山崎豊子の戦争三部作、 「不毛地帯」、「二つの祖国」、「大地の子」をお読みの方も多いと思います。私も全部読んでいますが、特に中国残留孤児に焦点を当てた「大地の子」は構想から完成まで8年を要した大作であり、そのスケールといい、内容といい個人的には山崎豊子の頂点の作品と言っても過言ではないと思います。
その「大地の子」は文化大革命という今の中国人が苦い顔をする暗黒の10年の中で紅衛兵や毛沢東イズムが蔓延する社会から話はスタートします。それは世論が暴力を通じて撹乱されているありさまでした。氏の小説は非常に読みやすい形で文化大革命の理不尽さを描いていますが、もう少し堅い学術的な書を紐解くとそこにはもっと凄まじいドラマが存在します。特に毛沢東の力を利用し、権力闘争を通じて「勝ち抜いた」四人組のその壮大な栄枯盛衰のドラマは山崎豊子の小説ではほんの触りすらないのであります。
薄熙来の裁判が何を意味するのか、彼の罪状と事実関係は別にして結果として無期懲役という厳罰が下ったことに大いなる政治的意図が見て取れます。
薄熙来のことを知らない人、あるいはほとんど興味を持ったことがない人も多いと思います。かいつまんで数行で説明します。
中央政治局委員兼重慶市党委員会書記という中国のトップ25に入る重任となった薄熙来は更に権力闘争を進め、毛沢東主義の回顧路線を強く打ち出します。が、2011年、薄一家と長年の付き合いがあったニール・ヘイウッド氏が変死したことで薄氏は奈落の底へ落とされます。薄氏の夫人がヘイウッド殺人に関与していたという判決に次いで薄氏は収賄罪などに問われ、公職追放のうえ、無期懲役、財産没収という厳罰に処されたのです。
この裁判の裏には中央政治局の席をめぐる激しい権力闘争、そして目立つ人間に対する駆け引きがあったとされます。大局的にみれば共青団派の胡錦濤から見放され、さらに薄氏と同じ太子党に属する習近平は薄を抹殺します。理由は習にとって共産党幹部による不正賄賂は中国の近未来において撲滅すべき最重要課題であり、トカゲのしっぽ切りに及んだものだと考えてもよいのではないでしょうか?
私がこの事件と裁判に興味をもち続けた理由は文化大革命を克明に描いた中国人作家の大著を25年以上も前に衝撃とともに完読したことがきっかけであります。それ以降も数少ない文化大革命の本に触れながら、中国の権力闘争を見続けてきました。
今、薄熙来が政治から抹殺されたことで習近平と胡錦濤はより関係を改善できるのかもしれません。しかし、そこには駆け引きが常に渦巻き、たった一歩の勇み足が政治生命を危うくする綱渡りのような不安定さを感じないわけにはいきません。つまり、中国共産党は一党独裁と言いながら、その党内の力関係は複雑怪奇であり、結果としてそのベクトルは国内というより身内闘争に向いてしまうように見えるのです。それは四人組事件に重なるものがないとは言えないのです。
今、習近平と共に中国を引っ張る胡錦濤派の李克強首相はリコノミクスというアベノミクスにあやかるような、しかし中身は全く相違する経済ポリシーをもって中国の改革に努めています。それは「成長追求よりも改革推進」という言葉に凝縮されており、中国はもはや高度成長を目指している国ではなくなってしまいました。それは指導者のベクトルがバラバラであり、一つの共産党ではないことが大いに影響している気がします。
アベノミクスは日本が一つになり、強力に成長戦略を推進していくという外向きのベクトルが見て取れるのですが、中国は明らかに高い経済成長率の陰に踊りすぎた過去の悪い遺産の整理に当面時間を費やさねばいけないということなのでしょうか? 薄熙来の裁判は分厚い遺産整理リストの一つに過ぎないとすれば中国が抱える問題の根の深さはまだまだという気がしております。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2013年9月24日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。