り替えた。

「新宝島」が静的なマンガ表現にハリウッドの動的表現を持ち込み、セリフ抜きのスピーディーなアクションをコマ割りと描画とクローズアップで表現した、その衝撃は、トキワ荘の作家陣に繰り返し語られているとおりです。右から左へ、そしてまた右下から左へ、コマをなぞる時系列の文法も作りました。

これに対し、浦沢さんは1964年、つまりまだ3-4歳のころ出会った鉄腕アトム「地上最大のロボットの巻」、それまでの子ども向け勧善懲悪を打破して、善悪の白黒が割り切れず灰色で悩ましくも悲しいストーリーに、深くショックを受けたのだそうです。

そして、1973年、13歳の午後、「火の鳥」を読み、そのまま庭の木を眺めたまま、すごいものをみたなぁ、とぼんやりしていて、気がついたら夕暮れだった、その間、みたものを反芻していた、理解しようとしていたのかもしれない、というインパクトを語っていました。

その衝撃が大作家・浦沢を産んだ。いかにマンガ好きでも、そこまでインパクトを受ける体験をするというのは、滅多にありますまい。それは、そうした衝撃と啓示を受ける才能と宿命があったということでしょう。憧れつつも、重い、と感じます。

大友さんに関して浦沢さんは著名な「童夢」を挙げましたが、恐らく1979年「ショート・ピース」での登場がより破壊的だったでしょう。大友さん以後、「全てのマンガの線が大友になると思った。そして、実際にそうなった。」と浦沢さんは言います。

なるほど、線、ですね。デフォルメされたマンガ絵を配分したコマの連続で描くのが手塚さんの手法。これに対し大友さんは、人物も建物も細密な線でリアルに描き出す。圧倒的な画力を基礎として、一枚一枚のリアルな絵画で描き切る。手法の転換です。大友さん以後、絵に対する要求水準がうんと上がり、マンガ家にとってはさぞかし大変な事態だったことでしょう。

「ショート・ピース」、ぼくは大学一年でした。マンガ青年としては、もちろんショッキングでした。ただ、ぼくは高校生のころガロ系にかぶれ、大学に入ってからはバンドとマンガに埋もれつつ、60年代の映画の系譜にも触れ、映像や音楽を巡り同時進行する表現の革新にクソまみれになっていたため、一つ一つに衝撃を受ける感性が鈍かった。

受け取る感性の鋭さが浦沢さんの才能であり、苦悩と栄光の源であり、その鈍さがぼくを含むその他大勢の自称マンガ好きの挫折と平和の源であります。

それでも、ぼくは浦沢さんの1年下で、お話の流れがいちいち刺さってきます。それは同時代に手塚先生がいて、巨人の星もあしたのジョーもドカベンもいて、多感な時期に大友さんが現れたから。それは音楽もそうで、さまざまな革命の同時代を経たから。

「ぼくら、いい時代でしたね。」と語り合いました。

そういう意味では、それから80年代に起きたゲーム、そのあと90年に現れたウェブ、そのあと2000年代に現れたアプリ、と10年タームでメディア自体が塗り変わり、より激動を生きている今の同時代諸君は、どういう衝撃を受けてるんでしょう。

どうですか?


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2013年9月2日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。