日本では改革が進まないのはなぜ
さて「日本に改革が必要だ」というようなことはバブル崩壊以降ずっと叫ばれているがなかなかそういった「改革」成るものが成果を上げることは無い。私自身、20代の官僚の成り立ての頃は、それを「良い政策が作れないからだ」とか「既得権益のせいだ」とか思っていたのだけれど、実際の政策策定に携わるうちに。日本が変わらないのは大半の日本人が実のところ変化を望んでないからだ、と気づくようになった。多くの場合改革を要求する声は国民が、自分の身や立場を守るために叫んでいる。つまり「自分以外の誰か」に対しての改革を要求することで、自分たちの相対的な地位が向上するような政策を望むが、いざ自分自身の生活に関わる改革に関しては、それこそ「既得権益化」して、拒否したいと思っている。
多くの人この社会が持続可能でないことに心の底では気づいていて、例えば社会保障が財政を圧迫しているだとか、正社員制度の不公平性・非効率性だとか、商店街を中心にした地方経済はもはや破綻しているだとか、新興国の発展が日本の製造業を圧迫しているだとか、そういった現実の厳しさを目前にしてその現実が突きつける事態があまりにも重すぎるが故に、「こういった現実は、本来あるべき姿ではない。誰か悪者がいて、そうした人たちに対する改革が足りないから、おかしくなるんだ」と考えて目の前の事実から目をそらそうとしているのではないかというのが個人的な意見だ。
そして政治というものは票さえ取れればその声を受け止めてしまい、それが選挙に反映され、抜本的な社会の変化につながるような改革は行われずに、目前の現実をそらすための小手先の制度改正が「改革」の偽名の下に連続的に行われているのが現在の政治状況であると認識している。(それが悪いと言っているわけではない)
ではこういう政治状況はいつまでも変わらないか、というとそれは決してそうでは無くて、現状の日本の制度が持続可能でない以上いつかは抜本的な、維新の会のいうところの「グレートリセット」なるものが行われることになるとは思う。そしてその時期は個人的な見立てでは2030年頃と考えている。理由としてはきわめてシンプルで、その時期についに人口構成において団塊の世代が主役の座から降りることに成るからだ。
社会保障制度改革から見る団塊VS団塊ジュニア
人口というものは戦争でも起きない限り急激に変動しないので20年程度の人口の変化はほぼ正確に予測できる。日本は民主主義社会なので、人口構成はそのまま政策に反映される。足下の2010年現在の人口構成を見ると二つことが見て取れる。
○一つは日本の人口構成には「団塊(1947-1949年生まれ)」と「団塊ジュニア(1971-1974年生まれ)」の二つのこぶがある釣り鐘型になっていること
○その上で現状においては団塊の世代が最多数をしめていること
である。このような状況では制度の根本的な見直しにつながる社会保障の改革など到底政治的に受け入れられないだろうことが予測される。いかに多くの問題を抱えていても政治的には先送りの圧力が働くことになる。
彼ら(団塊の世代)が労働力として活躍していた時期は、平均年齢がのびていくのが当たり前であったし、人口構成もピラミッド型だった。だから「高齢化社会」という新たな現象に対して社会的制度で対応するのは、十分政治的に受け入れ可能なものであったように思える。実際今ここでメルマガの原稿を書いてる横で70歳代の老人3人が談笑しているが「我々の世代だって親の世代を支えたのだから、若者に我々が同じことを要求するのは当たり前」的な議論で花を咲かせている。サラリーマンを辞めてから知ったのだけれど、この手の議論は毎日のように昼間のカフェで展開されている。
そんなわけで団塊の世代の親たちは、会社で40年間ほど働いて60歳で引退し残り15年の余生を年金で過ごし75歳程度で人生を終えていった。「親の背中を見て育つ」では無いが、それを支えてきた団塊の世代としても、年金は当然受け取れるものと考えるのが自然だ。世の常として年齢を重ねれば重なるほど頭が固くなり経験論に偏りがちになるので、彼らも20歳で就職して65歳まで45年程度はたらいて、その後20年間年金で過ごす、というストーリーを完結することを望むだろう。他方で現在の団塊ジュニア世代以下は、もはや公的年金制度で余生を過ごすような人生はあきらめている人が多い。
会社に所属している人は強制的に源泉徴収される厚生年金は別にして、個人の意志で納付率が左右される国民年金の納付率を見ると、若ければ若いほど年金制度に対する期待はしぼんでいる。詳細な議論はまた別途するとして、(年金自体は必要だと思うが)現状の年金制度に対する信頼はもはや回復しがたいほどに失墜していると考えるべきだろう。団塊世代の政治的要求が「先送りによる現状の制度を維持」なのに対して、団塊ジュニア世代の政治的要求はおそらく「正確なデータに基づく年金制度の解体的出直し」だ。この溝は深い。
で、現状を見ると団塊の世代の方が政治的要求が強いので、今行われている「社会保障制度改革」なるものは「バラ色の未来を示した粉飾的な将来収支見通しに基づく増税による問題の先送り」といえる。大変残念だけれど、今後人口減少が続き、20年にわたりデフレと賃金低下、低成長率が恒常化してきた日本で、いきなり全てが反転しインフレ、賃金上昇、名目gdpの2%成長、が何十年も続くとは楽観もすぎる。間違いなくドラマ半沢直樹なら「実質破綻先」分類を免れないだろう。消費税増税とはそのような前提で行われていることを、我々の世代は知る必要がある。ではこの粉飾的な先送り改革がどこまで続くのかは人口構成の動きを見るとわかる。10年単位での人口見通しを見ると
☆2010年時点では62歳が最多人口
☆2020年時点では71歳が最多人口
☆2030年時点では57歳が最多人口(団塊ジュニアへの覇権移動)
となっているので、今後2020年までは社会保障に対する抜本的な制度改革に対する政治的な抵抗はますます増していくことが予測される。その結果として給付水準の維持および消費増税によるその保障、というのが政治的な大勢と成ることが見込まれる。これが2030年になるとようやく政治的な覇権が団塊から団塊ジュニア世代に移り現実的な年金制度の抜本改革が議論されるようになることが見込まれる。団塊ジュニアの世代は日本の財政的危機を目前にし続けることに成るし、高齢化社会はもはや当たり前の現象に成るので、定年後に年金をもらい続けて生活するというビジョンというか希望はおそらく放棄して新たな社会に対応した生き方を発見することを模索するものと予測される。その時が日本の社会保障制度に取って真の変革の時期にあたり、それまでは小幅な制度改正による先送りが続くと考えることはそれなりに合理的なことであろう。
これは社会保障に限らず、ありとあらゆる分野において、例えば軍事や雇用や行政制度、などにもいえることで、2030年前後に団塊世代の価値観が団塊ジュニア世代によって次々と覆されていくと思われる。こんなわけで等メルマガではしばらくの間「2030年の世界・日本」および「団塊VS団塊ジュニア」というテーマで不定期に物事を考えていきたいと思います。その時の改革がおそらく日本に取って最後の再生のチャンスと成るので。
ではでは今回はこの辺で。
編集部より:このブログは「うさみのりやのブログ」2013年9月18日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はうさみのりやのブログをご覧ください。